22 / 43
第21話 外の世界
「ついたぞ」
車を降り、人気のない、舗装されていない道を歩く。レイがきょろきょろしながらついてくる。最初は笑っていた顔も、荒涼とした土地に段々と笑顔が曇っていく。
やがて辿りついた墓標の前で、政宗は足を止めた。自然とレイも歩みを止める。
立ち止まった墓石の前で、レイが覗き込むように政宗の前に出る。
「なにこれ?」
「……お前の妹だ」
レイは首を傾げる。
「石に変身した?」
「違う。その下だ」
レイは地面を見下ろす。
「寝てんの?」
「寝てるといえば、寝てる」
「……渚、どこいんの」
「……もういない」
政宗の声に、振り向いたレイの目が言葉を探す。なにかを探すように地面を見下ろしたあと、それから小さく唇を動かす。
「死んだってこと?」
温度のない声だった。
「……ああ」
頷いた政宗の声が震えた。
レイが彼女の墓石の前に、一歩近付く。磨かれていない墓石を指先で優しくなぞる。それから手のひらを、表面にぴったりと付ける。息を吸う音が、政宗にも聞こえた。
「つめたいな」
「うん」
「死んだら、話せねーのな」
「うん」
「つまんねえな」
「ん」
ㅤ政宗はレイの顔を見た。ぴったりと石に手を付けたレイの横顔は、泣いていなかった。
政宗は、事故で亡くなった母の葬式を思い出す。棺の前で、自分は泣いていた。
父は泣いていなかった。母がいなくなっても平気な人間だと思った。母が亡くなったあと、代わりに家政婦が政宗の身の回りの世話をした。その頃からだ。父が機械みたいに見えたのは。
だけどレイが涙を流さないのは、それとは違う気がした。涙を流さないレイを強いと思いかけ、それとも違うと気付く。
政宗はレイの、影の落ちた目元をじっと見つめていた。
「なんかねぇかな」
ㅤレイが辺りでごそごそなにかを探している。目を離さないようにしながら、政宗は墓を掃除する。長いあいだ誰も来ていなかったのか、数年前の花が枯れた状態で、片方の花立てに置かれている。墓誌には妹の戒名と、没年月日。……小学生になってから、間もない。政宗は彫刻された数字の溝を、そっとなぞった。
ㅤある程度片付いたところで、政宗は持ってきた花を供えた。いつのまにかレイがいない。探しに行こうとしたその時、ふと土の匂いがした。戻ってきたレイが政宗の後ろからにゅっと顔を出す。振り向くと、レイの手のひらにいくつかの野花が乗っていた。
「これ、かわいくね?」
ㅤレイが無邪気に言う。政宗は言葉を失う。けれど、「……そうだな」と絞り出すと、レイはふっと笑って墓石の前に置いた。海で拾った、シーグラスも。
「置き方雑だな」
「へへ。……あいつ、こういうの好きだったかな」
ㅤレイが笑いながら、墓に添える。レイが政宗の手を握る。やはり涙は浮かべていない。けれど力強いその手を、政宗は確かに握り返した。
「妹死んだの、いつ?」
政宗は少し迷った。
「……十九年前」
レイは墓石を見る。
風が吹いた。
「じゃあ、あの写真は?」
掠れた声だった。
「祭りのとか」
政宗は目を伏せたまま首を振る。
「……わからない。でも多分、加工だと思う」
レイの唇は閉じたまま、政宗は続けた。
「病院にも行った。施設にも行った。墓も確認した」
返事はない。
静かな目が、墓石の文字を見ている。
「……そっか」
ようやく出てきたのは、それだけだった。絞り出すというよりも靴に入った小石を取り出すような、そんな言い方だった。
レイは怒りも、泣きもしなかった。ただどこか遠くを見るような目で墓石を見つめていた。それが余計に、政宗の胸を苦しくさせた。けれど一番心苦しさを感じているのはレイだとわかっていたから、政宗はただ項垂れることしかできなかった。
ふと、政宗のポケットの中のスマホが震えた。取り出してスマホを見ると、通知の一覧に父親の名前が出ている。新着メッセージが一通。政宗は慌てて開く。
『気は済んだか』
寒気がした。戻ってこいのメッセージだった。
全部、バレている。
政宗がスマホから顔を上げ、レイの横顔に視線をやる。
「これからどうする」
「これからって?」
「戻るか? あの部屋に」
レイは墓を見つめたまま、静かに口にした。
「戻ったらどうなんの」
「……海外行く」
「妹は」
「いない」
「……」
「俺は、止めない」
レイは少し考えるように、妹の眠る墓を見つめた。次いで、土だらけの自分の手を見つめ、その匂いを嗅ぐ。そして振り返り、風にさざめく木々の影に視線を投げる。やがて空を仰ぐ。降り注ぐ太陽の光の下、二人の上で鳥の影が通り過ぎる。見送ったあと、レイはようやく隣に立つ政宗を見る。
「……外、見てえ」
静かにレイが言った。
「お前は?」
「なにが」
「俺が、また戻ったら」
政宗は一瞬考える。戻れば、また戻れる。優しい上司と鬱陶しい同期のいる仕事。新しく用意された役職。それから、普通の未来。
政宗はかぶりを振り、それから低い声で言った。
「……俺は戻らねえ」
レイはにやりと笑った。
「じゃあ、一緒か」
「ああ」
それから二人は無言で車に戻る。ドアを閉める。政宗が墓の方を振り返っていると、横でふと声がした。
「腹減った」
「お前な」
「……なあ」
「なんだ」
シートベルトを締めながら、レイの言葉を待つ。
「お前のとーちゃんさ」
「なに」
政宗は握ったままのシートベルトのざらついた表面を指でなぞる。おもわず爪を立てるとレイが喉を鳴らした。そして視線は前を向く。
「……なんでもない。そんなこえー顔、すんなよ」
ㅤ言いかけたその続きが少し気になったが、レイの言葉で政宗の毛がぞわ、と逆立つような感覚がした。ルームミラーに視線をやる。レイが自分の中になにを見たのか、追う勇気はなかった。レイの言葉も、それきりだった。
そしてエンジンがかかる。政宗はバックミラーを見る。
墓地が小さくなっていく。レイは振り向かなかった。
父からのメッセージで、ダッシュボードに置いた画面が再び光る。政宗は既読をつけないまま、静かに電源を落とした。
ともだちにシェアしよう!

