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第3幕 第5話 偽物

 通用口から中へ入ると、ホテル特有の静かな慌ただしさが広がっていた。リネンを積んだワゴンが通り過ぎ、厨房からは焼きたてのパンの匂いが流れてくる。宴会場へ向かうスタッフがインカムで短くやり取りをしながら足早に横切っていった。 「お疲れ様です、政宗様」  不意に声を掛けられ、政宗は反射的に声を上げそうになった。振り返ると、見覚えのあるホテルスタッフが軽く頭を下げていた。 「……お疲れ様です」  政宗も会釈を返す。  それだけだった。呼び止められることも、誰かへ連絡される様子もない。父から話は通っていないのか。  わずかに緊張の糸が緩んだのもつかの間、政宗はすぐに背筋を伸ばした。  いや、違う。通っていないのではない。この人たちは知らないのだ。このホテルの地下でなにが行われているのかも、自分が今どこへ向かおうとしているのかも。  業務用エレベーターへ乗り込み、地下へ降りる。あの日、父の後ろを歩いた通路が目の前に現れた。  白い壁も、幾重にも設けられた認証扉も、無機質な空気も変わらない。違うのは、今日は父がいないことだけだった。  政宗は真っ直ぐ奥へ向かう。以前、施設見学という名目で案内された部屋がある。地下区画全体を管理している部屋だった。  父はあの時、「ここで施設全体を管理している」とだけ説明した。壁一面に監視映像が並び、スタッフが端末へ向かって仕事をしていた光景を、政宗は今でも覚えている。  あの端末なら、もしかしたらレイの情報にも辿り着けるかもしれない。  管理室のドアを開ける。室内には誰もいない。監視モニターだけが静かに光を放っているだけだ。政宗は一番手近にあった端末の前に座り、迷うことなくキーボードへ手を置いた。  父が昔、施設の説明をしながら操作していた画面を思い出す。管理画面を呼び出すと、認証を求められる。政宗は自分に与えられていた管理者IDを入力し、パスワードを打ち込んだ。  読み込み画面が数秒だけ表示される。やがて画面中央へ、短い一文が現れた。 『管理権限が変更されています』  政宗は画面を見つめたまま、動かなかった。気を取り直してもう一度入力する。結果は変わらない。  権限が、失われている。  政宗は息を吸う。  いや、違う。  父が変えたのだ。自分がここへ来ることまで見越して。  暗いモニターに映った自分の顔を見つめる。政宗はしばらく動かなかったが、やがて管理画面を閉じると別の画面を呼び出した。  諦めるのはまだだ。権限を失ったからといって、なにもできなくなるわけではない。  会社へ入ってから覚えたことは、管理者権限だけがすべてではないということだった。保守用の領域、障害対応のために残された経路、運用上どうしても閉じられない穴は、どれだけ堅牢なシステムにも存在する。  父は経営者だ。システムを使う側の人間であって、作る側ではない。  指先が自然と動き始める。画面を切り替え、ログを辿り、普段なら管理者が触れることのない保守領域へ潜る。  数分後、目的のディレクトリ名が画面へ表示された。 『PROJECT NUMBERS』  ぞっとした。嫌な心臓の跳ね方がしながらも、政宗はそれにカーソルを合わせる。  フォルダを開くと、No.1、No.2、No.3と無機質な文字列が規則正しく並んでいる。No.5まであるその中からNo.3を開いた瞬間、契約書、顧客情報、売上記録、施術履歴、身体記録が画面いっぱいに現れた。  レイの人生が、そのまま商品管理データとして保存されている。胃の痛みをどうにかやり過ごして、政宗はそれを消そうと試みる。だが削除するための権限もなければ、バックアップの履歴を見て諦めた。それならばと、政宗は迷わずUSBメモリを差し込み、コピーを開始した。  進行バーがゆっくりと伸びていくのを眺めながら、ふと一覧の中に見慣れないフォルダを見つける。 『NAGISA』  レイの妹の名前だった──なぜ、彼女の名前がここにある。政宗はは無機質な画面を見つめる。青白い画面が、目に痛い。  気が付けば政宗はそのフォルダを開いていた。年ごとに作られたフォルダを、さらにクリックする。中には写真らしきサムネイルが毎年一つずつ、途切れることなく続いている。  最初の画像を開いた瞬間、幼い少女が笑っていた。レイと顔立ちが瓜二つの顔で、髪が長いのだけはレイと違っていた。  この子が、渚。  政宗は黙って次の月を開く。少しだけ背が伸びている。  さらに次。  制服姿、半袖、ワンピース、セーター。少しずつ季節が進んでいる。どれも笑顔ばかりが並んでいて、一見すれば幸せな写真にしか見えない。政宗は何枚も開き続けたが、その途中で違和感に気付いた。  光の入り方も、影の落ち方も、人物同士の距離感もどこか不自然だった。妹は生きていると信じさせるためだけに作られた写真だと、すぐにわかった。けれどレイがそれに気付くなんて、無理な話だ。 「……AIか」  誰に聞かせるでもなく呟いた声が、静かな管理室へ吸い込まれていく。  渚は六歳で亡くなっている。成長した姿など、本来は存在しない。それでも父は、毎月欠かさず渚の未来を作り続けていた。どれもこれも、レイに信じ込ませるために。  渚は元気に生きている。もう少し頑張れば会える。その希望を切らさないためだけに、存在しない人生を何百枚も積み重ねていた。  政宗は現在よりもずっと未来の日付の入った画像フォルダから目を逸らせないまま、画像フォルダの横に置かれたレポートを開く。  そこにはまた文字が並んでいた。画像注視時間、その時にレイが発した言葉。見せた時の、レイの様子がまざまざと記録されている。さらにその下には、翌月売上どれだけ伸びたか、顧客満足度がどう上がったかも記されている。最後にはこうあった。  評価:継続推奨  政宗は奥歯を噛み締めた。レイが渚を思って零した言葉まで、父は評価や数字に置き換えていた。制服を着て、友達と笑って、誕生日を迎えて、少しずつ大人になっていた彼女。けれど画面の中にいる少女は、その未来を奪われた代わりに作られた偽物でしかなかった。  進行バーが最後まで伸びる。 『コピーが完了しました』  政宗はUSBを抜き取り、静かに胸ポケットへしまうと、もう一度だけ画面へ映る渚の笑顔を見つめた。 「……レイには、見せたくねぇな」  そう呟いて画面を閉じると、管理室をあとにし

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