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第3幕 第12話 父

   ◇ ◆ ◇  三か月目に入っても、父は変わらず病室を訪れた。肩は動くようになっていたが、この部屋から一歩も外へ出られない状況だけはなに一つ変わらない。  目を覚ますと、父は花瓶に花を挿していた。政宗が起きたことに気づくと、いつもの感情の見えない目がこちらを向く。 「考えは、変わったか」  この三か月で何度聞いただろう。父は会社へ戻る道を用意し、地下施設からも外すと言った。それでも条件だけは一度も変わらなかった。 「会社へ戻れ。情報システムでも経営でも、お前の好きにすればいい。ただし、三番からは手を引け」 「レイだ。それに、それはこっちのセリフだ」  父は訂正しなかった。 「妹には治療を受けさせ、借金も返済した。契約内容を説明した上で、三番は自ら署名している。私は契約を履行した」 「拒否できる状況じゃなかっただろ。金も頼れる大人もなくて、妹が助かるかどうかもわからない子どもに契約書を差し出して、それを選択なんて呼ぶな。あいつは選んだんじゃない。選ばされたんだ」 「それでも選択した事実は変わらん。私は対価を払い、二人に住居と食事を与えた。その利益でお前も生きてきた。ホテルも病院も会社も、お前が不自由なく暮らしてきた生活も、この事業の上にある」  否定はできなかった。自分も父の金で育った。それでも、その事実がレイの人生に値札をつけていい理由になるとは思えない。 「だからって正しいことにはならない。金で生活は買えても、人の人生までは買えない」 「感情論だな」 「そうかもな。でも、人を値段でしか見られなくなるなら、俺はそんな経営はいらない」  父はしばらく黙っていたが、やがて窓の外へ目を向けた。 「嘆かわしいな。このホテルは、お前の母が愛した場所だったというのに」 「……母さん?」 「私はあいつとの約束を守るために事業を大きくしてきた。守れるものを一つでも増やすためだ」  父の口からそんな話を聞いたのは初めてだった。それでも政宗の答えは変わらない。 「そのためにレイを踏みつけたなら、俺はそんな約束を守りたくない」  父は政宗を見つめたまま、しばらく黙っていた。 「……お前は折れないのだな」 「当たり前だ。レイの契約も顧客情報も売上情報も全部消せ。渚の写真と私物も返して、今後一切あいつに関わるな。そうしないなら俺は告発する」 「そうなれば三番の命の保証はないぞ」  その言葉を聞いた瞬間、政宗は父が花を生けた花瓶を床へ落とした。割れた破片の一つを拾い、自分の首へと突きつける。 「だったらアンタも失うことになる。母さんが残したものを」 「政宗」 「勘違いすんなよ。俺は死にたいわけじゃない。レイと生きるために、ここから出たいだけだ」  父の眉が、ごくわずかに動いた。それを見た途端、政宗の胃の奥から吐き気が込み上げた。  母を持ち出せば、この男が揺らぐことを知っている。亡くした人間を手放せず、その人との約束を支えに生きてきた父の気持ちへ、自分から手を突っ込んだ。だがそれは、渚を助けたいレイへ契約書を差し出した父と、なにが違う。  それでも、レイを連れて帰るためなら綺麗な人間でいることまで諦めるしかなかった。 「……選べよ。レイを取るなら、俺を失う。会社も継がないし、二度とアンタのところには戻らない」  自分でも嫌になるほど、その声は、言葉は、父によく似ていた。 「母さんとの約束を守りたいなら、レイを手放せ。母さんが残した俺まで踏みつけて、それでも守ったって言えるのか」  父は長いあいだ政宗を見ていた。 「……わかった。お前の望む通りにしよう」  普段より半音高いその声は、どこか疲れているようにも、焦っているようにも見えた。政宗は思わず父を見る。その言葉を聞いても、政宗の中に勝ったという感覚はなかった。 「契約情報も顧客情報も破棄する。妹の記録と私物も返そう。今後、三番には──」 「レイだ」  父はわずかに間を置いた。 「……レイには、二度と関わらない」  父は扉へ向かい、手を掛けたところで一度だけ政宗を振り返った。 「政宗」 「なんだよ」 「お前は、確かに私の息子だな」  収まりかけていた吐き気がまた込み上げた。皮肉ではないことが、その目を見ればわかってしまう。 「……一緒にすんな」 「同じだとは言っていない」  父はそれ以上なにも言わず、病室を出ていった。  似ているところまで否定するつもりはなかった。追い詰め方も、相手の大切なものを見抜いて利用するところも、確かに自分はこの男の息子なのだろう。  けれど、その力をなんのために使うかまで同じになるつもりはない。 「……俺は、アンタみたいにはならねぇよ」  閉じた扉から目を離し、政宗は三か月も待たせているレイを思った。

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