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後始末
表に出ると、冷えた空気が鼻の先を包んだ。刺さった、というほど鋭くはない。
だいぶん薄暗い。空の左側だけ紫色をしていて、あああっちが西だと思い出す。
短い、アプローチとも言えないようなアプローチを、積もった雪を踏んで右に横切る。踏んだところがざくざく鳴る。物置を開けてスノーブラシを出す。家の前を逆に横切って駐車スペースに着く。徹 の黒のコンパクトカーの上に積もっている。十五センチあるだろうか。年々暖かくなる気のするこの町にしては、まとまって降った方だ。
奥に俺の車がある。大回りして、車と車の隙間に入る。スノーブラシを車の上に伸ばして、載った雪を押し出す。水を含んだ重たい雪だ。表面は落ちていったけれど下の方が残っている。どうも氷になっている気がする。昼に変に溶けたな。
玄関の扉が開く音がする。雪をもうひと滑り下ろす。声がする。
「降ったなあ。いや夜中降ってるの知ってたけど、ほんとに降ったなあ」
「こないだカスみたいな初雪降ったところなのにな」
徹がざくざく遠ざかって、また戻ってくる。車の後ろに回り込んで、少しだけ首をこっちに出す。
「そんな焦らなくても。あっためるからちょっと待ってよ」
「用事あるんだろ」
「あるけどさ」
「後ろ埋まってる?」
「大丈夫そうだけど一応きれいにするわ。排気逆流で死ぬのは勘弁」
「勘弁だなそりゃ」
俺はとりあえず落とせるものを順番に落とす。徹はたぶん後ろの雪をプラスチックスコップでかいて、ときどきアプローチの向こうに捨てに行って、往復しながらなんだか適当に口を開く。
「ケンタッキーさ」
「クリスマスの」
「今年こそチキン炊き込みご飯にして食べる」
「そのまま全部食べんの我慢できんの?」
「胃がじいさんになったから揚げ物減らせる」
「嘘吐け」
「あ下凍ってる」
「だよな」
「まあいいや」
徹の足音が車沿いを回る。ドアが開く。たぶん体を突っ込んでいる。エンジンがかかる。車が唸り出す。今どき車がこんなに唸っていていいのか。今どきの車じゃないからかもしれない。
徹が今度は車の正面から回ってきて、また首だけ見せる。
「すぐ溶けるから待って」
「ん」
スノーブラシを置く。徹のいない側を通って物置まで歩く。金属スコップを持って戻る。車体の後ろの地面は、一度べたべたになってまた凍った雪でざらざらと覆われている。そこにスコップの先端を突き立てる。砕いてすくう。向こうで徹が言う。
「今そこまでする必要ないって」
「して悪いことないだろ」
「ないけどさあ」
スコップに雪を載せて歩く。
「重くない?」
重いか軽いかで言えば重いけれども。
「別に」
「だよなあ」
徐々に徐々に体力が落ち続けてはいるけれど、だからといってこの程度の雪の処理でどうにかなるほどの年にはまだなっていないとお互いにわかっている。
徹の捨てた雪の塊の上にスコップの中身を落とす。振り返る。徹の姿はなくて、代わりに車の上の雪が押し出されるのが見える。ぼた、と音を立てて地面にぶつかる。スノーブラシが頭を覗かせている。俺はまた元の位置に帰って、凍った雪を砕く。向こうで音がする。ぼた。どう考えたってもっと手早くできるだろうに、こういうとき徹はのろい。顔を上げると西の空はもう赤みをなくして、濃い青色をしている。顔を下げると今度は雪が白く光る。門灯に照らされている。すくって運んで捨てる。すくって運んで捨てる。徹の声が聞こえる。
「雪降んのかなあ、イブ」
「雨予報」
「ロマンない町になっちゃって」
「ロマンってなに」
「朝からばっちり積もってて、学校終わってそり持って飛び出すのがクリスマスイブだろ」
「飛び出してった弟追っかけて面倒見る側の身になれよ」
「末っ子にそんなこと言っても響かない」
「腹立つ」
最後のひとすくいを捨てて車を見る。
「後ろきれいになったから」
「あー、ああそう」
陰から徹が出てきた。フロントガラスの雪を落として、手をだらりと下げて突っ立って、首を左右に振って、それからボンネットの雪を落とした。
「実家寄るんだろ」
「そうなんだけどさあ」
どうせクリスマスも会うのに、こういうとき本当に徹はのろい。俺は歩いて、車を挟んで徹の正面に立つ。額に冷たいものが当たる。降ってきた。夜中にまた来るとは聞いていたけれど、早い。
「ほらさっさと終わらせんぞ。天気酷くなってきたらめんどくさいだろ」
徹が屈んで立つ。車の前に出てくる。スコップを持っている。そのスコップで雪をかく。くしゃみをする。
「風邪?」
「いや寒いだけ」
鼻の先が赤いと言えば赤い。そこは冷気にやられるところだ。
徹が上のじゃりじゃりとした雪をかいて、俺がその下のばりばりの雪を削る。徹は黙って、さっさと体を動かす。そうしてくれると助かる。二人がかりであっという間だ。
徹がスノーブラシを拾う。物置までのほんの少しの距離を二人で歩く。雪がびちゃびちゃ頬に当たる。ちらついてきたじゃ済まなくなってきた。
物置を開ける。道具を全部元あった場所に戻す。閉める。視線を感じて横を向く。もちろん徹が俺を見ている。そんな顔すんなよ一応ご近所さんの目気にしてるんだから。一応だけど。
俺は言う。
「ほら、ほんと酷くなる前に」
「んー、ん、うん、わかった」
徹は速足で家の前を横切って、運転席のドアを開けて乗った。俺はその足跡の上を歩く。もうすっかり暗い。運転席の窓が開く。俺は少し屈む。窓から乗り出して徹は言う。
「ケンタッキー受け取り忘れないで来てよ」
「忘れないって」
徹は体を戻す。ヘッドライトをつける。窓を閉めない。俺は二歩後ろに下がる。車がゆっくり動き出す。雪吹き込むぞ。
車は道路に出て、狭い道を進んでいって、角を曲がった。テールランプの赤が少しの間網膜に残った。
俺は短いアプローチを歩いて扉の前に立った。開ける。入る。鍵を閉める。靴を脱ぐ。上がる。廊下を抜けてダイニングに入る。分厚い熱が体を包む。手袋を脱いでテーブルに置く。コートを脱いで徹の椅子の背もたれにかける。背中を反らせて伸びをする。多少腰と膝が冷えた。座ったら歩きたくなくなる気がするので、そのまま台所に入って冷蔵庫を開ける。昨日徹が多めに作っていった牛肉の炒めたのとそぼろ大根とが、タッパーに入って並んでいる。それにお茶と、冷凍庫には米もある。全部出す。まず冷凍米のタッパーを、蓋を外してレンジに入れる。時間を六分に設定してスイッチを押す。大根は別に冷たくていい。食器棚から箸とコップを出す。コップにお茶を注いで、箸とまとめて右手で持つ。左手には大根を持つ。ダイニングテーブルに運ぶ。運んだところで息を吐く。今ため息なんかしていると本当に何もかも面倒になる。台所に戻る。レンジの前に立つ。数字が減っていくのを見る。そのまま突っ立っているとレンジが鳴った。米を出す。左の手のひらでタッパーを撫でる。充分温かい。キッチン台の上に戻して、今度は牛肉をレンジに入れる。これは一分半でいい。またカウントダウンを眺める。レンジが鳴る。出す。触る。大丈夫だ。米と一緒にテーブルに運ぶ。コートのかかった椅子の真向かいに座って手を合わせる。箸を取って大根を切る。
揚げた鶏をばくばく食べるのと同じ口で、徹は大根の煮たのとかかぼちゃの煮たのとか里芋の煮たのとかをもくもく食べる。そんなうまいもんでもないだろ、と初めて作ってもらった時は思ったけれど、食べてみたらうまかった。
昨夜も徹はそこの席で、自分の煮た大根をうまいうまいと食べた。そのくせ牛肉の炒めたのにはめちゃくちゃにマヨネーズをかけた。それでもって口に運んで、やっぱりうまいと言った。自分の作ったものでそうなれるなんて幸せな奴だなと毎度思う。
大根と牛肉と米と、順番に口に入れていったらなくなった。最後にお茶をがっと飲んだ。飲んだら動く気がなくなって、椅子にもたれて正面を見た。ちょっと視線を上げると時計が目に入った。こうやってぼやぼやとしていると、いつもとんでもない勢いで時間が流れていってしまう。ぼんやりしているうちに死にかねない。生きているうちにケンタッキー飯を作ってもらわないといけない。
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