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6-6 何者

   ◇ ◆ ◇  経営は、順調とは言えないみたいだった。  それでも店を開けるたびに、昨日も来てくれた客がまた顔を見せてくれたり、「クッキー美味しかったからまた買いに来たよ」と笑ってくれたりすることが少しずつ増えていた。レイにはそれだけで十分うまくいっているように思えたが、閉店して帳簿を開くたび、政宗の表情だけはあまり明るくならないことに気が付く。  その日も店を閉めると、政宗はカウンターで帳簿とノートパソコンを並べ、難しい顔で数字を見つめていた。レイは隣へ座り込み、帳簿を覗き込む。数字はまだ全部読めない。それでも毎日見ているうちに、少しずつわかるものも増えてきた。 「で、この棒線なんだ」  帳簿の下へ引かれた赤い線を指でとんとんと叩くと、政宗は画面から目を離さないまま答えた。 「赤字ってこと」 「やべーの?」 「やばい」  その返事を聞いて、レイは帳簿と政宗の横顔を見比べる。赤字になると政宗はため息をつく。つまり、この赤い線はよくないものなんだろうと考えながら黙っていると、政宗が画面をスクロールしながらぼそりと呟いた。 「まだ開業資金も回収できてねぇ」  開業資金という言葉も、最初はよく分からなかった。でも店を作るために借りた金だということは教わっている。返し終わるまでは安心できないらしい。レイは腕を組み、どうすれば金になるのか考え込んだ。  自分にできること。  そう考えた時、頭へ最初に浮かんだのは昔のことだった。 「……髪、爪」  思わず口から出ると、政宗はすぐにこちらを見た。 「やめろ」  その声は静かだった。政宗にそう言われて、レイは笑うのをやめた。政宗がそういうのを嫌うことを思い出した。けれど、店のために役立つ方法として浮かんだのがそれだった。ごめんと謝ろうとして、けれど、なにを謝ればいいかわからなかった。  しばらくすると、昼の混雑が一段落した頃に店の扉が開く。 「お、ちゃんと店長やってんじゃん」  聞き覚えのある声に顔を上げると、弘斗と美樹が並んで立っていた。 「ヒロ、美樹ちゃん!」  政宗の声が弾む。レイも二人を見て、料理を教わっていた頃のことを思い出した。 「やっほー」  美樹が手を振る横で、弘斗は政宗を上から下まで眺める。 「お前、ピアスなんかいかついとこ開けてんね?」  政宗は耳へ触れ、小さく笑った。 「記念にな」 「なんの」 「なんでも」  弘斗は首を傾げていたが、それ以上聞かなかった。 「……レイの面倒、見てくれてありがとうな」 「別に」  弘斗は照れくさそうに肩を竦める。 「でも、まさかお前がカフェ開くとは思わなかったわ。レイにカフェの仕事紹介したのは俺だけどさ。親父さんの事業、引き継がなかったのか? 会社はどうした?」 「縁切った。もう大路の人間じゃない。仕事も辞めた」 「は?」「え?」  二人が揃って目を丸くする。  レイも思わず政宗を見た。  レイは、大路のことは詳しく知らない。それでも政宗の父親がすごい会社の人間だったことくらいは知っている。その家を出たということなのだろうかと思ったが、政宗はもうその話を終わらせるように視線を外した。 「……あっ、奥のお席、ご案内しまーす」  レイは慌てて笑顔を作り、二人を窓際の席へ案内する。弘斗と美樹が「はーい」とついてくる。 「レイ、お前もなかなかサマになってんじゃん」 「へへ。ナカムラも元気そうでよかった」  少しだけ得意になりながらメニューを渡す。 「お、成長したか。ヒロでいいぞ」 「ヒロ」 「そう、それ」  ちゃんと呼べたことがなんだか嬉しくて、レイは思わず笑った。  二人はパスタとコーヒーを注文し、レイは教わった通りに注文票をキッチンへ渡す。料理を運び終えると、美樹は早くもスマートフォンを取り出していた。 「このパスタ、うめえな」 「ほんとだ。インステに載せちゃお〜。あっ、ねえこのバターサンドクッキー、持ち帰りしようよ」  楽しそうな二人を見ていると、こういう時間が普通なんだろうかと思う。  厨房へ戻ると、ガラス越しに二人が笑い合っている姿が見えた。 「仲いいな、あの二人」 「恋人だからな」  政宗が何気なく答える。 「こいびと」  聞き慣れない言葉を口の中で転がしてみる。  恋人。  ああいうふうに笑って、一緒にご飯を食べて、当たり前みたいに隣へ座る人のことを言うのか。  そう呟くと、政宗がこちらを見る。 「ああいうのが普通なんだよ」  普通。  その言葉を胸の中でもう一度繰り返した時、不意にあることが気になった。  毎日一緒に起きて、一緒に店へ来て、一緒に帰って、ご飯を食べて、眠る前には手を繋いで寝る。  それは普通じゃないんだろうか。  だったら。  レイは政宗を見上げた。 「俺とマサも恋人?」  そう聞くレイの視線は、少しの、いや、多大な期待も混じっていた。そうだと頷いてくれると思った。けれど政宗はなにか言いかけたまま口を閉じ、そのまま黙り込んでしまった。  ……違ったんだろうか。  レイは首を傾げる。どうして答えてくれないんだろうと思ったその時、客席の呼び出しベルが鳴る。  政宗は短く息を吐くと、「注文だ」とだけ言って厨房を出ていった。  残されたレイは、その背中を少しだけ不思議そうに見送っていた。 「いらっしゃいま──」  挨拶を言い終える前に、隣にいた政宗の声が止まる。  何事かと思って顔を向けると、入口に立っていた上品な老夫婦が驚いたように目を見開いていて、やがて、政宗を見て嬉しそうに目を細めた。 「えっ!? まさか、政宗くんかい?」 「あら、本当だわ。大路さんとこの! 元気にしていたの?」  レイは思わず政宗を見る。  知り合いらしい。今日はマサの知り合いがよく来るな、とレイは思った。けれど政宗は少しも嬉しそうな顔をしなかった。 「……そんな人、知りません」  静かな声だった。怒鳴ったわけでもないのに、店の空気が少しだけ冷えた気がした。 「え?」  夫婦が戸惑ったように顔を見合わせる。 「別人です」  それだけ言うと、政宗は伝票へ視線を落とし、もう話は終わりだと言わんばかりに手を動かし始めた。どう見ても知り合いなのに。  レイは夫婦と政宗を交互に見比べながら、なにが起きたのかわからず首を傾げる。  それでも二人は何事もなかったように席へ座り、注文を決め始めた。レイが二人のオーダーを聞いて厨房に戻ると、政宗に呼び止められる。 「……レイ、これ、あの二人にサーブしてきて」 「お、おう」  注文された料理とコーヒーをトレーへ載せる。運んでる途中でふと振り向くと、政宗はもう次の注文に取りかかっていた。  夫妻に近付くにつれ、二人の会話が自然と耳へ入ってくる。 「そういえば大路さんとこ、なんでもすごいAIアプリを開発したらしいのよ」 「パーティで噂になってたあれかい? 確か、会員向けにやっていたサービスを一般公開するっていう?」 「それが先行公開で、若い人たちがずいぶん話題にしてるみたい。私はさっぱりだけど」 「僕も使ったことはないけれど……時代だねぇ」 「お待たせしました」  レイは曖昧に笑いながら料理をテーブルへ並べる。 「お待たせしました」 「ありがとう」  夫人は優しく笑ったあと、ふうとため息をついた。 「本当に政宗くんだったわよね」 「私もそう見えたんだがなあ」 「そうそう。政宗くん、昔は本当にいい子だったわよねえ」 「勉強もよく頑張っていた。大学へ進んでからも真面目で、お父様も期待していたはずなんだがなぁ」  大学。  レイにはよくわからない言葉だった。  お父様。期待。  話の端々に出てくる言葉は、どれも自分の知らない世界のものばかりだ。さっきの弘斗と美樹のこともそうだ。普通だとか恋人だとか。毎日新しいことを知る反面、なにかが遠ざかっていく気がする。 「いいお嬢さん、紹介しようと思ってましたのに」 「君の見つけた候補かい? お節介だったんじゃないのかね」 「いいえまさかそんな。でもほら、同い年の姪がいるじゃない。あの子ももういい年でしょ。お嫁さんにどうかって思ってたのに」 「はは。確かに、政宗くんは意外としっかりしてるからなぁ」  ……お嫁さん。  トレーを抱えたまま振り返ると、カウンターの向こうで政宗が黙々とコーヒーを淹れている。遠く離れているからか、夫婦の会話は聞こえていないみたいだ。  毎日一緒にいるはずなのに、その姿が少しだけ遠く見えた。  そういやマサって何者なんだろう。  そんなことを、今さら考えてしまった。

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