10 / 10

小さい変な色の魚

 夜風が吹く。秀樹さんは、わ、と言って、紙コップに口をつけてホットコーヒーを啜る。どうも飲み物を飲むとき右を見る癖があるようで、その隙に、俺は彼の鼻を見る。初めて写真を見たときにああいい顔だなあと思った。その理由はこの、すっきりとした眉や目や口の間にあって一つだけ高くそびえている鼻にあることに、今ではもう気づいている。  見ていることがばれるとあまり具合がよくないので、頷きながら言う。笑っているつもりだ。 「ねえ、ネタ切れですよね」  秀樹さんがコップをテーブルに置く。ホットを買っていたので寒いですかと聞くと、いいえ全然と返ってきた。でもきちんとスーツを着ているし、ネクタイだって締めている。俺はなんで上着を着ていないんだろう。 「そうですね。カフェ行って、ランチ行って、夕飯行って」 「行きましたね」 「俺も、これで引き出し空です」 「困りましたね」 「困りました」  笑っているつもりの顔のまま、ストローでアイスラテを吸う。秀樹さんはコップの側面を右の手のひらで撫でる。俺はポケットからスマホを取り出す。 「Googleに聞いてみます」  秀樹さんの眉が持ち上がる。 「四十代 デート 四回目、で?」 「四十代 デート 四回目、で」  画面の上で指を滑らす。検索画面のトップでAIが言う。四十代のデートは、如何に上質な体験を共有するかが鍵です。もしかして、今どきこういうことはAIに直接聞くのが正解なんだろうか。人工知能に恋愛相談している自分の姿を想像すると恥ずかしくてたまらない。Googleならいい、というのが我ながら幾分謎だけれども。  検索結果をスクロールして、目についたリンクを開く。定型化されたリード文を読み飛ばす。言う。 「夜景」  秀樹さんが首を傾げる。 「夜景ですか。ご覧になることは?」 「そうですね、山からのなら旅先で。車かロープウェーで登るんで、歩きませんけど」 「なるほど。意外です」 「と言いますと」 「失礼ながら、一人旅というともうすこしこう無骨というか、より言葉を選ばずに言えば、多少過酷なものを想像してまして」 「ああ。いや、そこまで弾丸貧乏旅ガチ勢みたいな感じではなくてですね」 「そうですか。想像が偏っていてすみません」 「いえいえ全然。ああ、それでそちらは、夜景は」 「最後に見たの、学生時代かもしれません」  誰と見たんですか、と聞くのはもっとずっと先か、もしかしたら永遠に聞かない方がいいのかもしれない。 「あとは、二人で一緒にできるちょっとした体験、アクティビティもおすすめです、とのことです」 「アクティビティってなんですか? ダイビング?」 「も、含まれるみたいですね。挙がってます、ダイビング」 「シュノーケリング、カヤック、SUP。水ばっかり。想像力が貧困ですね」  そうですね、と言っていいわけがない。いえいえ、とまた言う。笑えている。 「ハイキングとかガラス工芸とかいちご狩りとか、そういうのも全般幅広くアクティビティだとこのページは言っているんですけど、なんかしてみたいことって」 「あるような人間だったらよかったんですけどねえ」  年齢と居住エリアのフィルタリングを通り抜けて写真が表示されて、いい顔だな、と思ったあと、休みの日は家でゆっくりしています、と書いてあるのを見て、堂々たる態度だなと感心した。ランチの席で、あれは無趣味のマイルドな言い換えですと言われてますます感心した。 「もしくは季節のイベントでもいいそうです。花見、は終わりましたね。花火」 「学生時代以来ですね」  誰と見たんですか、と聞いて答えが返ってきたとき、あんまり気持ちのいい顔はできないかもしれない。俺は小学校のとき家族で見たっきりですと言いそうになって呑み込む。花火。花火。代わりに言う。 「でもちょっと先過ぎますかね、花火は」 「そうですか? 席ってもう取らないといけなかったりしないんでしょうか」 「え。ああ。なるほど」  ブラウザのタブを増やして、検索窓に、近隣で開催される花火大会として唯一思い当たる、要するに一番混み合うだろうイベントの名前を入れる。席 いつから。また検索トップでAIが言う。今年の申し込み開始日は七月一日です。画面を秀樹さんに見せる。 「だそうで」 「へえ。三ヶ月とか半年とか前に一生懸命とるものだと思っていました。どこで聞きかじったんでしょうね」 「前ご覧になったときは、有料席取りました?」  何でそこに話を戻してしまうんだ。 「まさか。日の高いうちから場所取りです。というかそういうもんじゃありませんでしたか、二十何年前は」  俺は場所取りしたことないです、父親の担当だったので。花見も花火も、人のために場所を取ったことは。 「そうですか」  口を閉じてからしまったと思う。会話が途切れてしまう。秀樹さんはなんということもない顔でコーヒーを啜っている。焦って口を開く。 「まあとりあえず、花火もいったんなしですかね」 「そうですね。次々回以降の候補でしょう」 「はい。え」  次々回、とオウム返しをしようにも、秀樹さんが本当になんということもない顔をしているのでできない。笑いながら言葉を繋いでみせるしかない。 「うーん、そうなるともうあれですかね、館のつくところ」 「館のつくところ」 「美術館、博物館」 「なるほど。ちなみにいらっしゃることは」 「あります、行った先にあれば。結構好きです」 「そうですか。ご一緒するとご迷惑じゃないですか」 「え、なんでですか」 「お一人で行かれて楽しい場所に他人がついていって大丈夫かと。ご旅行だってお一人がお好きでしょう」 「いや確かにソロ旅行は大事な趣味ですけど、どこに行くにも一人じゃないといけないとは思っていなくてですね」  あ、今から余計なことを言うな、と思った。そのまま口が滑る。 「生きてく上で、二人でどこかに行ける人もいたらいいなと思って、それでできればあなただといいなと思って、そういうあれで今お話ししてるんですけど」  俺は息を飲み込んだ。秀樹さんはコップをテーブルの端にどけた。ちょんと頭を下げてきた。 「すみません、失礼を申し上げました」 「いや全然、そんなでも」  自分の顔を触ってみる。笑顔が完全に崩れているのがわかる。代わりに秀樹さんが笑う。 「でしたら取り急ぎ行きましょうか、館のつくところ。夜景やダイビングよりはビギナー向けという気がします。花火の準備運動にもなるかもしれません」 「花火」 「ええ、花火」 「花火、いえ、えっとじゃあ、何館がいいですか」  無趣味ですと言い切る人に選択権を渡すのは却って勝手なんだろうか。そうかもしれない。そうだったら困るのでまた言葉を繋げようと口を開きかける。秀樹さんが言う。 「水族館がいいです」 「え。行かれたり」 「全然しません。でも、小さい変な色の魚が見たいなと今急に思いました」  そんなこと今急に思うことあるのか。びっくりしている場合じゃない。テーブルにスマホを置く。秀樹さんからもちゃんと見えるように。席 いつからのタブの検索窓に指を置く。水族館 小さい変な色の魚。AIが言う。「小さい」「変な色の魚」というと、鮮やかな蛍光カラーやメタリックな輝きを持つものが挙げられます。近隣のエリアでそうした魚たちに出会えるスポットをご紹介します。秀樹さんが言う。 「こういうのって、今どきは直接AIに聞くものなんですかね」 「聞いてみたことあります?」 「ないです」  この話はこれ以上広げなくてもいい気がする。AIが一番に挙げた名前を指して尋ねる。 「ここ知ってますか」 「名前と、あとあんまり遠くないことしか知りません」 「俺もです。小さい変な色の魚がほんとにいそうだったらここにしましょう」  リンクの貼られたテキストをタップする。サイトトップはクラゲの水槽を背景に男女が見つめ合っている写真。何となくだけれど、小さい変な色の魚、いそうな気がする。秀樹さんを見る。秀樹さんが俺を見る。 「これも学生時代以来な気がします」  誰ですかその学生時代の相手、と聞けるだけの人間、もしくは聞かなくても平気でいられるだけの人間になるには、まだずいぶんと時間がかかる気がする。

ともだちにシェアしよう!