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第3幕 第6話 約束

 管理室を出ると、ホテルの中はさっきと変わらず動いていた。宴会場へ向かうスタッフが台車を押し、厨房からは皿同士ぶつかる軽快な音や話し声が微かに響いてくる。誰も政宗を止めない。誰も地下でなにがあったのか知らないまま、それぞれの仕事をこなしている。  政宗は胸ポケットへ手を当てた。薄いUSBメモリの感触が指先へ伝わる。データは消せなかった。それでも、これがあれば父と交渉できる。レイを商品として縛り続ける記録も、存在しない未来を毎月作り続けた渚の写真も、この中に入っている。ここで捕まるわけにはいかなかった。  その光景を横目に見ながら通用口へ向かう。早く戻らなければならない。  政宗は黒髪の、笑うと目尻が下がる男を頭の中で思い浮かべる。あいつは今なにしてるんだろう。その辺をほっつき歩いて迷子になってなければいい。  そう思いながら外へ出た瞬間、思わず立ち止まった。  通用口を抜けると、昼の日差しがアスファルトを白く照り返していた。搬入口では業者が荷物を運び込み、正面の車寄せでは宿泊客を乗せたタクシーがひっきりなしに出入りしている。ホテルはいつもと変わらず営業を続けていた。  車寄せには黒塗りの車が静かに停まっている。その前には黒いスーツ姿の男たちが、まるで宿泊客を迎えに来た運転手のような顔で並んでいた。  誰も騒がない。誰も武器を見せない。  それでも男たちの視線が一斉にこちらへ向いた瞬間、政宗はうなじの後ろがざわついた。  狙いは、自分だ。管理室へ侵入した時点で、父には伝わっていたのだろう。昼間なら明るみの中で下手なことはできないだろうと思っていたが、誤算だったらしい。  男の一人が一歩前へ出る。政宗は引かなかった。 「政宗様、お迎えに参りました」  恭しく頭を下げる姿を見た瞬間、政宗は唇を引き結んだ。間に合わなかったのではない。最初から待たれていたのだ。それでも胸ポケットへ入れたUSBだけは渡すわけにいかない。車と男たちの姿を見比べ、静かに首を振る。 「断る」 「会長のご命令です」 「知るか」  その瞬間、政宗は踵を返して脇道へ駆け出した。全力で走ると同時に背後で一斉に足音が鳴る。ホテルの敷地を抜ければ人通りのある道路へ出られる。そこまで行ければ、弘斗に連絡を取ってレイを連れて逃げられるかもしれない。その可能性だけを信じて足を止めなかった。 「っ」  右から伸びてきた腕を払い、正面へ回り込んだ男の肩を突き飛ばす。体勢を崩した隙を抜けようとしたが、すぐ別の男が行く手を塞ぎ、政宗は身体を捻ってその脇を抜けた。政宗は全速力で走って車道を目指した。男が追いかけてくる。囲まれている。最初から逃がすつもりなどなかった。それでも、止まるわけにはいかない。 「対象、逃走中」  男の一人が耳元のインカムへ短く告げる。数秒の沈黙が流れ、やがて返ってきた指示を聞いた男たちは一斉に動いた。 「会長より指示です。殺すな。必ず連れて来い」  政宗が車道へ出る道の角を見つけた、次の瞬間。  乾いた破裂音が、真昼の空気を裂いた。 「っ……!」  たちまち、右肩に焼けるような衝撃が走る。熱いと思った時には腕に力が入らず、政宗は大きく体勢を崩した。息を吸おうとしてもうまくいかず、そのまま膝をついてもなお立ち上がろうとする。けれどすぐに数人が身体を押さえ込む。 「離せ!」  暴れて振りほどこうとするたび肩から血が溢れ、激痛が全身へ走る。胸ポケットへ手を伸ばそうとした瞬間、その腕を男に押さえつけられ、身体を地面へ組み伏せられた。眼鏡が顔から弾き飛ばされ、乾いた音を立ててアスファルトへ落ちたそれが視界の端で跳ねる。世界が急にぼやけ、男たちの輪郭が滲んだ。それでも政宗はもがく。撃たれた手を後ろ手に回されて、あまりの激痛に脂汗が滲む。 「クソ、いってぇ……!」 「──救急を」  痛みに呻き声を上げながらも政宗が男たちの隙を伺っていると、誰かが短く指示を飛ばし、それから数分もしないうちに救急車のサイレンが近づいてきた。 「離せ、俺は、帰るんだ……!」  組み伏せられながらも足をじたばたさせながらもそう言うと、ふと首に注射を打たれた。途端に政宗の体から力が抜ける。弛緩した体は抵抗虚しく担架に乗せられる。政宗はぼやける視界で、空を見上げた。  脳裏に浮かんだのは、玄関で服を掴みながら「俺を置いて行くな」と叫んだレイの顔だった。  ──必ず戻る。  その約束だけは、まだ終わっていない。  レイの元へ。レイと、一緒に。  上手く動かない唇でそう小さく繰り返しながら、政宗の意識はゆっくりと闇へ沈んでいった。

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