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7-4 すべてを終わらせるために

 玄関のドアを閉める音が、夜の静かな廊下へ乾いた音を響かせた。  政宗は振り返らないまま歩き出す。頭の中では何度も同じ言葉が巡っていた。  父がレイを抱いた。  その事実だけが、他のなにもかも押し流してしまうほど重く胸へ居座り続けていた。  知っていたつもりだった。  地下で生きてきたレイがどんな目に遭ってきたのか、想像くらいはしていた。  それでも、自分の父だけは違うと、どこかで勝手に線を引いていたのだ。  あの男は地下を作った張本人だ。  人を物として扱い、利益のためなら何でもする人間だと分かっていた。  けれど、自分の手でレイへ触れたことだけは、認めたくなかった。  認めてしまえば、自分は今までなにを父と呼んできたのかわからなくなる。  足は自然と駅へ向かっていた。  どうするつもりなのか、自分でも分からない。  ただ、このまま家へ残っていたら息が詰まる気がして、身体だけが勝手に前へ進んでいた。 「マサ!」  背後から慌ただしい足音が近付いてくる。政宗は立ち止まらない。  ほどなくしてマンションのエントランスから飛び出してきたレイが、裸足ではないものの慌てて靴だけ履いてきたような格好で辺りを見回し、そこで一度ぴたりと足を止めた。 「あ……鍵」  レイは振り返ってマンションの自動ドアを見る。取りに戻るべきか迷っていることは、その視線だけでわかった。  数秒だけ立ち尽くしたあと、レイはぎゅっと拳を握る。 「っ、マサ!」  そう声にして再び政宗を追い掛け、こちらへと駆け寄って来た。  駅へ着いても政宗は足を緩めないまま改札へ向かい、交通系カードをかざしてそのまま中へ入る。 「マサ、待って、」  息を切らしたレイの声が後ろから飛んできた。政宗はその声を聞きながらも歩みを止めない。レイも改札へ続こうとする。けれど赤いランプと共に阻まれた。 「あっ、ちゃ、チャージ……!」  焦った声とともにレイが券売機へ駆け寄るのが見えた。財布を取り出す手元がおぼつかないのか、小銭を落とす乾いた音まで聞こえてくる。  政宗はすぐに体を前に向け、再び歩き出した。  ホームへ降りると、夜風が頬を撫でていく。数分後、階段を駆け上がる足音が聞こえた。 「はぁっ……はぁ……マサ!」  息を乱したレイが、ホームに並んでいる人混みをかきわけ、ようやく隣まで追い付いた。 「マサ」  細い指が政宗の袖を掴む。その温もりを感じた瞬間、胸の奥でなにかが揺れた。それでも政宗はゆっくりと腕を引き、掴まれていた袖を振り払う。  レイの手は宙へ取り残され、小さく握られたまま下りていった。 「……帰れ」  それだけ告げても、レイは首を横へ振る。 「帰らねぇ」  電車がホームへ滑り込んできた。  ドアが開くと、政宗は無言で乗り込む。  レイも遅れて同じ車両へ足を踏み入れたものの、今度は無理に隣へ来ようとはせず、少し離れた場所で政宗を見つめ続けていた。  車内へ発車ベルが鳴り響き、電車がゆっくり動き始める。  何気なく視線を上げたレイの表情が、不意に強張った。  政宗もその先を追う。  車内モニターでは、あのバーチャルタレントを紹介する広告映像が流れていた。  黒髪の青年が穏やかに微笑みながら、画面の向こうへ優しく語り掛けている。 『あなたの今日が、少しでも穏やかになりますように』  通路の中吊り広告にも、ドア横のポスターにも、同じ顔が並んでいて、ぞっとした。  レイは息を呑むと、周囲の乗客の視線を避けるように慌ててパーカーのフードを深く被る。  まるで、自分まで見られているような気がしたのだろう。その仕草を見た瞬間、政宗は奥歯を強く噛み締めた。  地下から連れ出した。  仕事を覚え、客と話せるようになって、街を歩き、電車へ乗り、ようやく普通の日常を少しずつ手に入れ始めていた。  それなのに、あの男はそこまで奪うのか。  レイが顔を上げるたび、自分の人生を切り売りした商品と向き合わなければならない世界を作ったのか。  怒りはもう収まる気配を見せなかった。  電車を降り、いくつか乗り継ぎを重ねるうちに、見慣れた街並みが窓の外へ現れ始める。  この辺りへ来るのは、もう何年ぶりだろう。  父は会社へ出入りするときこそ護衛を連れている。以前、会社へ乗り込んだときも、黒服が常に周囲を固めていた。  けれど帰宅だけは違う。運転手が一人付くだけで、あとは決まった時間に車が門をくぐる。  昔から変わらない習慣だった。  住宅街を抜けると、見慣れた門が街灯に照らされて浮かび上がる。  政宗は門の前で足を止める。夜の静けさの中へ、やがてエンジン音が近付いてきた。黒塗りの車がゆっくりと門の前で速度を落とし、ヘッドライトが政宗の姿を白く照らし出す。  後部座席の窓越しに、その男の顔が見えた。

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