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第3幕 第9話 弘斗
◇ ◆ ◇
レイは約束を信じて待っていた。
昼になるとコンビニへ行き、弁当を二つ買う。アパートへ戻るとちゃぶ台の上に並べ、誰も座っていない席へ箸を添えた。
「マサ」
呼んでも返事はない。
時計の見方はまだよく分からない。それでも窓の外が暗くなる頃には、弁当は冷たくなっていた。
「……先、食うぞ」
そう口にして、一つだけ食べる。もう一つには手を付けなかった。
翌朝、冷蔵庫へ入れておいた弁当を温め、一人で食べる。今日こそ帰ってくる。そう思いながら、また二つ買う。その繰り返しだった。
政宗が残していった現金は、引き出しの中へしまってある。使いすぎると困る気がした。だから必要なものだけを買う。
教わった通りにゴミを分け、決められた曜日に外へ出す。洗濯もして、食器も洗う。政宗が教えてくれたことだけは、忘れないように繰り返した。
夜になり、部屋の電気を消す。地下の部屋は、ずっと明るかった。
時間がわからないように。逃げられないように。監視しやすいように。
けれど今は違う。真っ暗だった。耳鳴りみたいな静けさだけが部屋を満たしている。
「……どうやって寝るんだ、これ」
誰も答えない。ホテルでは、隣に政宗がいた。だから眠れていた。それでも敷いた布団へ潜り、目を閉じる。
心臓の音だけがやけに大きく聞こえた。呼吸の仕方が、時々わからなくなる。
「……マサ」
返事はなく、隣には誰もいない。そのまま何時間も眠れず、ようやく浅い眠りへ落ちた。
翌朝、インターホンが鳴った瞬間、レイは勢いよく立ち上がった。
「マサ!」
駆け寄って、玄関を開ける。けれどそこにいたのは知らない男だった。
「うお、びっくりした」
目が合った瞬間、レイはどうしたらいいかわからなくなる。固まるレイをよそに、玄関先に立つ男は首の後ろをがりがりと書いた。
「あー……マサから言伝預かってんだけど」
「あんた誰」
レイはすんと鼻を鳴らす。男からはガソリンと塗料の匂いがした。
「俺は中村弘斗。マサの高校時代の友達」
「……なまくら?」
「なかむらだ。……なんだこいつ」
やれやれと肩を竦める弘斗に、レイはさらに詰め寄る。
「なまくら、マサがどこ行ったか知らねぇ? あいつ帰ってこないんだ、ずっと」
「っ、近い近い。そんなん、俺も知らねぇよ」
弘斗はそう言って、慌てた様子で距離を取った。けれどすぐに「上がるぞ」と言って靴を脱ぐ。部屋に上がった弘斗は中を見回し、ぽつりと零した。
「ワケアリってこういうことか。……まあいいや。困ったことあったら俺に言え。これ、俺の番号」
弘斗は紙を差し出す。受け取ったレイはそれを眺め、それからポケットからスマートフォンを取り出した。
「……なあ、これの使い方教えて。これでマサに連絡取れる?」
「おい、マジかよ。あいつそういうのも教えてねぇの?」
弘斗は思わず額を押さえた。それから二人は並んでソファへ座る。電話の掛け方や連絡先の登録の仕方、文字の打ち方を一つずつ教わりながら、レイは政宗の番号へ短い文章を送った。
『マサ』
返事は来ない。何度画面を見ても、変わらなかった。
「……返ってこねぇ」
画面を見つめたまま呟くと、弘斗は「すぐ返せる状況じゃねぇんだろ」と短く言った。
レイは納得できずにスマートフォンを握り締める。
「マサ、いつ帰ってくる」
「さあな」
「知らねぇのか」
「知らねぇ」
あっさり返されて、レイは眉を寄せた。
「じゃあ、なんで来た」
その問いに、弘斗は少しだけ言葉を探すように黙った。
「頼まれたから」
「それだけ?」
「ああ」
レイはじっと弘斗を見る。弘斗も視線を逸らさなかった。
「でもな、俺も驚いた。あいつ、滅多に人に頼み事なんかしねぇから」
「しねぇの?」
レイは目を瞬かせた。弘斗は苦笑する。
「しねぇ。高校ん時からそうだった。なんでも一人で抱え込むやつ。一人でぐるぐる考えて、でも決める時はちゃんと決めるんだよな。俺も前に恋愛相談した時さ、政宗に励まされて」
「……」
「だから電話かかってきた時、『頼む』なんて言われて、一瞬聞き間違えたかと思った」
レイは黙って聞いている。
「お前のこと、よっぽど気になったんだろうな」
「……俺?」
「ああ」
弘斗は部屋をぐるりと見回した。
「鍵預けて、生活費置いて、人んち上がらせて。俺が知ってるマサなら、そんなこと滅多にしねぇ」
そして薄く笑う。その笑顔に、レイはしばらくのあいだ、返事ができなかった。
弘斗は時々、様子を見に部屋を訪れてくれた。
ふと、ちゃぶ台の端に積まれた封筒へ弘斗が目を留める。
「おい、これはなんだ」
「……なんだこれ」
「俺が聞いてんだけど」
弘斗は封を切り、中を見る。
「請求書じゃねぇか。払わないと電気止まるぞ」
「どうすんの?」
「コンビニ行く。金ある?」
レイは引き出しを開ける。
「マサがお金、残しててくれた。これで足りる?」
そう言って、レイは札束をそのまま弘斗へ差し出した。弘斗は一瞬固まり、それから思わずレイと札束を見比べる。
「お前、これ持ち歩いたりしてねぇだろうな」
「?」
弘斗は肩を竦めて首を振った。
「……まずはそこから教えるか」
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