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第20話 夜明けの海
夜が明け、だんだん空が白み始めた頃、車は海岸線を走っていた。水平線が見えた途端、レイはふと身を乗り出して外を見つめる。
「……あれ、もしかして、海?」
ふとレイがぽつりと口にした。政宗は「ああ」と首肯する。
「海。……うみ」
レイが繰り返す。窓にべったりと顔を付けて、じっと見ている。このままだと跡がついてしまうのではと思った政宗は、ふと車を止める。急に止まった政宗を、レイは不思議そうな顔で見る。
「見て行くか?」
「いいの?」
「おう」
シートベルトを外して、政宗はレイの座る助手席のドアを開けた。潮の香りが胸いっぱいに広がる。どこか懐かしいにおいがした。
さくさくと砂浜を踏む足音が聞こえる。レイは小走りで波打ち際まで駆け寄る。政宗はつまずきながらもレイを追いかけた。
「すげー! でっけーみずたまり!」
「それ本当に言うやつ初めて見た」
「なー入っていい?」
「つめてえぞ」
「いい!」
政宗がレイの裾を捲ってやると、レイは靴を脱いで水に入っていく。レイは波に近寄ったり、離れたりして遊んでいる。やがてレイは海に足を入れるなり「うお」と声をあげたが、そのままちゃぷ、ちゃぷ、と中へ入っていく。
レイの白い足首を、波が洗っていく。レイはその場で足踏みしたり、水を蹴ったりして遊んでいた。その姿が朝焼けに照らされて、眩しかった。ざあざあと寄せては返す波の音は、揺れ動く鼓動みたいだ。少し苦い香りを浴びながら、政宗は潮騒に合わせて静かに息をしていた。
「……海ってさ、なんか思い出しそう」
そう言うとレイははしゃぐのをやめ、少し黙る。波を見つめる目に、小さな光が集まり、揺れている。レイの形のいい唇が、何度か開いては閉じる。
「……なぎ、」
政宗は目を瞬かせた。
「え?」
「妹の、名前。こんな名前だった気がする」
レイの声が、少しずつ大きくなる。レイは俯き、音を探す。
「なぎ……なぎさ」
朧気な声はゆっくり繰り返し、やがてはっきりと声になる。
「渚」
形になったその声に、レイが顔を上げる。どこかほっとしたような顔だった。
「……よかった。俺、忘れてなかったな」
政宗は波を見る。水面がきらきらと反射して、目に痛いぐらい輝いている。
「忘れてねえよ」
政宗がそう言うと、レイが笑った。
「いい名前だな」
「だな」
「……渚、海来たことあんのかな」
そう問われて、政宗は返答に困る。
ない。多分、ない。言えることもない。けれどレイはまたちゃぷちゃぷと波を蹴る。
「小さい時、守るって約束したの、思い出した」
波の音が聞こえる。
「でも、それだけ。渚の声、もう覚えてねぇ。……最後になに話したかも」
「そうか」
ふと、レイが笑う。白い歯が見える。
「俺今めちゃくちゃ喋ってんな」
仕事用じゃない、くしゃっとした笑顔だった。
「ほんとだな。うるせぇぐらいだ」
「今のうちに喋っとくわ」
「そうしろ」
車まで戻る途中、レイが砂浜でなにかを見つけた。透き通った、丸くて歪な、おはじきみたいな石。
「なにこれ」
「シーグラスだよ」
「宝石?」
太陽に透かしたそれを見上げるレイを、政宗は横で見ていた。
「捨てられたガラス瓶とかが波に磨かれると、こうなる」
「へえ、きれーだな。……渚に持ってったら喜ぶかな」
政宗は答えなかった。レイは少し待って、それからこくんと頷く。
「持ってこ」
そう言って、レイはそれを大事そうにポケットへしまった。
朝になった。金色の光が、政宗とレイを眩しいぐらいに照らす。やがていろんな店が開き出した頃、ようやく大阪近辺についた政宗はある店の前で車を止めた。
「……ここ?」
レイが期待の眼差しで政宗を見る。
「違う。……ここで待ってろ」
そう言って、政宗はレイを置いて車を降り、花屋へ向かった。
手にしたのは、仏花だった。
それを買って戻った政宗は、助手席に座るレイに差し出す。
「持っとけ」
レイは受け取って逆さにする。政宗は正しい持ち方を教えた。
「なんだこれ、プロポーズか?」
「違う。……妹のだ」
「ふーん」
車を走らせる。しばらくのあいだレイはそれを包装のまま撫でたり、匂いを嗅いだりしていた。
「きれーだな。あいつ、こういうの好きかな」
レイが顔を上げ、そう問いかける。政宗は唇を開いたまま前を見つめ、結局なにも言えずに口を噤む。
「なあ、なんでこの花なんだ?」
「……必要だから」
「ふーん。なんか地味じゃね? こういうもん?」
政宗の顔が硬く張り詰めていることに気が付いたのか、レイは瞬きをする。それからレイは政宗から預かった仏花を、今度は丁寧に、そっと持ち直した。
今更、言ったらレイがどうなるのか、考えた。自分のことしか考えてなかったかもしれないとさえ思う。けれどもう戻れなかった。
ㅤ黄色信号が赤に変わりかける寸前、アクセルを踏んで速度を上げる。
ㅤやがて、墓地が見えてくる。
ㅤもう、ここまで来てしまった。
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