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第16話 デートの約束
病室の窓から差し込む光は、午後の柔らかい金色だった。
最近は天候に恵まれているのか、温かな陽射しが病室内にも降り注いでいる。
窓の外では、木々の葉がそよ風に揺れて、壁に淡い影をチラチラと落としているように見えた。
点滴スタンドの金属が陽光を反射して、病室の白い壁に影を落とす。
光の揺れがまるで海の波みたいで、見ているだけで海への憧れが増していく。
スケッチブックに色鉛筆で線を刻むたび、点滴のチューブがカチャリと小さく鳴る。
モコモコの真っ白な雲は、まるで誰かが空に浮かべたふわふわの綿菓子みたい。
こんな雲、もし海の上に浮かんでたら、どんな色になるんだろう。
甘くて、舌にのせた瞬間、シュワッと消えそうなふんわりした見た目に、ついゴクリと喉を鳴らしてしまう。
オレもいつかそんな絵を描きたいな。
スケッチブックいっぱいに、青と白と、夕陽のオレンジを混ぜて……。
「フフッ……葵、おやつは控えろって言ってるだろ?」
無我夢中で絵を描いてたせいで、入ってきた悠真さんに気付かなかった。
「わ、わかってるよ!オレ、そんな食い意地張ってるわけじゃないから……」
恥ずかしいところを悠真さんに見られてしまい、恥ずかしくて顔が熱い。
プイッと顔を背けてみるものの、やっぱり悠真さんの顔は見たくて、チラチラと横目で見てしまう。
「葵、調子はどうだ?」
いつもの無愛想な顔をしながらカルテをめくり、何かメモを書き足している。
悠真さんの視線はカルテに落ちているけど、時々オレの方を見てくれる。
その目は、以前と同じ優しいものだった。
悠真さんの視線が、ほんの一瞬オレのスケッチブックに止まる。
雲の絵、ガタガタになっちゃったから悠真さんに見られたくないかも……
上手に描けなかった絵を隠すように、そっとスケッチブックを閉じ、悠真さんの目から隠した。
「べ、別に……今日は調子いいよ?」
なんとなく素直になれなくて、オレはそっぽを向いたままぶっきらぼうに答えた。
でも、悠真さんがオレの方に近寄ってくると、ふわっと深緑の匂いが漂ってきて心臓がドキドキする。
あの夕陽の日のキスとか、温かい手の感触を思い出してしまい、顔が熱くなっちゃう。
「ん?本当に大丈夫か?葵、顔が赤いが……熱は、ないみたいだな」
オレの体温を測るように、悠真さんがオレの額に触れてくる。
ひんやりした悠真さんの手の感触が、熱っぽい頬をスッと冷やしてくれるのに、心臓がドクドクうるさい。
心臓の音、悠真さんにバレちゃいそう……
「んっ……別に、大丈夫。ほら、左手、ちょっとだけ震えがマシになった気がするよ!」
オレは慌てて悠真さんから少し離れ、わざと明るい声で言いながら手を振る。
本当は、鉛筆を持っても力が入らない。
まっすぐな線を引いたつもりでも、力が入らなくてへにょへにょな線になってしまう。
まぁ、今日描いた雲ならこれでもいいと思うけど……
でも、これから描く絵が全部そうなっちゃうのは……嫌だな。
悠真さんがベッドの横に立って、いつもの健診が始まる。
体温計をピッと当てたり、点滴の針をチェックしたり、オレの手首を握って脈を図ったり……
いつもと変わらない光景のはずなのに、なんかちょっと緊張してしまう。
悠真さんの白衣の袖がオレの腕に触れるたび、ひんやりした布の感触と一緒に、悠真さんの匂いが鼻をかすめる。
悠真さんがそばにいるから、こんな普通の瞬間でも、特別な時間に変わるのかな。
「……左手、確かに少しは力が入るようになったみたいだな。だが、無理はするなよ。絵を描くのはいいが、長時間はダメだ」
悠真さんがカルテに何かを書き込みながら、チラッとオレの方を見てきた。
あの夕陽を見た日、悠真さんが『葵と一緒なら、どこでも綺麗だろ』って言ってくれた言葉が、頭の中でぐるぐるしてる。
「ねえ、悠真さん……さ。この前、夕陽を一緒に見たじゃん?病室の窓からだったけど……また、いつか見たいなって、思ってるんだけど……」
オレはシーツの端をギュッと握りながら、ポツリと呟く。
ほんとは『またデートしたい!』ってハッキリ言いたいけど、そんな勇気はまだない。
悠真さんはお医者様で、オレ以外の患者さんも診なきゃいけないから、本当はすっごく忙しい。
だから、オレなんかのわがままに付き合う時間なんて、本当は全然ないんだって、頭の隅ではわかってるんだけど……
あの夕陽の日のキスや、悠真さんが『海へ散歩に行くのも一緒に行ってやる』って言ってくれた。
悠真さんとの約束を思い出すと、それだけで、どうしても我慢できなかった。
もっと、オレのことを見て……
オレと一緒にいて……
オレに……悠真さんの時間をもうちょっとだけ、ください……
こんなわがまま、絶対口にしちゃダメだけど、思うだけなら……許して欲しいなぁ……
「あ、すぐにってわけじゃないから気にしないで?悠真さんが忙しいってのはわかってるから……。ただ、また、いつか……行きたいなぁ~って、思っただけ……」
言った瞬間、後悔した。
まただ……
期待しないって決めたくせに、悠真さんが少し優しくしてくれるだけで、すぐ勘違いしちゃう。
無意識にシーツを握る手に力が入ってしまう。
もしここで、『忙しいから無理だ』って言われたら——
そう思っただけで、胸の奥が痛くなった。
わかってる。
オレのこの気持ちはわがままだってことくらい、ちゃんとわかってる。
それでも、あの日一緒に見た夕陽が綺麗だったから……
また、隣で笑って欲しいって思ってしまった。
悠真さんが小さくため息をついて、後頭部をガシガシ掻く様子に胸がズキリと痛む。
やばい、絶対呆れられた!
やっぱり、わがままなんて言わなきゃよかった。
こんなオレの願い、聞いてくれるわけないよね。
「……葵。俺はこの後手術の予定が入っているんだ……。日没に間に合うか、わからない。……それでもいいのか?」
悠真さんの困ったような声が聞こえ、オレの頭をそっと撫でてくれる。
「できるだけ間に合うように早く終わらせるが……遅れたらごめん」
悠真さんの顔を見ると、目尻も眉も下がって、困った笑みを浮かべていた。
悠真さんの困ったような笑みを見た瞬間、胸がキュンッとする。
ウソ……来てくれるって、言った?
また、夕陽を一緒に見てくれるって言ってくれた?
え、ちょっと待って。これってデート、してくれるってこと?
そうだ、この人、こういう人だ……
オレの『普通の恋をしてみたい』なんて、バカみたいなわがまますら、ちゃんと聞いてくれる優しい人なんだ……
「……うん。悠真さんと一緒に見れるなら……デートして貰えるなら、何時間でも待つよ」
オレは涙を目尻に溜めながらも精一杯の笑みを浮かべ、そう答えることしかできなかった。
胸がドクドク鳴って、喉が詰まるけど、こんな幸せな気持ち初めてかもしれない。
悠真さんが「よし、じゃあ約束だな」って、いつもの不器用な笑顔で頷いてくれる。
優しい先生。
本当の気持ちは何も教えてくれないくせに、オレのわがままだけは叶えてくれる。
優しくて、ずるい先生。
だから、変に期待しちゃうんだよね……
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