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第3幕 第4話 別れ
朝だった。
カーテンの隙間から差し込む光が、静かな部屋を優しく照らしている。政宗は音を立てないように上着を羽織り、玄関で靴を履いた。
「マサ」
振り返ると、寝室の入口にレイが立っていた。寝癖のついた髪のまま、じっと政宗を見ている。
「起きたのか。悪いな、起こして」
「どこ行く」
政宗はレイのつま先を見て、それからレイの顔を見る。
「少しやることがあってな」
「どこ」
「すぐ戻る」
落ち着けるためにそう言ったはずなのに、レイはなぜか表情を強ばらせた。
「……嫌だ」
政宗は黙ったまま鍵を握る。レイが一歩近付いた。
「俺を置いて行くな、頼む」
その声は大きくなかった。それでも、それだけで政宗を動けなくなる。レイの指が政宗の服の裾を掴む。だが政宗は首を振った。
このままなにもかも忘れて、レイとここで暮らしてしまいたかった。けれどそれでは終わらない。
父がいる限り、レイは自由になれない。
政宗はゆっくりとレイの手を包む。
「聞け」
レイは頑として首を振る。
「嫌だ、行くなら俺も行く」
「駄目だ」
「なんで」
「俺一人で行く」
靴を履こうとしていたレイはなにかを言い返そうとして口を開き、そのまま言葉を失った。
政宗はレイの肩に手を置く。
「必ず戻るから。……約束だ」
その声はやけにはっきりしていた。レイは政宗を見つめ続ける。
信じたい。でも、信じることが怖い。そんな瞳が、心許なげに揺れていた。
やがてこくりと頷くと、レイは頑なだった手をそっと離した。
「……待ってる」
「ああ」
政宗は玄関の扉を開ける。
背中にレイの視線を感じながら外へ出て、静かに扉を閉めた。
この部屋へ、必ず帰る。
そう胸の中で繰り返しながら、政宗は車のエンジンをかけた。
車を運転しながら、スマートフォンを取り出す。呼び出し音が二回鳴ったところで、聞き慣れた声が返ってくる。
『おう、マサ。朝っぱらから珍しいな』
弘斗だ。政宗の高校の時のクラスメイトで、唯一の親友。
「ヒロ、久しぶり。あのさ、頼みがある」
その声が思っていたより硬かったのか、弘斗の口調も少しだけ真面目になる。
『なんだよ、急に』
「今から住所送る。そこに、今保護してるやつがいる」
『保護?』
「事情があって匿ってる。詳しいことは今は言えねぇ」
電話の向こうで、弘斗が息を吸う音が聞こえた。
『……で?』
「一週間……いや、もし三日経っても俺から連絡がなかったら、その住所に、様子見に行ってくれないか」
『は?』
「飯でも買ってってやってくれ。多分、一人じゃどうにもなんねぇ」
『いや待て待て。それ、やべぇやつじゃねぇよな?』
弘斗が慌てた声を上げる。政宗は否定できなかった。
「……やばいかもしれない。でも、悪いやつじゃない」
『そういう問題じゃねぇだろ。人、死ぬような話か?』
政宗は言い返せない。そうして返事をするまでに少し時間がかかった。
「……死なない」
『おいなんだ今の間は』
「俺はちゃんと帰る」
『それ、なんか信用できねぇ。お前が冗談でそういうこと言うやつじゃないのはわかってるけど。──いや、だからこそこえぇよ』
弘斗が電話の向こうで首を振っているのが容易に想像つく。けれどふと、今度は弘斗の方で間があった。
『……親父さんのことか?』
政宗は目を閉じた。
「ああ」
それだけ答えると、弘斗はそれ以上聞いてこなかった。
『はぁ、分かった。……三日だな?』
悄然としていた弘斗の声が、途端に頼もしくなる。
「悪い」
『その代わり、お前もちゃんと帰ってこい。俺お前から借りた三万円、まだ返してねぇ』
「いつの話だ、それ。もう忘れてたぞ」
『ちゃんと取り立てろし。……まあいい、とにかく住所送れ』
「おう、今送る」
通話を切ると同時に、政宗は先日契約したばかりの住所を送信した。画面には既読の文字が表示される。それを見届けるとスマートフォンをポケットへしまい、ふっと息を吸ってからアクセルを踏んだ。
父のもとへ向かう前に、どうしても済ませておきたいことがあった。
レイの記録を消す。
契約情報も、売上も、顧客情報も、身元情報も、このホテルの管理システムに残っている限り、レイはいつまでも「商品」のままだ。父がいなくなったとしても、データさえ残っていれば誰かがそれを引き継ぐ可能性はある。そうなる前に、痕跡ごと消さなければならなかった。
ホテルの正面ではなく、政宗は建物の裏手へ車を回した。
搬入口の奥には、従業員用の通用口がある。
子どもの頃、父に連れられて施設を見学した時、何度かここを通ったことがあった。一般客が使う入口ではない。表の華やかな空間とは違い、荷物を運ぶ台車や業務用エレベーターが並ぶ、ホテルの裏側だった。
財布から古いカードキーを取り出す。もう使えないかもしれないと思いながら認証部へ翳すと、小さな電子音が鳴った。
緑色のランプが点灯する。……ロックが外れた。
「……まだ生きてたか」
思わず安堵の息を吐く。父は建物へ入る権限までは奪っていなかった。ほっとしながらも、父の意図が絡んでいるような気がして、すぐに顔を顰めた。
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