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第3幕 第1話 夜空の向こう

 政宗が不動産屋から契約の話を聞いているあいだ、レイは机に置かれた周辺地図をじっと眺めていた。差し込む西日に顔を顰めながらしばらくして首を傾げたあと、レイは地図をくるりと回した。政宗は無言で元の向きへ戻す。 「逆」 「これ、回しちゃダメなのか」 「ダメじゃねぇけど……地図は自分が合わせる」 「むず」  担当者はレイを不思議そうな顔で見ていた。 「彼、病院暮らしが長くて」  政宗が何気ない口調で言うと、担当者は「ああ……」と頷き、愛想笑いを浮かべたきりそれ以上はなにも聞かなかった。  契約を終えて店を出ると、レイが「なーなー」と声をかける。 「病院暮らしって?」 「ああいう時はそう言っとけ」 「なんで」 「細かく聞かれねぇから。他の人に聞かれてもそう言え」 「わかった」  レイは素直に頷いた。  駅へ向かって歩きながら、政宗はポケットから鍵を取り出す。 「ほら、家の鍵」 「?」  レイはぽかんとした顔で受け取り、掌の上に乗せたまま何度も裏返した。 「……俺の?」 「俺と、お前の。……なくすなよ」  レイは鍵の溝を指先でなぞり、その金属の欠片を凝視する。 「家の鍵、初めて持った」  そしてそんなことをぽつりと言う。 「……そっか」  政宗は静かに頷いた。  レイは嬉しそうに鍵を握り締め、ポケットへしまった。  生活に必要なものを揃えるため、二人は家具屋や家電量販店を何軒も回った。レイはどんな店でも遊園地みたいに目を輝かせた。  購入した家具を積み終え、車へ戻る。あたりはすっかり夜の帳が降りていた。トランクに入り切らないのは、後日郵送で送ってもらうことにした。 「帰るか」  レイが頷く。エンジンをかけてしばらく走ったところで、政宗はふと思い出した。海は見せた。けれど、山はまだだった。星だって、街じゃほとんど見えない。 「帰る前に、少し寄るか」 「どこ?」 「行けばわかる」  都心から少し離れた、奥まった小高い山。街の光が消えたあたりで車を止める。フロントガラスの向こうに、星が落ちていた。 「すげえ。あれ、全部星?」 「ああ」  政宗は頷く。  自販機で缶コーヒーとココアを買い、車に戻ってエンジンを切る。少し寒い。やがて、自然とレイが体を寄せてくる。 「おい、ココアあるだろ」 「もうぬるい」  やれやれと言いながらレイの体にダウンジャケットを掛けてやり、それからレイに体を寄せる。レイは不思議そうに空を見たあと、政宗の方へと視線を向けた。 「でっけー空。どこ見たらいいかわかんねぇ」 「それな」 「これ、見られてねえの?」 「見られてない」  レイが「そっか」と小さく口にし、それから前を向く。夜を吸ったようなレイの瞳に、微かに届く街の光が星を散らしたように反射している。 「なあマサ、手ぇ貸して」 「ん?」  レイが政宗の手を取り、手を広げさせる。レイのしなやかな指が、手のひらをゆっくりとなぞる。  や ま 「……山?」 「正解」  レイが笑う。 「書けるじゃん」 「まあな。じゃあ次、これ」 「ま……さ……マサ。俺かよ」  レイは得意げに笑う。政宗もくすぐったさを忘れて笑った。  最後に少し間を開けて、レイの指がゆっくり動いた。 「な」 「ぎ」 「さ」  レイが息を吐く音が聞こえた。その吐息は震えていた。 「……渚」  政宗の声も揺らいだ。  レイは何度もその三文字を指先でなぞるように、もう一度政宗の手のひらへ書いた。 「書けた」  そう言って笑う声が、どこか誇らしそうだった。その様子になぜか泣きそうになっていると、レイが「泣くなよ」と静かに、けれど明るい口調でそう言う。 「なあマサ。ここ、山もあるんだな」 「ある」 「海もあって、空があって、そんで、星もあって」 「ああ」 「マサもいる」 「最後俺でまとめんな」 「世界って、忙しいな」  レイの言葉に、政宗は「そうだな」と返した。  そうして、目を開けたまま、二人は星空を見ていた。  朝になったら消える光の下、握り締めたレイの手が、夜の冷えの中で静かに熱を持っていた。

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