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6-12 多分きっと、これでいい
家へ帰ってからも、レイはいつもと変わらなかった。
夕飯を食べて、風呂へ入り、ソファでテレビを眺めながら他愛もない話をしているうちに、気付けば時計の針は日付が変わる手前を指していた。
歯を磨き終え、寝室へ入る。同じ布団へ入ることも、隣で眠ることも、いつの間にか当たり前になっていた。
照明を落とすと部屋は静かになり、キッチンからは、ブーンという冷蔵庫の低い稼働音が聞こえていた。
「なあ、マサ。今日さ」
暗闇の中で、レイがなにかを探すようにぽつりと呼んだ。
「ん」
「本当は、あの子にまたお茶しようって誘われてた」
政宗は薄く目を開けた。視界が、薄ぼんやりとした青色に包まれる。
「でも断った」
「は? なんで。日にち変えればよかっただろ」
「だって、今日はマサと遊びたかったし」
その答えを嬉しいと思った自分が嫌だった。昼間、自分からまた誘われたら行けと言ったばかりなのに。
「……断る理由聞かれたから、マサっていう大事なやつがいるって言っといた」
「──レイ。そういうこと、あんま言うな」
「なんで」
「恋人がいるって思われるだろ」
「違うのか?」
政宗は答えられなかった。レイは答えを待つようにこちらを向いている。長い睫毛の下にある瞳が、暗がりの中でもまっすぐ政宗を捉えていた。
やがてレイが布団の中でこちらへ寄ってくる。さらりと髪が頬へ落ち、パジャマの襟から細い首筋が覗いた。何度も交わしてきた軽い口づけと同じように、迷いなく顔が近づいてくる。
近くで見ると、やっぱり綺麗だった。地下にいた頃より頬には肉がつき、血色もずっといい。それでも目鼻立ちの端正さは変わらず、むしろ健康になったぶん、人形じみていた顔に生きた人間らしさが加わっている。そんなレイが自分から触れようとしている。その事実だけで、腕を回してしまいたくなった。
政宗はレイの肩へ手を置いた。
「……マサ?」
「だめだ」
「なんで」
「俺しか知らねぇから勘違いしてるだけだ。外へ出ろ。もっと色んな人と会え」
レイは離れなかった。政宗の手の下にある肩は薄く、その向こうに体温がある。
「……じゃあマサも、俺以外の人、好きになる?」
「なんで俺の話になるんだよ」
「同じじゃん。俺には色んな人と会えって言うのに」
「同じじゃねぇよ」
「なんで?」
政宗は言葉に詰まった。
「俺知ってるんだぞ。マサ、大学? に行って、普通に仕事してて、お嫁さんもらうはずだったの」
「あの店に来た人たちの話か」
「うん。マサは俺より普通だから、簡単なんだろうな。多分」
「……人って普通、撃たれねぇんだぜ」
「でもそれ、俺のせいじゃん」
「そういう意味じゃねぇよ」
「俺がいなかったら撃たれてなかっただろ?」
「まあ……いや、だから」
「ほら」
完全に話を間違えた。政宗は額を押さえた。レイを安心させるどころか、余計な理屈を一つ増やしただけだった。
「じゃあ俺が普通になったら、マサも前みたいに戻れる?」
「戻るってどこにだよ」
「会社とか、お父さんとか。お嫁さんとか。マサも、そうした方が幸せじゃねぇの?」
「なんでそうなるんだよ……俺のことはいいんだよ」
「なんで?」
「わかんねぇよ」
吐き出すように答えると、レイの眉がわずかに寄った。さっきまで触れそうな距離にあった顔が、今はひどく遠く感じる。
「ただ、お前は俺しか知らねぇだろ。今は俺がいいと思ってても、あとで違ったって気付くかもしれねぇ」
「それは、だから、俺が困るんだよ」
「なんでぇ」
言ってから、政宗は自分でも何を言っているのか分からなくなった。
「……これ以上一緒にいたら、俺がお前を縛る。だから、俺なんかで決めんな」
レイはなにも返さなかった。やがて身体を引くと、政宗の手の下から肩が抜ける。そして、それは静かに自分から遠ざかっていった。
「……わかった」
あまりにも素直な返事だった。
レイは背中を向けなかった。ただ少し距離を空けて仰向けになり、天井を見ていた。長い睫毛も、すっと通った鼻筋も、薄い唇も、横からならよく見える。政宗が綺麗だと思ってしまったその顔には、もう何を考えているのか出てこなかった。
手を伸ばせば届く距離だった。けれど離れろと言ったのは自分だ。政宗はその横顔を見たまま、布団の中で指を握り込んだ。
それから数日、二人の間にはどこかぎこちない空気が流れていた。
朝になれば同じように店を開け、仕込みをして、昼の営業を迎える。仕事そのものは変わらないはずなのに、レイは必要なことしか話さなくなった。注文を聞けば笑って返事をし、洗い物を頼めば「おう」と頷く。その笑顔も返事も今までとなにも変わらない。それなのに、政宗へ向けられる視線だけが少しだけ遠くなったような気がした。
夜も同じだった。
同じ部屋へ帰り、同じ食卓を囲み、同じベッドへ入る。それでも以前なら当たり前のように聞こえていた「今日さ」「なあマサ」という声はほとんど聞かなくなり、布団へ入れば袖を掴んでいた手ももう伸びてこない。
あれでよかったのだと、自分へ何度も言い聞かせた。
あの夜、拒んだのは間違いじゃない。レイはこれから普通に生きていく。そのためには、自分へ向けている気持ちを勘違いのまま育てさせるわけにはいかなかった。
だから、これでいい。
そう思っているのに、静かな部屋が、思った以上に寒く感じられた。
昼の営業中、レイが女性客と話している声が聞こえてくる。
「レイくん。この前おすすめしてくれたやつ、飲んでみたよ」
「ほんとか? うまかった?」
「うん。だから今日もそれにしようかな」
「じゃあ今日はケーキも合うぞ」
そんなやり取りを聞きながら、政宗はカップへコーヒーを注いでいた。
自然だった。
初めて会った頃のように相手の顔色を窺うこともなく、地下で身につけた営業用の笑顔とも違う。ただ相手の話を聞き、笑って、自分の言葉で返している。
少し前までなら、わからないことがあればすぐ「マサ」と呼んでいた。
今は違う。わからなければ自分で考え、それでも駄目なら客へ聞き返している。
ちゃんと、一人で立っていた。
その姿を見ながら、政宗は胸の奥が静かに軋むのを感じた。
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