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4-8 目覚め
◇ ◆ ◇
瞼が重い。
ゆっくりと目を開けると、真っ白な天井が視界いっぱいに広がった。
目の奥がちかちかして、鼻を突く消毒液の匂いと、一定の間隔で鳴る電子音が聞こえてくる。点滴が落ちる微かな音がして、政宗は何度か瞬きを繰り返しながらようやく自分が病院にいるのだと理解した。
「っ……」
体を動かした瞬間、右肩に鋭い痛みが走る。反射的に身体を起こそうとしたが、肩から腕にかけて鈍い痛みが広がり、思うように力が入らなかった。
ふと視線をやると、肩には分厚い包帯が巻かれ、腕には点滴の管が繋がっていた。政宗はそれだけで、ここに運び込まれる直前のことを思い出していた。
どうにか時間を掛けて体を起こし、ゆっくりと病室を見回す。ベッドのほかにはソファと小さなテーブルが置かれた、ごく普通の病室に見えた。窓へ目を向ける。そこには黒い鉄格子が嵌められていた。型ガラスの向こうには灰色の景色しか見えない。ここが何階なのか、どこの病院なのかわからなかった。
その時、壁に掛けられた時計が目に入る。無意識に眼鏡を探す。サイドテーブルにあったそれを掴んで掛けた時、政宗は捕まる直前に踏まれて壊れたことを思い出した。父が用意したのだと知って、思わず舌打ちが漏れる。
「……何日だ」
そんな疑問も、掠れた声で漏れた。壁の時計は時刻しか示していない。カレンダーも見当たらず、何日眠っていたのかわからなかった。
「レイ」
まだ酩酊しているような感覚の中、名前を呼ぶ。レイが待っている。必ず戻ると言った。
あいつは今も、それを信じて待っているはずだ。
「……っ」
その時、病室のドアが静かに開いた。革靴の音が一定の間隔で近付いてくる。誰が来たのか、見なくてもわかった。
「目が覚めたか」
父だった。重厚感のある声は前と変わらない。政宗は睨み返す。父はベッドの脇まで歩み寄ると、感情の読めない目で政宗を見下ろした。
「気は済んだか」
メッセージと同じ言葉が投げかけられる。謝罪でもなければ怒りでもない。ただ、息子が寄り道を終えたか確認するような口調だった。
その声音だけで口の中に苦味が広がる。それでも政宗は父から目を逸らさなかった。
「……あいつを自由にしろ」
掠れた声で、それだけを言う。父はしばらく黙っていた。
やがて、貝のような唇を開く。
「そのために戻って来たのは、確かなようだな」
最初からわかっていたと言わんばかりの口調だった。
「そうだ」
政宗は答える。父はなにも言わない。そこで政宗は反射的に胸元へ手をやる。そこで初めて気が付く。元の服は着ておらず、病衣だった。
「……ない」
政宗はコピーを取ったUSBを探した。撃たれた時点で回収されたのか、それとも病院へ運ばれてからか。どちらかはわからない。
「……っ」
あのUSBには、レイの契約書も、顧客情報も、売上記録も、存在しなかった渚の未来も入っていた。
「お前か」
父を睨む。父の手に渡った。そう考えるのが自然だった。
握った拳に爪が食い込む。交渉に使えるはずだった切り札は失った。それでも、諦める理由にはならない。父はデータを消していないし、レイも、まだ自由になっていない。
だったら、自分がやることは一つしかない。
父を、説得する。
「レイを返せ」
すかさず父に向かって言う。けれど父は涼しい顔で首を振る。
「私は交渉しにきただけだ」
「交渉?」
「そうだ。……私の下に入れ。お前にはそれなりの役職も、賃金も、お前が望むものならなんでも用意しよう」
「は?」
冗談だと思った。
「その代わりに、三番は手放せ」
「なんだ、それ。子供には高価なモノを与えておけば満足すると思っているバカ親の考えることだな」
父の小鼻がひくつく。……効いてる。けれど政宗は内心、ばくばくと鳴る心臓を今にも抑えたかった。手の内に汗が滲む。後にも先にも、父にそんな口を利いた覚えはなかった。
「わかった、また来よう。……そのあいだに、三番の処遇を決める」
政宗は点滴を引きちぎって立ち上がると、父の胸倉を掴んだ。
「レイに手を出したら、許さない」
けれど呆気なく振り払われ、政宗の体は床を転がる。肩に激痛が走る。痛みに顔を歪めている政宗を、父はしばらく見下ろしていた。
やがて、話はそれきりだと言わんばかりに父は立ち去る。政宗は遠ざかっていく足音を、痛みの中で聞くことしかできなかった。
切り札は失った。家に一人で残したレイも、どうなるかわからない。政宗が考えたのは、まずはここを出なければならないということだった。
政宗はベッドから起き上がり、足を下ろす。肩は痛むが、歩けないほどではない。
窓へ向かう。黒い鉄格子に手を掛けて力いっぱい揺するが、びくともしない。そもそも窓自体が数センチしか開かず、人一人通れる隙間はなかった。
ナースコールを装って逃げ出そうとも、格子をどうにか外して窓から逃げられないかも、ありとあらゆる方法を考えた。けれど逃げることはかなわなかった。
肩を撃たれた。それなのに、警察が事情を聞きに来ることもなければ、刑事らしい人間の姿もない。看護師は傷の具合を確認し、点滴を替え、薬を置いていくだけだった。驚くような様子も、深く事情を聞いてくることもない。それが一番異様だった。けれどここは、父の息が掛かった病院だ。だからなのか。
そう結論づけるまで、それほど時間は掛からなかった。
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