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第17話 美咲さん
オレ以外誰もいない病室に、美咲さんが今日もこっそりとやってきた。
いつものキラキラした笑顔だけど、今日は一段と好奇心が勝っているような、興味津々な様子だった。
「葵くん、葵くん!聞いたよ~!佐藤先生と夕陽デートするんだって?めっちゃロマンティックじゃん!やったね!念願の夕陽デート♪」
なんだかいつもよりもテンションの高い美咲さんの弾む声に、オレの心臓もドキッと跳ねる。
夕陽デートの話、誰から聞いたんだろう?
まさか、悠真さんが自分で言ったわけじゃ……ない、よね……?
「み、美咲さん、なんで知って……ってか、なんかテンションおかしくない?もしかして夜勤明け?」
慌ててデートの話題から話を逸らそうとしたが、美咲さんの目の下にはくっきりとしたクマができており、明らかに寝ていないのが伺える。
よく見ると白いナース服の裾が少しシワになってて、いつもよりちょっと疲れた雰囲気だ。
でも、美咲さんはいつもの笑顔……いや、いつもよりなんかギラギラした笑顔をしているように見える。
「え~、そんなことないよ~。ちょ~っと、色々立て込んでて……。昨日帰る直前に急患が出たり、朝帰ろうとしたら緊急対応があったり、さっきまで暴れる患者さんとバトルしたり……ホントに、疲れた……」
急にオレのベッドにぐったりと倒れてきた美咲さんに驚いたものの、本当にお疲れな様子に無意識に頭を撫でてしまう。
美咲さんの髪、いつもサラサラなのに今日はちょっと汗で湿ってる。
こんな忙しくて疲れてるのに、オレと悠真さんがまたデートするって聞いて、オレのとこに来てくれたんだ……
申し訳ない気持ちと、嬉しい気持ちがぐちゃぐちゃに混ざる。
「美咲さん、お疲れ様。じゃあ、帰る前なのにオレのところに来てくれたの?」
疲れた表情を浮かべていた美咲さんが、プルプルと震える手でサムズアップしながらオレの方を見てくる。
「当然!だって、葵くんが堅物先生とまたまたデートするって聞いたら、アドバイスしてから帰らなきゃダメでしょ!」
疲れ切っているはずなのに、その声はウキウキとしていた。
美咲さんの目がキラキラ光ってて、まるでオレのデートを自分のことみたいに楽しんでるみたい。
こんな風に誰かに応援してもらえるのが嬉しくて、胸の奥がじんわり温かくなる。
「ほら、今日も天気めっちゃいいから、屋上で夕陽なんて見たら色々盛り上がっちゃうでしょ?キス以上のこともできちゃうかもよ?」
ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべながら、美咲さんが大きな声で言ってくる。
その言葉に、この前また悠真さんがキスしてくれたのを思い出し、顔がカーッと熱くなる。
悠真さんの温かい唇、オレのこと愛おしいって感じで見てくれたダークグレーの瞳。
「み、美咲さん!大声で言わないでよ!まだ、約束しただけだし……悠真さ……先生、忙しいから、遅れるかもしれないって言ってたし……。そ、それに、キス以上のことなんて、絶対ないから!」
オレは顔を真っ赤にして、美咲さんの口を手で塞ごうとしたけど、スルリと逃げられてしまった。
ベッドの上で身を乗り出したせいで、点滴のチューブがピリッと引っ張られて、ちょっと痛い。
でも、そんなの気にならないくらい、恥ずかしさで頭がいっぱいだ。
「ほらほら~、本当はいっぱいイチャイチャしたいんでしょ?エッチなこともして欲しいんじゃないの~?」
寝不足もたたってか、美咲さんの言動がちょっと下品に感じる。
美咲さんがベッドの端に座って、ニヤニヤしながらオレの肩をポンポン叩く。
なんか、おじさんみたいなノリに笑っちゃいそうになるけど、恥ずかしさの方が勝っちゃって、どうしようもない。
「も、もぉ~、そんなことないよ!美咲さん、疲れてるんだから早く帰りなよ!」
真っ赤な顔でぷくぅ~っと頬を膨らませ、美咲さんを早く追い出そうと声をかける。
スケッチブックをギュッと抱きしめて、なんとか気持ちを落ち着けようとするけど、美咲さんのニヤニヤした顔を見たら、余計にドキドキしちゃう。
「はいは~い、私は帰りますよ~。でも、大丈夫だって!佐藤先生は、絶対葵くんとの約束は守るから」
さっきまでのおちゃらけた表情が一転し、優しくも真剣な眼差しで言ってくれる。
「あの人、見た目クールで堅物だけど、一度約束したことはちゃんと守る人だから」
美咲さんがニコッと笑って、オレの肩をぽんと叩く。
「だから、葵くんは余計な心配しないで、楽しみに待ってなさい!」
「……うん」
そう返事をしながらも、胸の奥が少しだけ温かくなった。
どうして美咲さんは、いつもそんなに自信満々なんだろう。
「ま、佐藤先生が葵くんの隠し撮り写真を見てるときの顔、私は結構好きなんだよね~♪」
え?
なんか、今、聞き逃しちゃダメな話があった気がする。
「ちょっ!美咲さん、今なんて言ったの?」
「な~いしょ♪」
オレが慌てて聞き返したけど、美咲さんは悪戯っぽく笑うだけで、それ以上は何も教えてくれなかった。
「うぅ……気になる。でも……ありがと、美咲さん。じゃあ、オレ待ってるよ。悠真さんが来るまで、ずっとここで待ってる!」
オレはスケッチブックを開いて、美咲さんに買ってもらった色鉛筆を手に笑顔で声をかける。
今のオレじゃ、夕陽の絵を描くのもむずかしいかもしれない。
悠真さんの横顔、もうずっと描けてないや……
でも、待っている間に練習しようかな。
悠真さんが夕陽を眺めてる時の顔、あの時の顔、描きたいから……
色はどうしよう……
どんな色で描こうかな?
悠真さんのことを考えているだけで、ワクワクする。
スケッチブックにそっと青とオレンジを塗りながら、あの夕陽の日の悠真さんの笑顔を思い出す。
ダークグレーの瞳が夕陽に揺れて、ちょっとだけ柔らかく見えたあの瞬間。
もし、あの顔を描けたら、どんな色を使おうかな。
海の色みたいな深い青?それとも、夕陽のオレンジ?
でも、こんな震える手じゃ、うまく描けないかもしれない。
それでも、描きたいって気持ちが胸の奥でどんどん膨らんでいく。
「じゃ、お姉さんは帰るから!今度ゆっくりデートの感想聞かせてね。でも、ぜ~ったい無理はしちゃダメだからね!」
美咲さんは最後にしっかり念押ししてから帰って行った。
前回、体調を崩したのを隠して無理をしたことを、めちゃくちゃ怒ってたから……
美咲さんのナース服の裾がドアの向こうに消えるのを見て、ちょっとだけ寂しくなる。
でも、美咲さんの『無理しちゃダメ』って言葉が、なぜか胸に引っかかった。
病室に静寂が戻り、カチカチと時計の音が大きく響く。
点滴の滴る音まで、やけに大きく聞こえる気がした。
なんだろう……
さっきから、少し身体が熱い。
熱を測るほどじゃないけど、でも……胸の奥がじんわりと火照ってるみたいで落ち着かない。
喉も少し渇く。
窓から吹き込む風は涼しいはずなのに、首筋にうっすら汗が滲んでいた。
「……気のせい、かな……」
ここ数日、体調は良かった。
だから、大丈夫だと思いたい。
そう思っていたのに、お腹の奥が小さく疼くような違和感だけは消えてくれなかった。
窓の外を見ると、夕陽が少しずつ空をオレンジに染め始めてる。
木々の影が長く伸びて、病室の壁に揺れる光が、なんだか海の波みたいに見えた。
胸の奥のざわつきを振り払うように、無心でスケッチブックに青とオレンジを混ぜた空の色を塗り殴った。
どれだけ力を入れて色を塗っても、今のオレじゃそんなに濃くは色を描けない。
はっきりとした色にしたいのに、描いているうちに涙で視界が歪んでしまう。
こんな身体なのに、悠真さんと夕陽を見たいなんて、欲張りすぎかな。
海に行きたいとか、悠真さんの横顔を描きたいとか、全部無謀なことなのかな……
でも、悠真さんが『葵と一緒なら、どこでも綺麗だろ』って言ってくれた言葉が、今でも頭の中でキラキラ光ってる。
スケッチブックのページをめくるたび、震える手で描いたガタガタの線が目に入る。
こんな絵でも、悠真さんとの思い出が増えるなら、それだけでいいのかなって、ちょっと思えた。
窓の外の空が、だんだん紫に変わっていく。
カチカチと時計の針が動く音が、なんだかオレの心臓の鼓動と重なって、ドキドキが止まらない。
「悠真さん……ちゃんと、来てくれるよね」
シーツをギュッと握りながら、オレは小さな願いを心の中で呟いた。
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