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第3幕 第7話 迷子

   ◇ ◆ ◇  玄関のドアが閉まる音を聞いてから、レイはその場でしばらく立っていた。  政宗の声が蘇る。  必ず戻る。  政宗は、そう言った。その声は初めて地下で見た時の、尻もちをついて逃げようとしていた頃の青年とは違っていた。  だからレイは待つ。  昼になる。冷蔵庫を開け、政宗が買ってくれたパンを食べる。テレビをつけてもなにを言っているのかわからず、すぐ消した。窓の外では車が行き交っている。その音が聞こえるたびに玄関まで走るが、チャイムは鳴らない。  夜になる。時計を見上げる。長い針と短い針はまだ難しかった。それでも空が暗くなれば夜で、明るくなれば朝なのだと、ここ最近で覚えた。  眠って起きれば帰ってくる。そう思って、レイは毛布の中で体を丸め、目を閉じた。  けれど、翌日になっても政宗は帰らなかった。 「……マサ?」  部屋は静かだった。返事はない。  レイは立ち上がり、鍵を握る。初めて持った、自分の家の鍵だった。  家の鍵をゆっくり閉め、玄関を出て階段を下りる。酸っぱいような、苦いようなにおいがする。どっちへ行けばいいのかわからない。それでも政宗を探さなければならない気がした。  右へ歩き、少しして立ち止まる。違う気がする。  今度は左へ歩く。見たことのない道ばかりが続いている。似たような建物が並び、信号があって、コンビニがあって、人が歩いている。 「ええ……」  政宗と一緒なら迷わなかった。政宗が、どっちへ行けばいいか先を歩いてくれた。けれど今は、どこを歩いているのかもわからない。何時間歩いたのかも、もはやわからなかった。 「……マサ」  立ち止まって名前を呼んでも、返事はない。風が吹く音に、レイは思わず足が竦む。 「おにいちゃん?」  不意に声を掛けられ、レイは顔を上げた。黄色い帽子を被った小さな女の子が、不思議そうにこちらを見上げていた。ランドセルを背負い、胸元には名札が揺れている。 「おにいちゃん、まいご?」 「……マサがいねぇ」 「え?」 「帰ってこねぇ」  女の子はきょとんと瞬きをしたあと、小さく首を傾げた。 「まさ?」 「そう。迷子はマサの方だ。……俺は別に、迷子じゃねぇからな」 「ふーん」  そう言って、女の子はしばらくレイを見つめていた。その視線を受けながら、レイは政宗を探すのを諦め、家に帰ろうとゆっくりと歩き出す。けれどすぐに立ち止まった。 「えっと……こっちだったか?」  四つ角の道の真ん中で、レイは左右と、前後ろを見渡した。どれも同じような景色にしか見えない。さっきの女の子が、再びレイの前にやってきた。 「……おにいちゃん、帰れないの?」 「ち、違う。どっちに行こうか、考えてただけだ」 「ほんとに?」 「……ほんとは、迷った」 「ふーん。おうち、どこ?」  レイはしばらく考え込む。政宗が説明してくれた気がするが、住所は思い出せなかった。 「アパートなら……ブルーシーハイツ」  そう建物の名前だけを口にすると、女の子は「まってて」と言って、ワンピースのポケットからキッズケータイを取り出した。 「お母さん? ぶるーしーはいつってアパート知ってる?」  電話の向こうで二言、三言交わして、やがて「うん、わかった」と頷く。 「もうすぐお母さん来るって」  レイは女の子の手の中の小さな携帯電話をじっと見つめた。そういえば、自分も政宗に携帯を買ってもらった。けれど、電話の掛け方も、地図の見方も、まだ教わっただけで一人では使えなかった。  ほどなくして、一台の軽自動車が道端に止まる。 「待たせてごめんね」  女の子の母親らしい女性が車から降りてきた。事情を聞くと、困ったように笑ってから言う。 「よければ送っていきますよ」 「……おー」  言われるまま車に乗る。レイはジーパンの上でぎゅっと手を握った。  見覚えのあるアパートが見えた時、レイは「あ」と言って座席からわずかに腰を浮かした。 「……ここです」 「そうですか。よかった」  女性はほっとしたように笑った。車から降りて、レイは深く頭を下げる。 「ありがとうございます」  女の子はレイを指差して、それから口を開く。 「おにいちゃん、一人で大丈夫?」 「おう。マサが帰ってくるから、平気」  女性は表情を和らげた。 「早く帰ってくるといいですね」 「おにいちゃんばいばーい」  そう言って、女の子は車の中から手を振った。そうして、二人の乗った車は走り去り、やがて角を曲がって見えなくなった。  静かになった部屋へ戻る。玄関の鍵を閉め、政宗の靴がないか探す。部屋の隅に座っても落ち着かず、結局また玄関まで歩いてしまう。 「……マサ」  独り言が床の上を転がる。 「早く帰ってこいよ……」  そう呟いても、部屋には自分の声だけが残った。  探しに行くことも、迎えに行くこともできない。スマホの使い方もわからない。探しに行けば、また迷う。わかっていた。  自分にできることは、約束を信じて待つことだけだった。

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