43 / 43

第4幕 第2話 おそろいの痛み

 美容院から帰った夜、ソファへ並んで座っていたレイが前髪を耳へ掛ける。その何気ない仕草を眺めているうちに、政宗の視線は自然と耳元へ向いた。  綺麗な形をした耳朶には、もう穴の痕跡はほとんど残っていない。 「穴、塞がったな」 「ん」  レイは小さく頷くだけだった。  地下にいた頃、服を纏わないレイの体についていた飾装飾品。当たり前のようにピアスを付けていた耳だ。その跡が消えていることに気付くと、ようやく、レイから一つ取り戻せた気がする。  政宗はしばらくその耳を見つめていたが、やがて思い付いたように呟いた。 「俺、ピアス開けるか」  レイが驚いたように振り向く。 「どこ」 「ここ」  政宗が自分の耳の軟骨へ触れると、レイは露骨に顔をしかめた。 「軟骨かよ。あれいてぇぞ」  政宗はその言い草に少し考える。本当に痛いのだろう。それでも気持ちは変わらなかった。 「……いや、いい。開けたい」  その返事を聞いたレイは、すいと目を細め、それからくしゃりと笑った。 「しょうがねえな」  まるで年上みたいな口ぶりで肩を竦める姿がおかしくて、政宗も思わず笑いを返す。  翌日、薬局で買ってきたピアッサーをレイが机へと並べる。その光景を見た瞬間、昨日の言葉が思い付きではなく、本当に開けるのだという実感がようやく湧いてきた。 「俺がマサに開けたい。いい?」  真剣な顔でそう言われ、政宗は黙って椅子へ腰を下ろす。レイは正面へ回り込み、政宗の耳へそっと触れた。位置を確認する指先が、少し震えている。 「マサ、動くなよ」 「動かねえ」 「怖えならやめろよな」 「やめねえ」  政宗はレイの目を見る。 「……お前も、怖いならやめとけ」  レイは一瞬政宗の耳を黙って見つめると、ふと唇を動かした。 「マサ」  返事をしようと口を開いた瞬間だった。  パチン、と乾いた音が耳元で弾ける。  一瞬遅れて熱が走り、鈍い痛みが軟骨へ広がっていく。 「っ……」  思わず息を止めると、レイが政宗の顔を覗き込んできた。 「ほらな、言ったろ」  心配そうな顔を見ていると、痛みよりその表情の方が気になってしまう。  政宗はゆっくりと答えた。 「……たいしたことない。っ、撃たれた時よりマシだ」 「顔色悪いぞ」 「気のせいだ」  少しだけ滲んだ血をレイが指先で拭う。  顔が近い。睫毛まで数えられそうな距離で見つめられているうちに、レイがふふっと笑った。 「マサ、俺とおそろいだな」  レイの屈託のないその笑みに、政宗も微笑みを返した。贖罪でも、自傷のつもりでもない。ただ開けたかった。それだけだった。 「もう片方も開ける?」  レイはもう一つのピアッサーを袋から取り出した。政宗は首を振る。 「一個でいい」 「ふーん。じゃあ、俺も開けようかな」  レイがピアッサーを見つめたまま何気なく呟く。政宗は思わず耳を見た。 「せっかく塞がったのにか」 「いい。開けたい」  レイは迷わず頷いた。そうしてもう一つのピアッサーを政宗の手へ握らせ、椅子へ腰を下ろす。 「マサ、俺にも開けて」  政宗はしばらく動けなかった。けれどレイが頑として動かないのを見るとようやく立ち上がり、レイの横へ回る。 「どこ?」 「ここ」  レイが指差したのは、政宗と同じ場所だった。一瞬躊躇ったのを振り払って、髪をそっと耳へ掛ける。その指先で触れられたレイの肩が、ほんの少しだけ強張った。それでも逃げようとはしない。静かに目を閉じ、政宗を信じるように身を預けている。 「動くなよ」  位置を確かめながらピアッサーを当てると、レイが目を閉じたままひそやかな声で尋ねた。 「……そこ、マサと同じ?」 「ああ」  その返事を聞いたレイは安心したように微笑み、そして頷いた。 「よかった」  その笑顔を見た瞬間、政宗は静かにピアッサーへ指を掛けた。  パチン。  軟骨を貫く感覚がして、政宗は手を離しそうになる。レイは自分の耳ではなく、先に政宗の耳を見た。同じ位置にあるかどうかを確かめるみたいに。 「どう? ちゃんと真っ直ぐ?」 「いっ」  レイの指先が耳に触れた途端、引き攣ったような痛みが走る。 「……悪い」  それから今度は、優しく包み込むように、頬側から触れてくる。その手つきがやたらと生々しくて、政宗は「んん」と思わず唸る。 「痛い?」 「平気」  レイの吐息を感じる。距離が近いと思ったのもつかの間、そのままどちらからともなく唇が重なった。耳だけでなく、体中が熱かった。  キスをしたまま、レイが政宗の服を引っ張る。いつもより力が強い。政宗も引き寄せるように腕を回す。 「……マサ」 「なんだ」 「早く」  せかすような声だった。政宗は少し笑いそうになりながら、レイの後頭部に手を当てる。 「お前な」 「うるさい」  レイが政宗の胸に額を押し付ける。耳の傷がまだじわじわと熱い。たぶん、同じ場所が、同じように熱くなっている。  耳を庇いながらベッドに倒れ込む。すかさずレイが上になる。髪が政宗の頬に触れる。鴉の羽根みたいな黒じゃなくなった髪。少し艶が落ちた、でも柔らかい金髪。 「……見てんの?」 「見てる」  レイが少し目を細める。恥ずかしがっているのか、それとも別のなにかなのか、政宗には判断できなかった。ただ、今のレイの顔は、仕事の顔じゃない。政宗だけが知っている顔だった。 「レイ」 「ん」 「……」  お前が欲しいと、言いかけて言葉に出来なかった。レイが瞬きをする。それからもう一度、キスをする。  理由も覚悟も罪悪感も、この瞬間だけは全部どこかへ行った。ただ熱くて、近くて、お互いの息が混じり合う。それだけだった。 「まさ。マサ……っ」  レイの吐息が上がる。政宗の息も乱れる。声も、体温も、全部混ざって溶けていく。再び唇が触れ合って、噛み付くようなキスをする。  そうして、二人はひとつになる。  やがて、静かになる。天井を見上げるレイの呼吸が、ゆっくりになっていく。 「……なあ、耳、まだ熱い」 「俺もだ」  レイがくすりと笑った。かと思うと、政宗の方に転がってくる。レイの視線を感じる。 「おんなじだな」 「ああ」  レイが政宗の袖を掴む。いつものやつだ。政宗はそれを振りほどかない。  しばらくして、レイの寝息が聞こえてきた。政宗は天井を見上げたまま、目を閉じなかった。  レイにあれだけのことをした男の息子が、レイのそばにいる。  でもレイは「同じだろ」と言った。  ……本当に、そうだろうか。  答えはまだ出ない。でも今夜は、それでいい気がした。

ともだちにシェアしよう!