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第10話 レイ

「あ……」  政宗は閉口した。もはやここまでか。政宗は握った拳を開く。けれどすぐにもう一度、受付へと向き直った。 「……父には話してあります。閲覧だけでいい、複製はしません」  担当の目を見て真っ直ぐにそう言うと、気圧されたのか担当は一瞬の沈黙ののち、何度も政宗を見ながらゆっくりと電話の受話器を取る。 「あ……ああ。はい。かしこまりました、確認します」  そう言って担当が電話を掛ける。おそらく父の元だろう。政宗が見ている先で、「大路政宗という方が……」「ええ、閲覧したいと」と言う声が聞こえてくる。政宗は唾を飲む。こんなはったりが通用するのかという疑心はあったが、果たしてどこまで届くだろうか。 『好きにさせろ』  電話越しに微かに聞こえたその無機質な声は、確かに父のものだった。担当が視線を落とす。しばらくして、受話器を下ろした担当が顔を上げ、政宗へと応えた。 「許可が出ました。閲覧のみ可能だそうです」  その言葉に、政宗はしっかり頷いた。  閲覧室に入る前に、注意事項を言い渡される。USBやスマートフォンの持ち込み、持ち出しは制限。スクショは不可。それらの条件を飲み、政宗は専用端末を見せられる。  No.3のPDFを開き、政宗にマウスを預けてくれる。ホイールを動かしてページをスクロールする。  最初に表示された契約書には、法定代理人として大阪市児童相談所長の署名があり、その隣には幼い子どもが懸命に書いたような、歪んだひらがなが添えられていた。  掠れて読みにくい文字を何度も目で追っているうちに、一文字ずつ形が繋がっていく。  レイ。  その名前を心の中で繰り返した瞬間、政宗は自然とあの白い部屋を思い出していた。名前を尋ねても「三番」としか答えなかった男が、本当はレイという名前で生きていたのだと思うと、それだけの事実なのになぜか胸の奥が少しだけ熱くなる。  さらに視線を下へ移すと、生年月日が目に入る。どこかで見覚えがある数字だと思い、自分の誕生日を頭の中で思い返した政宗は思わず息を止めた。  同い年だった。  偶然とは思えず、そのままページを送る。  次のページには医療支援対象者の情報が記載されていた。最初は同じ内容のコピーかと思ったが、政宗は思わずマウスを止める。  生年月日は同じだった。性別と名前だけが違う。  妹。  ……双子だ。  二十五年分の時間が、画面の中でだけ並んでいた。  必要そうな項目だけを拾い読みしていくうち、やがて医療支援実施機関の欄へ目が止まる。  医療法人恵流会。所在地は大阪だった。  妹の治療先だろうかと思いながらページを送ると、その先で別の文字が目へ飛び込んできた。 【債務完済】  政宗は思わず画面へ身を乗り出した。  見間違いではないかと思い、スクロールを戻してもう一度確認する。それでも表示は変わらない。  完済日は、何年も前になっていた。  つまり、借金は終わっている。  そう理解した途端、胸のどこかで張り詰めていたものが少しだけ緩みかける。だが、その安堵はすぐに別の疑問へ押し流された。  ならどうして、レイだけが今もあの地下へ残されているのだろう。  政宗は契約書を最後までめくった。契約終了の記録を探す。どこかに、解放を示す文言があるのではないだろうか。政宗の胸を、なにかが駆り立てる。しかし目に入るのは更新履歴だけで、契約は何度も自動更新を繰り返していた。  画面を見つめる政宗の中で、父が「商品」と呼んだ男と、自分の袖を掴みながら「妹に会いたい」と笑っていた男が、どうしても同じ存在として重ならなかった。 「この契約に関連する資料は、これですべてですか」  気付けばそんな言葉が口をついていた。担当者は端末を確認すると静かに頷く。 「はい、閲覧可能な内容はこちらですべてです。お父様にお問い合わせされますか?」  父、という言葉に政宗は思わず身構える。途端に政宗の気持ちはすっと萎んだ。 「やっぱり、大丈夫です。……見せていただき、ありがとうございます。参考になりました。──では、私はこれで」  政宗がそう言って曖昧に笑う。法務担当は表情を崩さず、去っていく政宗のためにドアを開けてくれた。  父の会社を後にする。ビルを出ても、足は止まらなかった。けれど頭の中だけは、さっきから同じ場所をぐるぐる回り続けていた。  借金は終わっていた。 妹も確かに実在していた。 父も約束だけは守っていたらしい。それなのに、レイだけが今も地下にいる理由だけは、どこを読み返しても見つからなかった。  父に対する不信感は、ますます募るばかりだった。 「……止まってる」  財務管理フロアのスタッフから自宅のPC宛てに送ってもらったメールに添付されていた仕訳明細を見た時、政宗の口から零れたのはそんな言葉だった。  最初の月で二千万。以降は毎月同じ日に百万円ほどの送金履歴がある。けれどそれも一年ほどでぱたりとなくなっていた。  借金は返済され、支援も終了している。それでも契約だけが更新され続けている。  なぜレイだけが、まだあそこにいる。  政宗はERPを開き、支援先を検索する。 【医療法人 恵流会】  契約書で見た、大阪市内の病院だった。画面を見つめながら、政宗は静かに結論づける。 「……やっぱ、行くしかないのか」  契約の終了事由を知っている人間がいるとすれば、そこしかない。  病院へ行けば、なにかわかるかも。  そこまでして妹とあいつを会わせてやりたいものなんだろうかと自問しつつも、政宗はそう思うのを止められなかった。

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