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ろくでもない酒
冷蔵庫には炭酸水のペットボトルがあるんだけどもうその扉を開くのもめんどくさい。めんどくさいけどさすがに氷がないのはきつい。仕方ないから製氷室の引き出しを引っ張る。スコップに山盛り氷をすくってロンググラスに突っ込む。縁からはみ出た。別にいいや多い分には。
グラスを持ってソファに戻ろうとするだけで床がぐらぐら揺れる。酔っぱらってることがわかる程度には酔っぱらってない。ただまあちょっと飲んではウイスキーを足してなんとなく炭酸を入れてを繰り返したから何が何だかわからなくなってる感はある。大丈夫脚がもつれるほどじゃないので。全然普通にソファに座れたので。
テーブルに置いていたウイスキーの瓶を取って蓋を開けて中身をグラスに注ぐ。縁ぎりぎりまで。ぎりぎりまで? 氷溶けたら溢れるんじゃないのか。というかもう傾けたら溢れそうなくらいなのでまっすぐ立てたまま唇をつける。吸い込む。喉に引っかかる。噎せる。噎せた勢いで結局テーブルにこぼれる。あーあーあー。拭かないとなあと思うけどティッシュはテーブルの向こう端にある。まあいいかそのうち乾く。
もう一口飲む。最初薬くせえなあだったはずなのになんかだんだん甘い気がしてきた。変な話だ。まあでも甘い方がいいつまみはもうとっくにない。飲む。全然減らない。グラス一杯飲み干すのにどれくらいかかるんだろう。というかそういえばそもそもロックってこんな長いグラスでやるもんじゃなかった気がしてきた。でもそうだあの人の使っていたような背の低いグラスなんかうちにはない。ティーカップとか。もちろんそんなものもうちにはない。
あの人が背の低いグラスで酒を飲んでいたのは覚えているんだけど飲んでいたのが何て名前の何なのかはちっともわからない。ちゃんと聞いておけばよかったんだろうけどあのときはここまでこうなる予定じゃなかったから仕方ない。あれが最初で今のところ最後で何飲んでるんですかと聞く機会は以来回ってこない。お子さんが上は小四下は小一奥さんはいないので。お母さんはいる。お母さんがどんな感じなのか全然知らないけど終業後の歓迎会に来れたんだから一切頼れないわけじゃないに違いない。奥さんいないのは都合のいいことだ。それは喜ぼう。喜んでいいものか。それがあの人にとってどのくらいの不幸なのかどうなんだか知らないので下手なことを言うわけにいかない。言うわけにいかないけどそれは人前での話で今は一人で楽しく酔っぱらってるんだから何考えたってかまわない。
人前でも何もあの人がいま現在結婚していないことを喜ぶ会話なんていったいどこで発生するんだろう。あの人に直で言うのはヤバすぎる。ヤバすぎて始まる前にことが終わってしまう。始まる前にってなんだ始まることを期待してるのか。それはそうもちろんだって傍で見ていられれば十分だと殊勝ぶるにはあまりにしっかり生身の体がある。生身のおっさんの体があるなかそれぶら下げてあああの人いま独身なんですってね好都合ですねと職場で言い出したらそれはもうキモすぎる。キモいし意味がわからなすぎる。意味わかってくれるほど親しい人間は職場にいない。と言って職場の外にもいない。あれなんかこれ別件だけどまず根本的に俺寂しいやつすぎる。
あの人も意外と寂しかったりしてくれないもんだろうかそうだったりしてくれるとつけ入る隙もあるだろうに。つけ入る隙とかいう言葉選びそのものが人権意識の低さとまでは言わないまでも他人を尊重する意識の低さを表している気がする。あの人にはあの人の生活があり家族があり人生があるのにそこに自分を差し込もうとしている。差し込んであの人の形をいったん壊そうと目論んでいる。俺がいることを前提とした形に作り変えようとしている。言葉にすると信じられないくらい図々しいというかもうそれ飛び越えて暴力的な気までするけどでも世の中のうちそこそこの割合の人がそういうことをするか少なくともしようと画策するか最低でもしたいと思いはするんじゃないだろうか。誰かと一緒にいるってそういうことでそういうことなのをお互いに了解しあって一緒になるもんじゃなかっただろうか。ここしばらく人と一緒にいなかったからよくわからない。ここしばらくっていうのは見栄だ。結構長いこと。
めっちゃ薄。なんだこれもうだいたい水か。すげえなあんなにあったのに。
もう立つのもだるい。まんま入れて飲めばいいや。あー蓋してなかった。助かる。
結構長いこと人と一緒にいなくていたいなあという気持ちもそんなには起きなくてこれはこのままなあなあで死ねるんじゃないかと思い始めたところでこのざまだ。別に一目見るなりすとんといったわけじゃない。別に好みなわけじゃないというかそもそも自分の好みっていうのがこの年になってもよくわかっていないので好みなんだかどうだか判断ができない。できないけどとりあえず最初からそうだったわけじゃないことだけ自信がある。せっかく自信があるのになんだってこんなことになってしまったんだろう。俺の人生に一切全く何の関係もないどうでもいい仕事の話ですらあの人とすると特別なものになってしまう。業務外の無意味な話なんて二言三言できた日にはろくに眠れなくなってしまう。くだらなすぎる。くだらなすぎるけどどうかこっちを見てくれないもんかと思い続けている。見てくれないもんかと。そうあの人がこっちを見ることがあり得るかという話だ。理論上ゼロパーセントじゃない。それは確かだ。ゼロパーセントじゃない。そこに希望を見出していいのかという話だ。希望を見出す。えらく大仰な言葉だ。大仰な言葉を使いたくなるくらい難しいことだあの人に見てもらうのは。全然ちっとも一切とっかかりがない。他人に興味を持ってもらうためには何をどうやったらいいのかもう全部忘れた。今までのあの片手で数えられるだけの人間たちはいったい俺の何がよくてやってきて何が悪くて出ていったのか少しもわからない。わからないから再現できない。来てもらうところだけ再現していなくなるところは防がないといけないわけだけれどもうどう考えても難しすぎる。あの人の方こそ俺を一目見るなりすとんといってくれていないだろうかとあり得ない妄想までしてしまうくらいだ。理論上はあり得なくないけれど実質あり得ないと俺は思う。あり得ないと思うと泣けてくる。泣けてくる? 冗談じゃない。他人に振り回されて泣いたりなんか二度とするかと思ったのを忘れたか。忘れてた。だってあれもう何年前だ。置いて行かれてびすびす泣いた。飲めない酒を飲んで泣いた。飲めないは言いすぎだ。少しは飲める。その少しを少し超えて飲んで泣いた。思い出してきた。飲んで泣いて泣いて飲んで翌日ものの役に立たなくてもう絶対二度とこんな泣き方するもんかと決めたんだった。決めたのに泣けてきている。捨ててもらう前にことが始まる前にもう泣いてしまう。マジか最低だ。最低だけどどうにもならない。すげえほんとに涙出てきた。最低だ。
泣く必要なんかないってあの人に言ってもらえないもんだろうか。
キモすぎ。げろ吐きそう。
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