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第13話 妹

 中に入って受付の前に立つと、受付事務がこちらを二度見した。そして怪訝な目をした彼女の前で、政宗は口を切る。 「御院と大路ホールディングスとの医療支援契約について、終了事由の確認をしたいのですが」  受付事務は訝しげな目で、政宗の頭からつま先までを一瞥する。やがて少し表情を変えた。 「……それであれば、医事課へどうぞ。番号札をお取りになってお待ちください」  そしてそう零し、受付を静かに手で示した。政宗は「ありがとうございます」と頭を下げ、待合室へ足を運ぶ。番号札を手に取る。待合室のソファに座っていた先程の老人が、政宗を不思議そうに見ていた。  ピンポンという呼び出し音がせわしなく鳴っている中、政宗は待合室のソファに浅く掛ける。  過去にここに入院していたのが確かなら、契約について確認したいと言って名刺を渡せばいい。そうすれば、彼女に取り次いでもらうことができる。彼女から連絡が来るかはわからない。彼女が会いたくないというのであれば、それまでだ。そう考えながら、政宗は頭の中で次に言うための言葉を整理する。  十分ほどした後、政宗の番号が呼ばれる。「はい」と返事をして立ち上がり、政宗は窓口へ向かった。 「本日はどう言ったご用件で」  政宗は受付で番号札と、それから胸ポケットから名刺入れを取り出す。名刺を差し出す手が強ばり、指が震える。 「大路ホールディングスの大路政宗と申します。御院との医療支援契約に関して、確認したい事項がありまして」  事務員は名刺を見つめるのをやめ、端末を操作する。 「契約番号、もしくは対象者のお名前を」  政宗はレイの妹の名前を出す。端末のキーボード音が、やけに響く。数秒の沈黙ののち、事務員の視線が一瞬政宗を見て、それから端末へと戻る。 「……こちらの案件は、既に終了しております」 「終了とは?」  政宗が身を乗り出すと、事務員が画面を見ながら淡々と言う。 「対象患者様は、十九年前にご逝去されています」 「──え」  言葉にしようとして、上手く出来なかった。手の感覚が無くなり、目の前が暗くなる。ざわめきが遠くなる。聞き間違えじゃないかと疑いそうになる。 「あ……い、遺留品などは……どちらに管理してますか」  胸を詰まらせながら、政宗が言葉を紡ぐ。日本語がおかしくなる。事務員は画面をもう一度確認し、それから言う。 「法定代理人へお渡し済みです」  政宗は目を伏せる。 「……そう、ですか」 「それで……ご用件は?」 ㅤ事務員が顔を上げて政宗を見る。政宗は咄嗟に顔を逸らした。 「いえ。もう大丈夫です。……ありがとうございました」  ようやく、声だけは整う。けれど、拳は手のひらに爪の先が食い込むほど握り締められたままだった。政宗は返された名刺が静電気でデスクに張り付いたのを何度も剥がそうとする。数秒かかってどうにか回収し、政宗は覚束無い足取りで窓口から離れた。けれどすぐに立ち止まる。  しばらくその場で立ち尽くしたのち、政宗は、ふらふらと歩き出した。  耳鳴りがする。番号呼び出しの電子音が、遠くで鳴っていた。  外へ出る。冬の気配がする寒さを乗せた風が、政宗の髪を揺らす。ふらふらと病院を後にした時、政宗は車道に流れてくるタクシーを見つける。けれど手が挙げられないまま、タクシーを見送った政宗は再び歩道に立ち尽くした。  レイに会った時、なんと言おうか、そればかりが先行する。妹のことを口にした時、なにかを躊躇っていた。「会わせて」と政宗に言うこともできたはずなのに、「会いたい」という希望だけを口にしていた。  冷たい唇を噛む。あの時、自分はなにも知らなかった。そして今も、どうすればいいのかわからなかった。  政宗は力なく歩き出す。そして、双子が入所していた養護施設にも足を運んだ。 「友達です。……昔、彼女と同じ病院にいて。東京で兄に会ったんです。それで、大阪に異動になったので、妹さんに会いに来たんです」  政宗はそう嘘をついた。養護施設は職員も変わっていて、彼らのこと知っている人は少なかった。所長だけが彼らを覚えていた。十九年も音沙汰のなかった友人という来訪者を不審に思ったが、所長は妹の墓の場所を教えてくれた。政宗はそこにも足を運んだ。  小さな墓石だった。  教えられた名前は確かにそこに刻まれていた。契約書に載っていたのと同じ名前だった。  風が吹く。政宗はしばらく動けなかった。  冷たくて灰色の現実が、そこにはあった。  結局答えは出ないまま東京へ戻り、気付けばまた仕事をしていた。  朝、会社へ向かい、メールを返し、会議へ出る。目の前の仕事を片付ければ一日は終わる。今までと同じ生活のはずだった。けれどふとした瞬間には、大阪の病院と、その時の言葉が頭を占めた。  あの事務員の淡々とした声だけが、不意に耳の奥で蘇る。  父は知っていたのだろうか。  そんな疑問が浮かぶたび、すぐに自分で打ち消した。知っていたに決まっている。医療支援契約の相手だ。死亡の報告も契約の終了も、父の会社へ届いていないはずがない。  それなのに、父はレイへなにも伝えなかった。  家族に会いたいというささやかな願いを口にして笑っていた男を思い出すたび、胸がすり潰されたような心地になる。なぜ言っていないのかを考えた時、すぐにあの年間売上表が浮かんだ。しかしあの男がいくら年間で億の売り上げを出しているとはいえ、父が金の亡者になっているとは考えづらかった。  父は、昔はあんな人じゃなかった。厳しくて、政宗を甘やかすような人ではなかったが、政宗は父を密かに自慢に思っていた。ホテルを歩けば誰もが頭を下げ、母の前でだけは優しく笑う。その姿を見て、父みたいになりたいと思ったこともあった。  それなのにどうして、レイという男に執着しているのだろう。  ただあの男が扱いやすく、金を稼ぐには都合がいいことだけはわかる。けれどそう思った瞬間、なにを考えているのだろうと、自分自身に吐き気がした。  もし自分が知らなければ、まだよかったのかもしれない。  けれど知ってしまった今は、あの笑顔を思い出すたびに、自分だけが真実を抱えていることが苦しかった。どこかに吐き出したくて、でも誰にも言えなかった。  レイに会えないまま、時間だけが過ぎていった。  大阪支社への異動は正式に決まり、周囲は祝福してくれた。課長は「向こうでも頑張れよ」と笑い、同僚たちは送別会の話をしている。  政宗も笑った。その方が自然だった。  大阪という言葉を聞くたび、周囲が思い浮かべるのは新しい職場や新生活なのだろう。けれど政宗の頭に浮かぶのは、駅でも街並みでもなく、墓石に刻まれていた名前だった。  父から離れられる。それだけを望んでいたはずなのに、今は大阪へ行く理由が、まるで違うものに変わってしまっている気がした。

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