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第12話 名刺
東京駅で降りた政宗は、自身のスマホに表示された座席番号と、駅の案内表示を何度も見比べていた。それから改札をくぐり抜けるまで、数秒。後ろに並んでいた人の咳払いが聞こえて、政宗は画面を読み取り機にかざした。
今までほとんど使わなかった有給の使い道がこれでいいのか、自分でもよくわからなかった。
別に誰かを騙しているわけではないし、仕事を放り出しているわけでもない。それなのに、改札を抜けた瞬間、なぜか少しだけ後ろめたい気持ちになる。
もし課長に行き先を聞かれていたら、自分はなんと答えただろう。大阪に行く。そこまでは答えられる。けれど、その先を聞かれたら困った気がした。
なぜ大阪へ行くのか、自分でも上手く説明できる気がしない。支社の下見ついでだと言えばいいと頭ではわかっている。だがなんとなく、口にできないと思った。
だと言うのに、政宗は切符を買ったというのに停車中の車両を前にして、駅のホームでうろうろしていた。でももう、買ってしまった。手の平に収まっているスマホが、やけに熱く感じた。
そうこうしている内に、アナウンスと発車ベルが鳴る。焦った政宗は滑り込むようにドアに飛び込んだ。すぐ後ろで扉が閉まる。
『……駆け込み乗車はおやめください』
車内で低い声でアナウンスをされ、政宗は耳が熱くなった。
やがて車体が動き出す。政宗は指定席車両の中で自分の座席を見つけ、そこに腰を下ろす。窓の外では、政宗の意思を無視して東京の景色がどんどんと遠ざかって行く。
窓ガラスには短髪の、細身の黒縁眼鏡をした青年が映っている。冴えない顔の彼に、政宗はそれを自分の分身だと認めざるを得なかった。
双子なら、男女でもある程度似ているのだろうか。どんな顔をしているんだろう。
そう考えていたはずなのに、気付けば思い浮かんでいるのはレイの顔だった。妹より先に兄の顔を想像していることに気付いて、政宗は首を振った。
暖かい車内とふかふかした座席の温度に、足元から伝わる振動が心地いい。けれど目が冴えて眠れないまま、政宗は窓の外をずっと見つめていた。振り返っても、東京の街はもう見えなかった。
新大阪駅についた時、政宗はホームでしばらく立ち止まっていた。乗ってきた新幹線を振り返ると、行先の表示が「回送」へと切り替わる。
スマートフォンを取り出す。病院までの経路を開くと、見慣れない駅名と路線図が画面いっぱいに表示された。
ここまで来てしまった。そう思ったのに、不思議と引き返そうとは思わなかった。
政宗は深く息を吸い、それから鞄の持ち手を握り直した。
病院にたどり着いたのは、お昼前だった。タクシーでここまで案内してもらい、降り立った政宗は運転手に頭を下げる。ここに来るまでに何度も考えていた言葉を改めて心の中で復唱して、それから政宗は中に入った。
病院の中はひやりとしていて、消毒液の清潔な匂いがした。入口でアルコール消毒をして、それから政宗は総合受付の前に立つ。
「あの」
声を掛けると、中にいた受付事務が「どうされましたか?」と返事をする。さらにもう一歩歩み寄り、政宗は口を開いた。
「過去に入院されていた患者のことで、確認したいのですが」
受付事務は瞬きをする。
「失礼ですが、ご家族の方ですか?」
「……いいえ」
すると受付事務は口を閉じ、それから冷静な口調で言った。
「申し訳ありませんが、入院患者様の情報については、個人情報の観点からお答えできません」
あっさりと突っぱねられる。面食らったのもつかの間、政宗がさらに踏み込もうとした矢先、後ろから声がした。
「あのぉ〜、孫の面会に来たんですが……」
政宗の背後に立っていた老人がそう受付で言うと、受付事務が手帳サイズの紙を中から取り出し、老人にすっと差し出した。
「ではこちらの用紙に必要事項をご記入ください」
老人が面会者カードに記入している姿を、政宗はじっと見つめる。しかしふと、政宗の視線に気付いた老人が振り返る。受付事務も、まだなにか、という目で政宗を見つめている。政宗は思わずたじろぐ。けれど政宗には、それ以上踏み込む勇気はなかった。
「し、失礼しました……っ」
声が裏返った。政宗は素早く一礼すると、逃げるように病院を出た。アルコールの匂いが、政宗の鼻にきつく残っていた。
外に出て、政宗は立ち尽くす。強い日差しの中を振り返ると、自動ドアにスーツ姿の自分が反射している。アイロンを掛けたスーツを着てはいるが、猫背と眼鏡のせいか情けなく見える。手に持った荷物が、来た時よりも一段と重く感じた。
通らなかった。でも、それもそうだ。今までは大路ホールディングスの後継者として、内部の資料ならある程度閲覧はできた。けれどここは違う。そのことを、政宗は失念していた。
なんのために、ここまで来たんだろう。ここに来ればなにかがわかると思ったのに。なにか他にないのだろうか。話を聞けるなにか。彼女と自分の繋がりは、一体なんだ。
あれこれ考えた末に、政宗はふと、鞄の中にあるノートPCを思い出した。
「……あ」
敷地の端まで小走りで向かい、それから人気のない場所で持ってきたPCを開く。仕訳明細を見て、数字を確認する。政宗の中で、思いつきがどんどん戦略として組み立てられて行く。
ㅤこれだ。
ㅤ喉を震わせた政宗は今一度考えた作戦を頭の中でなぞり、それからノートPCを鞄の中に戻そうとする。だが収まりが悪く、なかなか入らない。PCから手を離して奥につかえているそれを手に取った時、ふと硬いなにかが手に当たった。
取り出そうとして、汗で滑って取り落とす。もう一度手を伸ばす。取り出してみると、それはネイビーのブライドルレザーの名刺入れだった。成人してから一度も使ったことない手のひらサイズの硬い革が、パズルのピースみたいにかちりとハマる。
「……これ、」
ゆっくり開けると、父の会社の名刺が入っていた。成人祝いにもらったきり、一枚も減っていない名刺。
胸の辺りで、どくどくと血が流れる感覚がする。父の会社の名前に、恐る恐る触れる。今になって、これを使うのか。父の力を自分から使うことになるやるせなさがありながらも、政宗はぎゅっと目を閉じる。しばらくして目を開け、唇を舐めた。
これなら、通るはずだ。
政宗は手にした名刺入れをおもむろに胸ポケットにしまう。それからスーツの襟を正して背筋を伸ばすと、再び病院の入口へと足を向けた。
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