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第59話 夏輝サイド<根性の人>

 甘い結婚休暇中の松永副社長から「個人的な相談がある」と連絡が入った。 「今頃? なんだろう」桐生さんも不思議がっている。 社長室に現れた松永副社長は、がっくりと肩を落としていた。 「一体どうしたんですか? まだ新婚じゃないですか」と桐生さん。 「そうなんですよね。本当に達也には悪いことをしてしまいました。 今、ベッドに潜って泣いています」 「ええっ? 何があったんですか?」二人で顔を見合わせた。 「実は英語の勉強と、対外的に必要な会社の沿革、 海外支社の情勢、経済や政治などをこの半年の間に、 勉強してくれないかと頼んだんです。 講師には実家の執事に来てもらいました。 英語はどうしても必要なので家庭教師もつけるつもりです。 でも急に両方の話をしたので、 今後音楽の仕事ができるのか不安になったらしくて……。 勉強がプレッシャーになっているのは分かっているのですが、必要なんです。 相談というのは……今後半年間、午前中は勉強に当てて、 歌の仕事は午後に回せないかと思いまして」と副社長。 「はあ……なるほど。それはちょっときついですね。 必要なのは分かりますが、達也は高卒です。 しかも13歳から6年間新聞配達をしていたんですよね? あれって年齢的には放課後から夕刊配達とチラシ折りとかで、20時まではやってたと思います。 土日も夏休みも、日中の午後はチラシ折りがあるようですからね。 身体を休める時間もあまりないですから、勉強する時間も大してなかったと思いますよ。 少しでも時間があれば、ダンスや歌で自分を慰めていたと思うんですよね」と桐生さん。 「そうですね。そういう生活だと、勉強する習慣までは無理でしょうねえ。それでもよく高校を卒業しましたよ」と俺。 「どうしたらいいんでしょうか? もう離婚されそうな気分です」 松永副社長はひどく落ち込んでいた。 「時間の方はなんとでもなりますが、 達也を少しプレッシャーから解放してやらないと、 今後は音楽にも身が入らないと思います」と俺。 「じゃあ、こっちで対策を考えます。 ちょっと達也を連れて来てもらえますか? 話してみますので」と桐生さん。 「はい、分かりました。では明日の午前に連れてきます。よろしくお願いします」 そう言って彼は帰っていった。 「かー、どうしよう、桐生さん」 「いや、すぐにアイデアは湧きませんよ」 「だって桐生さんは塾なしで東大に行ったんでしょう? なんか方法があるんじゃないの?」 「俺はねえ。中古の本屋に行って歴史の漫画本を買ったり、 年号なら語呂合わせで覚えたりしていましたよ。あれって結構忘れないんですよね」 「そうなんだ。俺はどうだったかなあ……。 大学受験のときは文学部だったから楽勝だったけど、1年で辞めて医学部に受験する時は死ぬ思いでしたよ。 奇跡の合格をしてもビリだったので、北原総院長の家に下宿して、毎晩勉強を6年間見てもらいました」 「ほう……それは並大抵の献身じゃないですね。院長の愛情を感じますね」 「えへへへ。そうかな?」 「でさ、達也の勉強は大学の専門課程みたいな、高度な内容じゃないんだよね?」と俺。 「そうですよ。多分、語呂合わせ的なもので間に合うんじゃないですかねえ」と桐生さん。 「あ、歌にすればいいんじゃない? 英語も普段の会話なら、そんなに難しい言葉は使わないもんね」 「そうですよ。ただ、相手の発音が聞き取れないと意味がない。 だから聞き取りと発音の練習をした方がいいですよね。 フィリピンの方とか、みんなどんどん英語を喋りますからね」と桐生さん。 「そうだよ、あれは不思議だよね。インド英語とかも。面白いよ」 そして翌日、副社長に連れられて達也がやってきた。 がっくりとうなだれていて、目を赤く泣きはらしていた。 「達也、元気出して。抜群にいい方法があるからさ」 俺が励ますと、達也が少しだけ顔を上げてこちらを見た。 「桐生さんと相談したんだけどね、何も難しいことじゃなくていいんだよ。 ラップか、童謡か、演歌でもなんでもいいからさ、 習ったことを全部替え歌にして歌ってみて。 ついでに踊りながらやれば身体で覚えられるでしょう?」と俺。 「そうだよ。英語の日常会話って、そんなに難しい言葉は使わない。 試験勉強じゃないんだから、難しく考えなくていいんだよ。 幼稚園の子供だって英語で話せているんだから」と桐生さん。 「そうでしょうか?」と達也。 「そうだよ。半年間は午前中にその替え歌やダンスをやって、 午後はアニメの歌や踊りのレッスンにする。無理はしなくていいよ。 それでゆる~くやっていけばいいんじゃないの?」と俺。 「それでいいんですか?」と達也。 「うん、いいよ。長い人生のたった半年間だもん。 せいぜい英語でラップでもできれば最高だよ。特技になっちゃうよ。 どっちにせよ、英語は歌にも必要だからね。 歌詞にも出てくるし、何も無駄になることはないんだよ」 「はい、分かりました。よろしくお願いします」 副社長がホッとした表情で、達也と帰っていった。 「あれで大丈夫ですかねえ?」 「大丈夫だよ。達也なんて根性の人なんだからさ、絶対にやり遂げるよ」と俺。

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