36 / 43

第3幕 第9話 弘斗

   ◇ ◆ ◇  レイは約束を信じて待っていた。  昼になるとコンビニへ行き、弁当を二つ買う。アパートへ戻るとちゃぶ台の上に並べ、誰も座っていない席へ箸を添えた。 「マサ」  呼んでも返事はない。  時計の見方はまだよく分からない。それでも窓の外が暗くなる頃には、弁当は冷たくなっていた。 「……先、食うぞ」  そう口にして、一つだけ食べる。もう一つには手を付けなかった。  翌朝、冷蔵庫へ入れておいた弁当を温め、一人で食べる。今日こそ帰ってくる。そう思いながら、また二つ買う。その繰り返しだった。  政宗が残していった現金は、引き出しの中へしまってある。使いすぎると困る気がした。だから必要なものだけを買う。  教わった通りにゴミを分け、決められた曜日に外へ出す。洗濯もして、食器も洗う。政宗が教えてくれたことだけは、忘れないように繰り返した。  夜になり、部屋の電気を消す。地下の部屋は、ずっと明るかった。  時間がわからないように。逃げられないように。監視しやすいように。  けれど今は違う。真っ暗だった。耳鳴りみたいな静けさだけが部屋を満たしている。 「……どうやって寝るんだ、これ」  誰も答えない。ホテルでは、隣に政宗がいた。だから眠れていた。それでも敷いた布団へ潜り、目を閉じる。  心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。呼吸の仕方が、時々わからなくなる。 「……マサ」  返事はなく、隣には誰もいない。そのまま何時間も眠れず、ようやく浅い眠りへ落ちた。  翌朝、インターホンが鳴った瞬間、レイは勢いよく立ち上がった。 「マサ!」  駆け寄って、玄関を開ける。けれどそこにいたのは知らない男だった。 「うお、びっくりした」  目が合った瞬間、レイはどうしたらいいかわからなくなる。固まるレイをよそに、玄関先に立つ男は首の後ろをがりがりと書いた。 「あー……マサから言伝預かってんだけど」 「あんた誰」  レイはすんと鼻を鳴らす。男からはガソリンと塗料の匂いがした。 「俺は中村弘斗。マサの高校時代の友達」 「……なまくら?」 「なかむらだ。……なんだこいつ」  やれやれと肩を竦める弘斗に、レイはさらに詰め寄る。 「なまくら、マサがどこ行ったか知らねぇ? あいつ帰ってこないんだ、ずっと」 「っ、近い近い。そんなん、俺も知らねぇよ」  弘斗はそう言って、慌てた様子で距離を取った。けれどすぐに「上がるぞ」と言って靴を脱ぐ。部屋に上がった弘斗は中を見回し、ぽつりと零した。 「ワケアリってこういうことか。……まあいいや。困ったことあったら俺に言え。これ、俺の番号」  弘斗は紙を差し出す。受け取ったレイはそれを眺め、それからポケットからスマートフォンを取り出した。 「……なあ、これの使い方教えて。これでマサに連絡取れる?」 「おい、マジかよ。あいつそういうのも教えてねぇの?」  弘斗は思わず額を押さえた。それから二人は並んでソファへ座る。電話の掛け方や連絡先の登録の仕方、文字の打ち方を一つずつ教わりながら、レイは政宗の番号へ短い文章を送った。 『マサ』  返事は来ない。何度画面を見ても、変わらなかった。 「……返ってこねぇ」  画面を見つめたまま呟くと、弘斗は「すぐ返せる状況じゃねぇんだろ」と短く言った。  レイは納得できずにスマートフォンを握り締める。 「マサ、いつ帰ってくる」 「さあな」 「知らねぇのか」 「知らねぇ」  あっさり返されて、レイは眉を寄せた。 「じゃあ、なんで来た」  その問いに、弘斗は少しだけ言葉を探すように黙った。 「頼まれたから」 「それだけ?」 「ああ」  レイはじっと弘斗を見る。弘斗も視線を逸らさなかった。 「でもな、俺も驚いた。あいつ、滅多に人に頼み事なんかしねぇから」 「しねぇの?」  レイは目を瞬かせた。弘斗は苦笑する。 「しねぇ。高校ん時からそうだった。なんでも一人で抱え込むやつ。一人でぐるぐる考えて、でも決める時はちゃんと決めるんだよな。俺も前に恋愛相談した時さ、政宗に励まされて」 「……」 「だから電話かかってきた時、『頼む』なんて言われて、一瞬聞き間違えたかと思った」  レイは黙って聞いている。 「お前のこと、よっぽど気になったんだろうな」 「……俺?」 「ああ」  弘斗は部屋をぐるりと見回した。 「鍵預けて、生活費置いて、人んち上がらせて。俺が知ってるマサなら、そんなこと滅多にしねぇ」  そして薄く笑う。その笑顔に、レイはしばらくのあいだ、返事ができなかった。  弘斗は時々、様子を見に部屋を訪れてくれた。  ふと、ちゃぶ台の端に積まれた封筒へ弘斗が目を留める。 「おい、これはなんだ」 「……なんだこれ」 「俺が聞いてんだけど」  弘斗は封を切り、中を見る。 「請求書じゃねぇか。払わないと電気止まるぞ」 「どうすんの?」 「コンビニ行く。金ある?」  レイは引き出しを開ける。 「マサがお金、残しててくれた。これで足りる?」  そう言って、レイは札束をそのまま弘斗へ差し出した。弘斗は一瞬固まり、それから思わずレイと札束を見比べる。 「お前、これ持ち歩いたりしてねぇだろうな」 「?」  弘斗は肩を竦めて首を振った。 「……まずはそこから教えるか」

ともだちにシェアしよう!