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5-4 新しい仕事
そんなある日、仕事を終えてアパートへ帰るなり、政宗は靴も脱ぎ切らないうちに声を張った。
「レイ、仕事決まったぞ」
ちゃぶ台でノートを広げていたレイが勢いよく顔を上げる。
「……ほんとか?」
レイは笑うより先にそう聞いた。何度も不採用通知を受け取ってきたせいか、喜ぶ前に疑う癖がついてしまったらしい。その顔を見ていると、政宗は思わず苦笑してしまう。
「ほんとだ。面接じゃなくて、もう来てくれって話」
「……え」
「つまり、ほぼ採用。これは約束する」
レイはしばらく瞬きを繰り返していたが、ようやく意味が追いついたらしく、「……お、おー!」と声を上げて笑った。その目が一瞬で明るくなるのを見て、政宗も自然と口元が緩んだ。
「仕事って、どんなの?」
「弘斗の会社の先輩の弟さんの奥さんの叔父さんがやってるカフェだ」
レイはしばらく黙って政宗を見つめ、それから首を傾げる。
「つまり誰」
「知り合い」
「雑だな」
レイはその説明を受けてからからと笑った。その笑い声を聞いた瞬間、不採用通知を握り締めて俯いていたここ数日の表情がようやく消えた気がした。政宗は胸の奥にあたたかい物が広がるのを感じながら、ようやく鞄を床に置いた。
初出勤の日は、政宗の方が落ち着かなかった。仕事を終えて急いでアパートへ戻ると、部屋の電気はもう点いていた。玄関を開けた瞬間、台所からぱたぱたと足音が聞こえ、エプロン姿のレイが顔を覗かせる。
「マサ、おかえり」
「ただいま。……仕事、どうだった」
それだけを聞くつもりだったのに、思っていたより声が硬くなる。レイは一瞬だけきょとんとしたあと、堪えきれなくなったように笑った。
「楽しかった」
その一言で、政宗はようやくほっと息をつく。
「皿洗いもしたし、コーヒーも淹れた。まだ下手だけど、マスターが『最初はみんなそんなもんだ』って笑ってた」
「怒られなかったか」
「全然。間違えても『覚えりゃいい』って言われた」
嬉しそうに話すレイを見ていると、地下で失敗を許されなかった頃とは違う時間を過ごせていることが伝わってくる。政宗は上着を脱ぎながら言う。
「それならよかった。……今度、仕事が終わったら店に行ってみるかな」
そう言うと、レイはぱっと顔を輝かせる。
「ほんとか?」
「ああ。客として行く」
「おう!」
飛びきりの笑顔だった。その笑顔を見ていると、就職先を探して履歴書を持って何社も回った日々も、不採用通知を前に二人で黙り込んだ夜も、少しだけ報われたような気がした。
政宗は照れ隠しのように「その前にコーヒーくらいまともに淹れられるようになっとけ」と笑いながら言う。レイは「任せろ」と胸を張り、その自信満々な返事に思わず吹き出した。
そして初めての給料日。仕事を終えて帰ってきたレイは、茶封筒を大事そうに両手で持ったまま政宗の隣へ座る。
「仕事って大変なんだなー」
「まあ、そりゃそうだろ」
レイは封筒を見つめたまま、息を吐くように笑った。
「……マサは、そんな大変なやつで稼いだ金をさ、俺のために使ってたんだな。ホテル代とか、服とかさ」
どこか昔を思い返しているような顔だった。
「なんだよ」
「マサってすげーな」
「お前、ちょっと俺のこと馬鹿にしてないか」
「してないしてない」
笑いながら手を振るレイを見ていると、政宗はなにかが一つ報われるような気持ちになった。
けれど本当のことを言えば、自分がレイへ使った金など大した額ではなかった。結婚資金や老後のために貯めていた貯金を切り崩しただけで、それ以上でもそれ以下でもない。
「俺のために?」
レイが首を傾げる。政宗は静かに首を振った。
「違う。俺のため」
そう答えると、レイは「ふーん」と頷き、どこか満足そうに笑った。
政宗は茶封筒をちらと見る。
「それ、ちゃんと口座に入れとけよ」
「口座?」
「通帳」
「ああ」
レイは立ち上がると、引き出しを開けて一冊の通帳を持ってきた。
「これ?」
レイは通帳を開いて見る。残高の欄には、三千万円という数字が並んでいた。その数字を見ても、レイは首を傾げるだけだった。
「……なんかあるな」
「お前の金だ」
「俺の?」
「ああ」
レイは通帳を覗き込みながら、何度か数字を見返す。それでも実感が湧かないらしく、「ふーん」と頷いただけだった。
「……俺の借金って、ほんとに返し終わったの? これ、俺が今まで稼いだ金?」
「そうだ」
レイはまた通帳を見下ろす。
「ふーん」
それだけだった。
嘘だ。本当はもっとある。
レイ自身も知らないところで生み出した金は、こんな額では到底済まない。自分が通った大学の学費も、父が与えた車も、毎日の食事も、身に着けていた服も、そのどこかにはレイが稼いだ金が混ざっていたのかもしれない。
けれど、そんなことを今さら伝えるつもりはなかった。
レイは通帳を閉じると、今度は茶封筒を持ち上げた。
「じゃあ、この金もここに入れるの? 俺が働いて増やした金?」
「そうだ」
その返事を聞くと、レイは封筒をぎゅっと抱え、嬉しそうに笑った。
「へへ」
三千万円を見た時より、その笑顔はずっと晴れやかだった。
「俺も、しっかり働かなきゃな」
「そうだな」
レイは何度も頷いていたが、不意になにかへ気付いたように顔を上げる。
「待てよ。でもさ」
「ん?」
「そしたら俺の一時間、今めちゃくちゃ安くねぇか」
政宗は思わず吹き出した。
「それが普通だ」
レイは少しだけ考え込み、それから肩の力を抜くように笑う。
「……じゃあ、いいか」
その言葉を聞いて、政宗は静かに頷く。
ようやくレイは、自分の時間を自分のために使って働けるようになったのだと思った。
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