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第2幕 第4話 どこへでも、どこまでも
今度は駅前のアクセサリーショップの前で、レイが足を止めた。飴玉みたいな瞳が、ガラス越しに並ぶピアスやネックレスを物珍しそうに眺めている。
「どうした。気になるか?」
「ちょっとだけ」
レイはケースを覗き込み、次いで政宗を見た。
「マサに似合うやつありそう」
「そうか?」
「マサは開けねぇの?」
「付けないし、開けるのも怖い。痛いだろ、あれ」
そう答えてから、政宗はレイの耳へ目を向ける。左右で数も位置も違うピアスがいくつも並び、妙にアンバランスだった。
「……そのピアス、外さねぇの?」
レイは耳へ触れ、瞬きをする。
「これ、もう外してもいいのか」
その言葉に、政宗は首の後ろをかいた。
「俺に聞くな。お前が決めろ」
「俺が外したら、マサ困んねぇ?」
「困るわけねぇだろ」
「じゃあ、外す」
そう言って、レイはピアスを外そうと耳の当たりをいじる。器用そうに見えて、実際はそうでもなかった。
「あれ」
キャッチがうまく回らないらしく、何度か指を滑らせる。
「貸せ」
政宗は耳元へ手を伸ばした。思ったより冷たい金属をつまみ、一つずつ外していく。
「……マサは黒いの似合いそう」
「そうか?」
「俺のはどう? 安っぽい?」
外したピアスを手のひらへ転がしながら笑う。
「似合ってる」
そう答えると、レイはにっと笑った。そして耳を指で軽く引っ張る。
「これ、全部、客の趣味」
政宗は返事ができなかった。派手なのが好きだったのだろう、と勝手に思っていた。
違った。レイが選んだものは、一つもなかった。体に穴を開けることすら、選べなかった。
「なあ、これも外れんのかな」
「……これ?」
レイが口を開け、舌を少し突き出す。政宗はそこで初めて、小さな銀色の玉に気付いた。
「……あ」
レイは指先で回し始める。何度が手こずったのち、しばらくして小さな部品がころりと手のひらへ落ちた。
「取れた」
舌の中央には、小さな穴だけが残っている。レイは何事もないように舌を引っ込め、手の中の金具を見つめた。
「ずっと付いてた。……なんか、軽くなった気する」
レイはやり切ったように、笑って息を吐く。政宗はぐっと唇を噛み締めた。気が付けば、なにもないはずの耳の先が少し痛かった。
──あの男は、一体どこまで。
店を出てしばらく歩くと、レイが側溝の金網の前で立ち止まる。
「……これ、もういらね」
チャリン。
一つ、また一つと外したピアスが格子をすり抜け、乾いた音を立てて落ちていく。
最後に舌のピアスを摘まみ上げ、レイはふっと笑った。
「世話んなったな」
そう言って手を離す。小さな金属音が、暗い側溝の奥へ吸い込まれていった。
「……行こ」
レイの静かな声に、政宗はなにも言わず頷く。
二人とも、一度も振り返らなかった。
その日の夜は昨日とはまた別の、駅前の安いビジネスホテルに泊まった。部屋は狭く、ベッドも一つだけで、テーブルランプの明かりが床をぼんやり照らしている。
風呂を済ませると、レイは床へあぐらをかき、政宗は昼間に文具店で買ったノートを広げた。
「まずは、ひらがなからだ」
ノートの一ページ目へ「あいうえお」と書く。
「多いな」
「まだ序盤だ」
「うへぇ」
文句を言いながらも、レイはちゃんと鉛筆を持ち直した。けれどゆっくり書こうとするものの、線は揺れ、形も少し歪む。
「力入りすぎ」
「難しい」
「貸せ」
政宗はレイの手に自分の手を重ねた。
「肩の力抜いて、流すように」
「……こう?」
「そう」
二人で一本の鉛筆を動かす。ランプの光で影が重なり、肩が触れた。レイの熱を感じたが、政宗は意識しないように努めた。
レイは何度も同じ文字を書き直し、不格好ながらも少しずつ形になっていく。
「なあ、俺さ、名前、書けるようになったらさ」
鉛筆を握ったまま、レイは紙を見つめていた。
「どこにでも行ける気すんだよな」
「……そうだな」
レイの言葉を受けて、政宗はそう返す。
名前を書くことなんて、自分には当たり前だった。けれどレイには、その当たり前すらなかった。
「行けるよ。どこにでも」
「ほんと?」
「ほんとだ」
レイは安心したように笑った。
「じゃあ、マサの名前も書けるようになる」
「俺のは画数多いぞ」
「楽勝」
そうして枕を抱えたままベッドへ転がると、レイは眠そうに目をこすりながら笑う。
「俺、今日めっちゃ楽しかった。マサも、楽しかった?」
「まあな。……こんな楽しかったの、久しぶりかも」
そう返すと、政宗に掛かる布団をかけ直しながら、レイはひひっと笑う。
「ゲーセン、また連れてって」
「ああ。……約束する」
「ほんとか? 絶対だかんな」
「おう」
レイは笑い、満足そうに目を閉じる。寝息が聞こえ始めるまで、ほんの数分だった。
部屋の空調の音が微かに聞こえてくる部屋で、政宗はレイを連れ出してからの記憶を振り返る。たった二日で、レイは初めて見るものばかりを笑っていた。
その笑顔を見ていると、自分まで少しだけ救われる気がした。
次の日の夜。眠る前になって、レイの顔が赤いことに気が付いた。ホテルと移動を繰り返して生活環境が一定していないのもあるのだろう。レイの白い肌は、赤みが差すとすぐわかる。
「熱、あるな」
「平気」
「隠すな」
汗で濡れた額に手を当ててそう言うと、レイは身動ぎして政宗の手を追い返そうとする。政宗は買ってきた薬を机に置き、ホテルのコップにミネラルウォーターを注ぐ。
「これ飲め」
けれどそれを見たレイはわずかに後ずさりした。
「それ、どこで」
レイの声がわずかに上擦った。
「薬局だけど」
ガサゴソと袋から市販薬を取り出しPTPシートを破って二錠出してやると、レイは薬と政宗を交互に見た。
「……どれぐらい効く」
「安心しろ、寝れば治る」
「打たねぇの?」
「……なにを」
「ざわざわするやつ。時間、近い方が勝ち」
「……なに言ってんだ、お前」
政宗の手から、白い薬が一錠、滑って落ちた。ベッドの下に転がっていく。政宗はそれを追いかけなかった。代わりにレイの方を見た。レイは体毛のない自分の腕を見ている。点滴の跡なんてないのに、そこになにかがあるみたいに。
熱に浮かされているだけではなさそうなその言動に、政宗は、ただ薬の苦味や注射の痛みに怯えてるだけではないことに気が付いた。もっと、違うものを怖がっているように見えた。熱で寝込むことすら、あそこでは、「仕事を休む」という意味を持たなかったのかもしれない。稼働率97%という数字を思い出す。政宗はそこまで考えて、想像を止めた。
じっと見ていると、レイが笑う。口元だけがゆっくり緩み、目尻がわずかに下がる。濡れた瞳に、部屋の明かりが反射している。その一瞬だけ、ゲームセンターやコンビニではしゃいでいたレイとは別人に見えた。
政宗の背筋が冷たくなる。
……違う。
誰かのために覚えた笑み。地下で見た時と、同じ顔だった。
やがてレイが唇を開く。
「……でもマサなら、打ってもいい」
「なんで」
レイはどこか遠くを見るように目を細め、それから何度か呼吸を整えた。
「マサは、売らないから」
その言葉に、政宗は止まっていた手を再び動かした。新しい薬を出し、水と一緒に差し出す。熱で潤んだ瞳が、政宗だけを映していた。
「飲め」
目を合わせないまま政宗は言う。レイはしばらくそれを見つめてから、薬を口に含んだ。横になったレイの口元から、飲みきれなかった水が零れる。政宗がタオルで拭いてやる。不意にレイは政宗の手首を掴むと、自分のホテルウェアの胸元に手を掛けた。
「……見たいの?」
政宗は答えない。思考の機能をシャットダウンするように、ランプを消す。レイの上気した頬が見えなくなる。
「寝ろ」
そう言うと、レイの手がようやく離れて行った。それでもまだレイの眼差しを暗闇の中で感じる。やがて彼は眠ったのか、さっきまでじっとりと感じていた気配が大人しくなる。
政宗はベッドの端へ少しだけ身体を寄せる。そのまま、目を開けて天井を見つめていた。
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