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第2幕 第2話 マサ
夜、その日はホテルに泊まることにした。ツインとダブルの違いの説明を求められた時、レイが「一緒に寝たい」と宣うので政宗はフロントで焦った。それでも今のレイを一人にしておくのは忍びなくて、結局政宗はダブルの部屋を取ることにした。フロントの女性は営業用の笑顔のまま微動だにしなかった。
部屋の明かりをつけると、レイがびくっと反応した。中に入って部屋の隅に荷物を置いていると、ふと電気が消える。ぱち。またつく。
振り返ると、レイはホテルの入口で電気のスイッチをカチカチしていた。
「なにしてんだ」
「すげー」
「やめろ」
中に入ったレイは部屋全体を見渡して、それから政宗に向き直る。
「ここに住むのか?」
「住まない」
「じゃあ……待つ?」
「なにを」
レイは答えない。遅れてその意味に気付き、政宗はああと息をついて自分の額に手を当てた。
「いや。今夜だけだ。また朝になったら出発する。……風呂用意するから、待ってろ」
「やっぱ待つんじゃん」
「そういうんじゃねえ」
湯を沸かしているあいだ、スマホでいろいろ調べながらテレビをつけると、レイはテレビに釘付けになっていた。やがて風呂が湧く。
「入れ」
「ん」
レイがぎこちなく服を脱ぎ、バスルームに向かう。政宗はレイの姿を見送る。……さすがにシャワーの使い方はわかるか。そう思った矢先、レイの声がくぐもった聞こえた。
「なあ、部屋の中にトイレある」
「そういうのもある」
「うんこしたくなったら言えよ」
「お前もな」
「おう」
しばらく政宗がベッドでうとうとしていると、バスルームのドアが開く音で政宗は目が覚めた。「んん……」と声を上げてわずかに体を起こすと、政宗のシャツを着たレイが出てきたところだった。濡れた髪のままの姿に、政宗は固まる。バスルームの熱気が部屋に流れてくる。
「なに、どうした?」
レイにそう問いかけられて、政宗はすっと視線を逸らした。
「下を履け、あとタオル使え。風邪ひくぞ」
「おー」
「……レイ、こっちこい」
ドライヤーを探し出した政宗は、レイの髪を乾かしてやることにする。レイは大人しく椅子に座り、政宗に背中を向けた。
レイの、烏羽の深い色をした髪に指を入れる。ほんのりと湯気を纏ったレイの姿が鏡に映る。政宗は気にしないようにしながら手を動かす。一本一本が絹糸のように柔らかい髪のあいだを、政宗の無骨な指がするすると通り抜けて行く。
レイは政宗のその手つきを、鏡越しに大人しく見ていた。けれどたまにその視線がどこか遠くを見る。レイのその濡れた黒い瞳が、鏡に映るレイでも政宗でもないなにかを捉えている。なにを考えているのだろうとぼんやり思うが、政宗の知る由はなかった。
ドライヤーを止めると、突如静寂が訪れる。レイの髪に触れたまま、政宗は鏡の中のレイをじっと見た。
手を離すか、一瞬迷う。
「……終わったぞ」
「ん」
静かに離す。レイが少し曇った鏡を指でなぞる。政宗はそれをじっと見ていた。
政宗がシャワーから出ると、レイが先にベッドに入っていた。同じようにベッドに入ると、レイが政宗の方へ寝返りを打つ。反射でびくっと身体が震えるが、レイはまるで気にしていない風に政宗の顔を覗き込む。
「なあ、名前、なんていうの。お前だけ俺のこと知ってるの、ずるい」
レイが手を握ってくる。責めるというよりは、引き寄せるように。
「……大路、政宗」
一瞬躊躇って、それから口にした。名前負けしてると、正直自分でも思う。レイは瞬きを繰り返す。
「おーじ、まさ、ねむ?」
「違う」
「まさむね?」
「……マサでいい。友達からもそう呼ばれてる」
ㅤレイは、ちょっとだけ嬉しそうにはにかむ。
「じゃあ……マサ」
「なんだよ」
「今のは呼んでねえ」
レイの笑顔が小さく弾ける。それから手繰り寄せるように、指を絡める。
「マサ、お前は死なねえよな?」
「……レイもな」
ぽつりと雫を落とすように零れたその言葉にそう返すと、レイは穏やかな微笑みを浮かべた。気のせいか、握り締める手の力が強くなったように感じた。
「なあ、マサ」
「ん」
「俺さ、綺麗ってよく言われた」
レイがゆっくりと目を開ける。政宗は返事ができなかった。
「上客が、金積むから俺を専用にしたいって言ってたこともある」
「やめろ」
思わず声が強くなる。レイは不思議そうに政宗を見る。
「なんで」
「そういう話を平気でするな」
「でも、高いってことだろ?」
「違う」
政宗は首を振る。
「値段が付いたってだけだ。……人間には、値段がついてちゃいけないんだ」
レイは少し黙った。
「……専用にされなくてよかったな」
ぽつりと政宗が零す。今度はレイが首を傾げた。
「今はマサ専用だろ?」
政宗の唇は凍りついたように動かなくなった。けれどすぐにまた首を振る。
「違う」
「?」
「お前は、誰のものでもない」
レイは瞬きを繰り返した。
「俺にも、お前を自分のものにする権利なんかない」
部屋が静かになる。レイはしばらく考え込んでいたが、やがて困ったように笑った。
「……難しいな、それ」
「そうかもな」
「でも、俺は、マサといる方がいい」
その言葉に、つい安堵した政宗の口元には自然と笑みが浮かぶ。
「それで十分だ」
そう言うとレイは「ん」と短く頷いて、それから目を閉じた。
政宗はレイの寝顔を見つめる。いつの間にか、レイは静かな寝息を立てていた。起きている時はよく動く目元も、今は力が抜けている。わずかに開いた唇から規則正しい呼吸が漏れ、長い睫毛が頬へ細い影を落としていた。地下ではこんな顔で眠れたことが、一度でもあったのだろうかと政宗は思う。
誰のものでもない。そう言ったはずなのに、レイの隣にいることだけは、誰にも譲りたくないと思ってしまった。けれどすぐに、なにを馬鹿なことを、と思い直す。
政宗は気を取り直すように、沈黙したままのスマホを手に取った。SIMを抜いて、スマホの電源だけを入れる。それからメッセージを見返す。
『気は済んだか』
たった一文だった。……父は、なにを考えているのだろうか。
わからない。父の思考はいつも読めない。
わからない以上、逃げるしかないと思った。
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