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第15話 夕陽の約束
いつもの定期検診が終わった後、オレはまた熱を出してしまった。
数日間、高熱が続いて、意識も朦朧とするなか、悠真さんを描いたスケッチブックをずっと抱きしめていた。
夢うつつになっているとき、悠真さんの深緑の匂いがした気がするけど、多分気のせいだと思う。
数日後、ようやく熱が下がってくれたから、いつもの生活に戻れるようになった。
でも、左手が震えて、力が入りにくくなってしまった。
スケッチブックに鉛筆を走らせても、線がガタガタに歪む。
ラクガキで描いた猫は、目がズレて個性的すぎる仕上がりになってしまい、自分でも笑っちゃうくらいヘンテコだった。
ただ、病室を訪れた美咲さんが「めっちゃ可愛いじゃん!葵くん、センスあるね!」って、キラキラした笑顔で褒めてくれたから、コレはコレでアリかもって思うことにした。
ベッドの上でスケッチブックを抱え、窓から差し込んでくる光に目を細める。
今日はやけに眩しくて、外を見るのがちょっとツラい。
目を細めないと、眩しすぎて空の色すらわからなかった。
点滴の針がいつもよりピリピリ痛くて、腕がちょっと痺れる気がするけど、今日はなんだか元気な気がする。
「悠真さん、この前言ってた夕陽を眺めるデート、いつ行く?いつしてもらえる?できたら今日行きたいなぁ~。美咲さんが、今日は天気いいよって教えてくれたんだ!」
ダメだって言われるのはわかってる。
でも、できるだけ明るく元気な声でお願いしてみる。
「……やっと熱が下がったところだろ?外出は当分禁止だと言ったはずだ」
当然、悠真さんは眉を顰め、感情のない声でオレを拒絶する。
白衣の裾が揺れ、病室の空気が急に冷たくなった気がした。
「嫌だっ!……っ、あ……ごめ、なさい。せ……悠真さんの言う通りだよね。それに、忙しいのに、わがまま言っちゃ、ダメだよね」
自分でも驚くくらい大きな声が出てしまい、慌てて謝る。
しーんと病室が静まり返り、点滴の滴る音だけがやけに大きく耳に響いた。
悠真さんは何も言わなかった。
ただ、その場に立ったまま、苦しそうに眉を寄せていた。
沈黙が怖い。
何も言ってくれないのが、不安で、怒られた方がまだマシだと思った。
『わがまま言うな』って叱られる方が、ずっと楽だ。
でも……何も言ってもらえないと、どうしていいのかわからなくなる。
呆れられちゃったのかな。
めんどくさい患者だって、思われたのかも。
もう……恋人ごっこなんて、終わりにしたいって思われたのかもしれない。
そんな考えが、頭の中をぐるぐる回って、胸の奥がぎゅうっと苦しくなる。
「ご、ごめんなさい。気にしないで……。この前のデート……楽しかった、から……。わがまま言うつもりじゃないから、気にしないで。また、誘ってもらえるの……待ってる。本当に、ごめんなさい……」
胸がぎゅっと縮む。
心臓が痛いくらいドキドキして、お腹の辺りがギューッと痛くなる。
下唇の裏を噛み締め、できるだけ笑顔で謝ったけど、鼻の奥がツーンと痛むせいで上手に笑えない。
軽く噛んだだけなのに、唇の裏が切れたのか、口の中に鉄の味が広がり気持ち悪い。
「ごめ、なさぃ……」
シーツの端をギュッと握り、消え入りそうな声でもう一度謝罪の言葉を口にする。
視界が滲まないように、必死で瞬きを繰り返した。
「……葵」
悠真さんがため息交じりにオレの名前を呼んだあと、ガシガシと後頭部を掻く姿を見て胸が締め付けられる。
あ……呆れられちゃったよね。
わがままなんて言っちゃダメだって、わかってたのに……
やっぱり、もう……おしまいだったのかな……
「ごめん。今の全部なし!忘れて。えっと……オレ、ちょっと横になるね。ちょっと……疲れ、ちゃったから……」
泣きそうな顔を見られたくなくて、悠真さんに背を向けるようにベッドに横になり、シーツを頭から被って顔を隠す。
シーツの冷たい感触が、火照った頬を落ち着かせてくれるけど、胸の奥はズキズキと痛んだ。
また、わがままを言ってしまった。
デートにまた行きたいなんて、言わなきゃよかった。
完全に、嫌われた……よね。
点滴の滴る音が、静かな病室に小さく響く。
涙がシーツにポタリと落ち、小さなシミを作っていく。
1回だけでも、外に連れて行ってもらえたんだから、それだけで満足しておけばよかった……
これ以上を望むなんて、バカみたいだ。
ちゃんと、諦めなきゃいけないのに……
「葵……すまない。まだ、屋上デートは無理だ。ここで……病室内のデートじゃ、葵は許してくれないか?」
悠真さんが困ったような声で訊ねてくる。
悠真さんの言葉に心臓がドクンッと跳ねた。
ウソ……オレとデートなんて、もうしたくないんじゃないの?
恋人ごっこは、もう終わりにしたいんじゃないの?
本当は、もうオレの顔も見たくないんじゃないの?
シーツを握る手が震えてしまう。
「い、いの……?嫌じゃ、ない?」
シーツの隙間から、恐る恐る悠真さんを覗く。
自信なんて、もう欠片も残ってない。
ここで「嫌だが、しかたなくだ」なんて言われたら、涙を抑えられないかも……
シーツを握る手に力がこもるも指先は震えてしまっていた。
「夕陽、ここで見ることになってもいいか?」
久しぶりに見た悠真さんの困ったような優しい笑顔に、勝手に涙が零れた。
ダークグレーの瞳が、まっすぐにオレを見てくれる。
ちゃんとオレを見てくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
「悠真さんが一緒なら、どこでもいい。でも……本当に嫌じゃない?」
掠れた声で、念を押すように聞く。
まだ、信じられない。
本当は、もう一緒にいたくないんじゃないの?こんなオレのこと、見たくないんじゃないの?
「嫌じゃない。葵と一緒なら、夕陽はどこでも綺麗だろ」
悠真さんの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がする。
困った笑顔の端に、いつもの不器用な優しさが滲む。
オレはシーツから顔を出し、ベッドの上で小さく身を起こす。
点滴のチューブに引っ張られて、刺さっている針がチクッと痛んだけど、悠真さんの笑みを見てたら、そんなの気にならなかった。
◇ ◇ ◇
悠真さんが早めに仕事を切り上げ、病室の窓辺に椅子を寄せてくれる。
窓から見える中庭の木々が、夕陽のオレンジ色に染まり、いつもなら閉鎖感しかない病室が特別な場所に感じる。
点滴スタンドの金属がカチャリと鳴り、悠真さんがオレのベッドの角度を調整してくれた。
白衣の袖がオレの腕に触れるたび、爽やかな深緑の匂いがふわっと漂う。
「これで、夕陽、ちゃんと見えるか?」
悠真さんが窓のカーテンを少し開け、夕陽の光が病室に差し込む。
オレンジの光が、スケッチブックの表紙やラビヲの鉢に柔らかく映る。
「うん、すっごく綺麗……。悠真さん、ありがとう」
スケッチブックを膝に置き、窓の外を見つめる。
夕陽が木々の間を抜けて、病室の壁に揺れる影を作る。
悠真さんが隣に座る椅子が、ギシッと小さく軋むも、その音がなんだか安心感を与えてくれる。
「悠真さん……オレ、いつか海に行きたいな」
ふと思いついた願いを、ぽろっと口にする。
スケッチブックに描いた、幼い時に見た思い出の海のページを開き、そっと指先で撫でる。
「真っ白な砂浜を、悠真さんと歩いてみたい。さざ波がオレと悠真さんの足を濡らしながら、砂を流してくれるの。きっと暑いから、途中で冷たいかき氷を買って、パラソルの下で一緒に食べたいな~」
目を閉じて想像の中の浜辺の情景を口にする。
「なんだっけ?海水浴場にある店……えっと、あっ、海の家!海の家で焼きそば食べたい!お腹いっぱい食べて、悠真さんと海辺を散歩したいなぁ……」
絶対に叶わない夢だってわかっているから、願望だけをつらつらと口にする。
「まぁ、無理なんだけどね。オレの身体じゃ砂浜を歩くのはむずかしいし、車椅子だと車輪が埋まっちゃうから」
自分で言った妄想にツッコミを入れるようにクスクス笑いながら話す。
自分でもわかっている。
こんな身体で、海なんて夢のまた夢だ。
「なら、俺が葵をおぶって歩いてやる。葵は軽いから、背負って走ることもできるだろ?」
悠真さんの自信に満ちた声が病室内に静かに響く。
「ぇ?」
驚いて顔を上げると、悠真さんはオレの顔をジッと見つめていた。
ダークグレーの瞳が、オレンジの光に揺れて、いつもより柔らかく見える。
「え、ほんと?悠真さん、オレのこと、背負ってくれるの?」
思わず身を乗り出すと、点滴のチューブがオレを抑制するように引っ張られる。
「コラ、大人しくしてろ。ズレてないか?」
悠真さんがクスッと笑い、点滴の針が抜けていないか確認してくれる。
屋上で不器用ながらも優しくしてくれたときの悠真さんと重なり、胸がキュンッと高鳴る。
「約束してやる。海に散歩に行くのも、屋上に夕陽を見に行くのも……。葵のやりたいこと行きたい場所、全部一緒に行ってやる」
その言葉に、胸が温かくなる。
悠真さんの温かい手がオレの冷たい手に重なり、引き寄せられる。
悠真さんの瞳、海の底みたいに光が差したみたいで綺麗。
ずっと、この瞳にオレを映していて欲しいなぁ……
「葵……」
悠真さんの声が、愛おし気にオレの名前を呼んでくれる。
悠真さんの柔らかい唇が、乾いてカサカサのオレの唇と重なる。
病室の窓から見る夕陽は、屋上ほど広くはないけど、悠真さんが隣にいるだけで、なんだか世界で一番綺麗な景色に感じた。
「悠真さん……ありがとう。オレ、こんな時間がずっと続けばいいなぁって、思っちゃった。ずっと、ずっと……続けば、いいなぁ……」
夕陽が地平線に沈むまで、オレたちは病室で静かに光を見つめた。
この小さな幸せが、ずっと続けばいいのに……
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