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第3幕 第3話 触れたい理由
夜になり、レイが布団の上へ寝転がる。
前より艶の減った、それでも絹糸のように綺麗な髪がさらりと広がる。パーカーの下にある鎖骨が見える。政宗の喉が鳴る。
「レイ」
「なに」
ふと、彼の名前を呼んだ。
政宗はレイの上に覆い被さる。影がレイの上に落ちる。
「……いいか」
レイが政宗を見上げる。
「……いいよ」
少し間を開けて、レイの声が返ってきた。
明日、父の元へ行くつもりだ。
なんてことはない。レイのことを、片付けに行くだけだった。だから普通に帰れるはずなのに、なぜか、これが最後かもしれないと思ってしまった。
必ず戻る。戻るために行く。そう何度自分へ言い聞かせても、人間に絶対はない。もし戻れなかったら、この部屋も、この時間も、今日で終わる。
だからせめて一度だけ、自分からレイに触れたかった。
好きだと伝える代わりに。ちゃんと帰ってくると約束する代わりに。今日という日を、二人の記憶として残しておきたかった。
だから、今日だけは、自分のためにレイへ触れても許されると思ってしまった。
政宗が先に動く。自分から触れたのは、初めてだった。これで合っているのか考えながらレイの首筋に手を添えて、額を寄せる。レイは目を閉じない。じっと政宗を見ている。
「なんで見てんだ」
「見てたらだめ?」
「だめじゃねえけど」
レイの顔がふっと綻ぶ。政宗は観念したように目を逸伏せ、そのままレイの唇に触れた。
レイは合わせてくる。自然に、滑らかに。政宗の手の置き場に合わせて体の向きを変えて、呼吸のタイミングを合わせて。角度を変えるたびに、レイ唇は政宗を迎えやすい形になる。上手いなと思ったのもつかの間、なぜ上手いのか考えて、政宗の舌がレイと自分の唇のあいだに留まった。
自分じゃない誰かが、きっとレイをこんな風にした。
笑いながら、あるいは笑わせながら、この体に、この唇に触れた。息遣いも、合わせ方も、全部、誰かが教えたものだ。
──嫌だ。
そんな感情が、腹の底から込み上げる。
これから先は、自分だけを見てほしい。自分だけに笑って、自分だけに触れて、自分だけにこの顔を見せてほしい。
そんなことを願った瞬間、政宗の思考に急ブレーキがかかった。
今、なにを考えていた。
レイが欲しい。自分のものにしたいと、一瞬でも思ってしまった。そう思った瞬間、息ができなくなる。これでは父と、あの施設の客と、なにが違う。
体が欲しいだけなら、結局、そいつらと同じじゃないのか。
「マサ?」
レイが首を傾げる。政宗はレイから手を離した。
「……今日はやめる」
「え」
「ごめん」
「マサ」
レイの声が引っかかる。視線を逸らしてレイの上から退くと、政宗は敷いた布団の中に体を入れた。
「……気にすんな。そういう日もあるよな」
そうして困ったように笑うと、レイは政宗の隣、同じ布団の中で横になった。
電気を消す。部屋が暗くなる。
しばらく天井を見つめていると、布団の中でそっと指先が触れた。
レイだった。
手を引っ込める様子はない。ただ、そこにあることを確かめるように、政宗の小指へ自分の指を重ねている。
政宗は逡巡したのち、その手を握った。
レイも握り返す。言葉はない。暗い部屋の中で、互いの息遣いと体温だけが伝わってくる。
「……おやすみ」
やがて、小さな声が聞こえた。
「ああ」
繋いだ手は、そのままだった。
少しして、レイの規則的な呼吸が聞こえてくる。ふと顔を傾けると、レイの寝顔が目に入る。薄ぼんやりした暗い部屋の中で、政宗はレイのその寝顔を、じっと目に焼き付けるように見つめていた。
あの時、女子高生と一緒でいいから、プリクラを撮っとけばよかった。ふとそんなことを思った。馬鹿みたいな顔して、くだらない落書きをして。レイが普通に過ごしていたら、きっと高校生ぐらいの時に、そういうことができた。でも、できなかった。
妹も、もういない。普通の人間が送る二十年を、レイは知らない。これから先、誰かの心ない言葉に傷つくかもしれない。嫌になるかもしれない。壊れるかもしれない。
それでもそばにいる。レイが自分のことを好きにならなくてもいい。ただ、そばにいる。少し大袈裟に聞こえるかもしれない。それでも、心の中だけでそう決めた。
──お前の父ちゃんさ。
墓地でレイが言いかけた言葉を、唐突に思い出した。あの続きを、レイは言わなかった。話題が変わって、そのままになった。
でも今なら、わかる気がした。
きっと、似てるな、って言いたかったんだろう。
政宗は微かに笑った。自嘲を含んだ笑い声だった。
そうして、政宗の決意は静かに固まる。
レイを、本当の意味で自由にする。
レイの寝顔から目を離さないまま、やがて政宗は目を閉じた。
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