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次の朝(後編)
終電はあるけれどもういい時間には違いないからちょっと先のコンビニに向かうだけでも仕上がった酔っぱらいと何度もすれ違う。大学生ともおっさんともいくらでも。
「やー懐かしいなー酒買って帰るこの感じ」
仲本がでかい声で言う。独り言なんだか俺に言っているんだかよくわからないけれどまあなんにしたって俺は聞いてる。聞いてないことなんてないし忘れることだってない。聞いてないことなんてないし忘れることだってない。
腹の底が冷たくなって立ち止まる。
「なにどした」
「なんでもない」
歩き出す。そうだ、俺は仲本の言ったことを聞き逃さないし忘れない。その点酔っぱらった仲本は集中力がないので、俺の言ったことなんて正しく理解しているはずがない。大丈夫だ。
コンビニは明るい。そしてやっぱり酔っぱらいがたくさんいる。仲本は当たり前みたいにかごを持つ。まっすぐ酒の冷蔵ケースの前に行く。俺はそこに並んでいるものをほんの一瞬確認して扉を開く。ハイボールのロング缶を一本、度数七パーセントのレモンチューハイ、ロング缶を一本。それから。
「強いなあ」
仲本はハイボールのロング缶を一本、五パーセントのグレープフルーツチューハイのロング缶を一本取る。かごに入れる。俺も入れる。
「似たようなもんだろ」
振り返る。常温の酒の棚がある。この店は割と品ぞろえがいい。サワーの素、赤ワイン、焼酎、ジン、ウォッカ、ウイスキー。一番下の段の、プライベートブランドのロゴがついた一升の日本酒パックを屈んで取る。後ろについてきていた仲本に渡す。仲本が言う。
「俺チーかまほしい」
惣菜の方に歩いていく。俺は酒の隣に並んだ乾き物を眺める。カルパスと燻製さきいかを取る。かごがないので握ったまま歩く。カップ麺の棚に行き当たる。
「えーなに、三田そんなの食べんの」
仲本が寄ってくる。俺はかごの中身を見る。チーズかまぼこ、生ハム、かっぱえびせん。
「食べるよ」
目の前にあったでかいカップヌードルを、カルパスとさきいかと一緒にかごに放り込む。
「じゃあ俺も」
仲本はどん兵衛をかごに入れる。
「にしても重」
「液体三千八百ミリ入ってるからな。袋二枚いるわ」
レジで、ちゃんと袋を二枚買った。店員に酒を一つにまとめられそうになったので、分けてくださいと俺が言った。仲本が缶の酒とつまみを全部持った。俺は日本酒とカップ麺を持たされた。
歩きながら、まだ飲んでいない缶ハイボールの味を舌の上で転がす。早く飲まないといけない。仲本は口を閉じない。
「かっぱえびせんさたまに無性に食いたくならね?」
「最後に食ったのいつだろ」
まだ二十代の仲本と部屋で食べた。
「まじ? めっちゃアテよ」
風が吹く。仲本がん、と笑う。
「風あればかなりマシだ」
「そうな、風涼しいわ」
冷え切ってしまっているくらいだ。
「でもほんとの夏になるとこの感じも全然なくなるんだろな。毎年忘れてて新鮮にびっくりするけど。また猛暑日ばっかりになんのかな」
「ならんわけないな」
「でも猛暑日ってさ、なかったろ昔は」
「二〇〇七年予報用語改正。角ハイブームとだいたい同期。猛暑日のがちょっと先輩」
「詳し」
日本酒を入れた袋の持ち手が指に食い込む。本当に早く飲みたい。飲んで押し流さないといけない。
部屋の扉を開けて明かりをつけた。
「やっぱ汚くない。きれいでもないけど」
「どうも」
ソファの前のローテーブルに袋を置く。仲本も置く。俺はリモコンで冷房を入れる。冷房の方を見ながら聞く。
「酒冷やす?」
「いやもうよくね。立つのめんどくさいし」
そう言うだろうなと思った。
「じゃあグラスだけ持ってくるわ」
「ありがと」
仲本が袋の中身を出している音を聞きながら、キッチンの食器棚からグラスと皿を二つずつ出して戻る。テーブルの上に酒とつまみとカップ麺、それから割り箸が並んでいる。持ってきたものをそこに加える。仲本はラグに直に座ってソファにもたれかかった。
「え、そっち?」
「地べたの方が楽な気分なの。おまえはソファ座ったらいいよ」
仲本を見下ろしたくないと思った。仲本の右、少し距離を空けて横並びでラグに座った。ハイボールに手を伸ばす。仲本の手も同じように伸びる。二人とも缶を持って、開ける。口をつける。この味だ。喉を鳴らして飲み続ける。
「一気にいったな」
言われて手を止める。三分の一近く飲んでいた。仲本は缶を置いて、かっぱえびせんを拾い上げる。
「食べよ。ほんとにうまいから」
袋の端を掴んで、縦に裂いて開ける。仲本は上のところを引っ張って開けるのが下手だ。久しぶりに見た。
「ほら」
差し出された袋に手を突っ込む。三本つまんで、まとめて口に入れる。
「わ、海老」
「だろ」
「こんな海老だったっけかっぱえびせん」
「こんな海老だったのよ。それがイケる」
塩気が入って酒が進む。缶がどんどん軽くなる。気がついたら空だった。テーブルに戻して、今度はレモンチューハイを開ける。
「大丈夫?」
「何が?」
「酒。ペース」
「大丈夫大丈夫。酒まだまだあるし。台所にも」
「じゃあ食いなよ。カルパスも開ける?」
かっぱえびせんの袋がまた視界に入ってくる。ひとつかみして皿に載せる。食べる。飲む。カルパスの袋を引っ張って開ける。一つ拾って、包装を剥がしてかじる。飲む。
「三田サラミとかカルパスとか好きよな」
「好き」
仲本の体が左右に小さく揺れるのがわかる。酔ってるな。
「生ハムもあんぞ」
「センスある」
生ハムのパックを開ける。一枚めくって皿に置く。千切って口に入れる。チューハイがうまい。仲本はハイボールを飲んでいる。しかしこれ全部食うんだろうか。
「これ全部食うんかなあ」
仲本は言って、カルパスを食べる。俺はレモンチューハイを飲む。
冷房がぶんと唸る。思わず目をやるけれど、おかしなものは何もない。たまにあるやつだ。また飲む。飲めなかった。空だ。日本酒を持ち上げる。仲本が自分のハイボールを置く。音の感じ、たぶん空になっている。言う。
「俺も酒にするわ」
紙パックを取られた。手で示されるまま、仲本の前にグラスを差し出す。仲本はテーブルの上でパックの栓を開けて、中身を俺のグラスに注ぐ。俺はグラスを置く。仲本からパックを受け取る。仲本が持ったグラスに注ぐ。顔を上げると仲本の顔があった。こっちを見ている。目を逸らせないまま酒を舐める。仲本も舐める。俺は言う。
「二軒目結構よかったな」
「そうな」
「次試しに一軒目で行くか」
「おお。次」
「そう次。次」
舐めるで済まなくなる。飲む。舌や上顎や頬の裏にまとわりつくような熱い酒だ。飲み続けて、空になる。紙パックに手を伸ばす。仲本が中身の入ったグラスを置いてパックを取る。持ったまま俺を見る。そのまま動かないので俺は聞く。
「え、何?」
グラスをパックの下に持っていく。
「入れてくんないの」
仲本はグラスに視線を落として、それからまた俺を見て、結局蓋を開けて酒を注いだ。
「三田さ」
紙パックをテーブルに戻して、上半身を俺に向ける。
「俺いろんなこと忘れるけど、大事なことは忘れてないよ」
俺は首をほんの少しひねって仲本を見ながら、注いでもらった酒を含む。
「おまえが言ったことちゃんと聞いてる。おまえが思うより」
「嘘だ」
「なんで?」
「嘘じゃないと困る」
冷えていた腹がどんどん熱くなる。効いてきた。
「俺嘘吐かないだろ」
「それはほんとに嘘」
「根拠ない」
「電車あった」
仲本は俺を見たまま、手探りでグラスを取った。
「詳しいのなあ」
取ったグラスを口に運んで、寄りかかったソファに思いきり体重を乗せる。飲んでまた言う。
「こっち見て酒飲まない?」
断る方法がない。体を仲本に向けて、同じようにソファに体を預ける。飲む。腹から熱いのが上がってきて、今背中にいる。頭まで来るのも時間の問題だ。口が開く。
「俺ばっかり」
「俺ばっかりだよ」
「予報用語改正は何年?」
「忘れた」
「忘れてんじゃねえの」
「大事なことだけ覚えてんの。三田は違うの」
仲本のグラスが空になる。俺は酒を取って注ぐ。
「違わないけど」
仲本が眉を開く。大事なことの広さが違うなら、それはやっぱり俺ばっかりってことなんじゃないだろうか。
「違わないけど悔しいのは悔しいの」
「悔しいんだ」
来た。首の付け根に熱いのが。
「だってやっぱ俺ばっかり、馬鹿みたいだろ」
「だから俺ばっかりだって言ってるのに」
「うるさいなあ」
「反論諦めんなよ」
「うるさいな、ほんとに、あれ」
ぱん、と視界が明るくなる。仲本の顔が妙にはっきりと見える。
「あれ、待って、何の話してたんだっけ」
「俺とおまえとどっちが俺ばっかりかって話」
「ああそうか、それで、そうか、待って」
「なに」
「それってつまり、今もしかしてそういう話になってる? 違う?」
違ったらやばい。
「違わない。俺はそのつもり」
「えー」
グラスの中身を全部飲む。空のグラスをテーブルに戻す。
「えーやばい」
「やばいよな」
「だってそんな今さら、そんな思わないだろ」
「今さらで悪かったな。がんばったの今夜、俺」
「もっと早く」
「それはおまえもだろ」
そりゃ反論諦める。余地がない。仲本が酒を飲み干す。口を開く。
「でもまあ」
グラスを置く。
「おまえだってがんばって騙されてくれたもんな」
俺は何も言えない。仲本も何も言わない。二人ともグラスを持っていないので、言葉が途切れたとたん手持ち無沙汰だ。両手が空いてるんだからなんだってできるのに。万が一こうなったときどうするか、もう何千回も考えてきたのに。どうしようもない。どうしようもないので言った。
「生ハム」
「おう」
「かぴかぴになるよなあこのままほっといたら」
「なるなあ」
「かっぱえびせんは湿気るよな」
「湿気ると思う」
「乾くのか湿るのかどっちかにしてほしいな」
「ほんとに」
千切ったまま皿に置きっぱなしだった生ハムをつまんで口に入れる。噛む。塩だけじゃない、ちゃんと肉の味がする。
「そしたらほら、生ハムとかっぱえびせんの分だけ飲もう」
「どんとこい」
終電は知っているけど始発は知らない。だから余計なことを言おうにも言えない。仲本が立ち上がる。
「そしたら俺ちょっとトイレ借りる」
「どうぞ。出て左な」
足音を聞く。扉を開けて閉める音を聞く。かっぱえびせんを食べる。海老だ。酒だ酒だ。
目を開けて、体を起こす。目の前で仲本も起き上がる。こめかみのところを何かで刺されたみたいに、つんとした痛みが響く。それから今度はずんと、腰を内側から殴られる。
「頭いって。腰来た」
「大丈夫?」
「おまえは?」
「胃ぃぐるぐるする」
仲本はそっちに出るタイプだ。
「吐き気しない?」
「そこまでじゃない」
仲本が伸びをする。そのまま左手で右の肘を掴んで、頭の後ろで引っ張る。ああと唸る。俺はテーブルの上を見る。かっぱえびせんは空、生ハムも空、カルパスは個包装なので問題ない。日本酒のパックを持ってみる。さすがに残っている。あとは手つかずのチーズかまぼことさきいかと仲本のグレープフルーツチューハイと、カップ麺もあったな。腹が減っていることに気づく。結構食べたつもりなんだけれど、でもよく考えたら大体アテだったか。
仲本はソファに寄りかかってスマホを見ている。俺は聞く。
「何時?」
「七時二十八分」
「ほんとに? 十一時半とかだと思った」
「老いか酔いか微妙なとこだな」
広げた手二つ分距離を取って、俺もソファにもたれる。本当に腹が減った。
「俺カップ麺食べるけどおまえ食べる? 胃重いならやめとく?」
一応確認する。
「食べる。どん兵衛のうどんは消化にいい」
俺は立ち上がって皿とグラスを持つ。キッチンまで歩く。頭がもげそうに痛い。皿とグラスをシンクに置いて、電気ケトルにいっぱいの水を入れる。ケトルをプレートにセットしてスイッチを入れる。仲本が来て言う。
「悪いんだけど冷えた水とかない?」
「麦茶ある」
俺は食器棚からグラスを、と思ったけれどやっぱりジョッキを二つ取った。冷蔵庫から麦茶のボトルを出して、二人分のジョッキに全部入れる。並んで飲む。アルコールを含まない液体が食道を通って胃に流れ込む。思わず言う。
「沁みるわあ」
「全部飲んじゃっていいの」
「ボトルもう一本あるから」
食べ物の方の棚を開けて、麦茶のパックを出す。空になったボトルに水と一緒に入れる。ボトルを冷蔵庫に戻す。ケトルのスイッチが上がる音がする。ケトルを持ってテーブルに戻る。仲本がジョッキを二つ持ってついてくる。俺はどん兵衛の蓋を開けてお湯を注ぐ。仲本はちゃんと時間を測らないので適当でいい。カップヌードルにも注ぐ。ケトルを置いてスマホを取って、タイマーを二分五十秒にセットする。ケトルを片付けてまた戻る。ソファに座る。腰が終わってる。仲本も俺の隣に座って割り箸を割る。もうタイマーが鳴る。カップヌードルの蓋を剥がして割り箸を割る。カップに箸を突っ込んで、麺を持ち上げて啜る。醤油というには謎に甘ったるいカップヌードルの味だ。仲本がどん兵衛を開ける。
「早くない?」
「いいのいいの硬いくらいで」
「消化にいいはどこ行った」
仲本はやっぱり最初に揚げをかじる。この時間があるから早めに開けていいんだろうか。
「三田さあ」
「なに」
「あれ夢?」
俺はスープと具を一口飲む。
「夢だったら困る」
「そっかあ」
仲本は箸とどん兵衛を置いて、膝をソファに上げて抱える。額を膝につける。
「どうした」
「嬉しさを逃がしてる」
視線をカップヌードルに戻す。麺を啜る。感情は膨らみすぎると爆発するからな。嬉しさだって爆発したらやばい。やばいんだけれど俺には逃がし方がわからない。
「早く食わないと伸びるぞ」
「さっき開けるの早いって言ったくせに」
「カップ麺は一分一秒を争う」
仲本が顔を上げる。箸を取る。二人ともずるずる食う。言っている間に麵が尽きる。でかいのを買ったはずなのに、カップ麺は儚い。仲本も食べ終わる。箸を置いてジョッキを持って、麦茶を飲み始める。
「仲本さあ」
「うん」
「今日どうする?」
「そうなあ」
ジョッキを置く。
「全然帰りたくないな」
「でもじゃあこっからどうしたらいいか、おまえわかる?」
「わかんない」
「考えといてくれよ」
「そっちだって」
「仕掛けてきたのはおまえだろ」
「ほんとのこと言うなよ」
思い出す。素面のとき二人で何をしてきたか。どんな風に時間を使ってきたか。俺は忘れない、絶対に。
「とりあえずうちで寝直す? 酒抜けるまで」
「うちのどこで?」
言われて床を見下ろす。腰は終わってる。じゃあつまり、いやそんな。
「ってなるととりあえず外に」
「日曜の八時におっさん二人急にできることってなに」
「えー、散歩?」
「あー、歩いたらでっかい公園あったよなあ」
俺は立ち上がって窓まで歩いて、カーテンを開ける。陽の光が目に刺さる。この時期だっていうのにいい天気だ。仲本が言う。
「まあでも確かになんか、外出るか。まだ気温マシなうちに」
「おお」
朝のうちに、酒を挟まず話すリハビリをしておいた方がいいかもしれない。酒を飲むのはいつでもできるんだから。いつでもできるんだろうか。そのあたりのことをまず話した方がいいな。次があるのかどうするのか。
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