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7-7 おやすみ
父と対峙した夜から、いくつかの季節が過ぎた。
駅前を歩いていると、ふと足が止まる。
レイも隣で同じように視線を上げていた。
かつて、RAYの広告が映っていた大型のデジタルサイネージには、今は新作映画の予告が流れている。柱へ貼られていたポスターも、期間限定のスイーツフェアへ差し替えられていて、目を凝らさなければわからないほど端の方にだけ、以前のポスターを剥がした跡が白く残っていた。
街は何事もなかったように動き続けている。誰も立ち止まらず、誰も「あの広告がなくなった」ともわざわざ口にしない。新しい広告が来れば、人はそれを見る。
それだけのことなのだと、駅を行き交う人の流れが教えていた。
「腹減った?」
隣でレイがそんなことを聞く。
「減った」
「じゃあ、今日はハンバーグな」
「また肉か」
「肉はうめぇだろ」
他愛もない会話をしながら歩いていると、それだけで胸の奥が少しだけ軽くなる。
この時間を守りたかった。
地下でもなく、RAYでもなく、ただのレイと一緒に街を歩ける時間を。
店には昼の混雑がようやく落ち着き始めていた。
女性客の一人が、スマートフォンを見せながら隣の友人へ声を弾ませる。
「見た? これ新しいやつ!」
「あー、それ今すごい人気なんだよね!」
「返事めっちゃ自然!」
画面には見覚えのないキャラクターが映っていた。
そこにいるのは、人懐こい笑顔の、黒髪の青年ではない。別の会社が始めた新しいサービスなのだろう。
「RAYよりこっちの方が好きかも」
「わかるー」
二人は笑いながらその話を続け、注文したケーキへ視線を移した。
話題はそれで終わる。
政宗は客が去ったあとのテーブルを拭きながら、その様子を黙って見ていた。
人の興味は移り変わる。
昨日まで夢中だったものも、新しいなにかが現れれば少しずつ忘れられていく。
もし誰も忘れられなかったら、レイは一生街を歩けなかった。
閉店後、二人で夕飯を食べ終えてなんとなくテレビを点けると、ニュース番組の最後で短い話題が流れ始めた。
『AI対話サービス「RAY」は、本日23:59をもってサービスを終了します。なお、一連の権利問題を受け、大路ホールディングスは代表取締役会長の辞任を発表しました』
画面には大路ホールディングスのロゴと運営側のコメント、終了を知らせる画面が数秒だけ映る。
『権利関係の見直しに伴い──』
理由の説明はそれだけだった。
ニュースキャスターは何事もなかったように明日の天気を読み始める。
政宗はその声を聞いているうちに、張り詰めていたものが音もなくほどけていくのを感じた。
立ったままでいるつもりだったのに、膝から力が抜け、その場へ座り込む。
……ようやく終わった。
地下から連れ出しても、交渉しても、父を殴っても終わらなかった。
けれど今度こそ、本当に終わった。レイが、自分で終わらせた。
「……よかった」
口をついて出た声は掠れていた。
頬を伝うものを拭う気にもなれず、政宗はただ画面が暗くなったテレビを見つめていた。
レイはリモコンへ手を伸ばしてテレビを消すと、静かな部屋の中でスマートフォンを取り出した。政宗はそれを静かに横目見る。
レイもなにも言わないまま、ホーム画面からRAYのアイコンをタッチする。いつもの起動画面が現れ、黒髪の青年が穏やかな表情でレイを見た。
『こんばんは』
変わらない声だった。あの日と同じ──少し冷たくて、甘い声。レイは画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
「……お前さ、悪いやつじゃなかったよな」
少しだけ困ったような顔で、レイは問う。
画面の向こうのRAYは、少し考えるような間を置いてから答えた。
『そう言っていただけて嬉しいです』
レイは口元を緩める。その顔は泣きそうにも見えたし、笑っているようにも見えた。
「ありがとな」
誰へ向けた礼なのかは、政宗にもわからなかった。自分を責めなかったAIへなのか、自分自身へなのか。ようやくここまで来られた過去全部なのかもしれない。確かめる術はなかった。レイだけがわかっていれば、それでいい。
レイは親指をホーム画面へ戻し、アイコンを長押しする。
小さく震えた指先は、一度だけ止まった。その躊躇いは長く続かなかった。
削除の確認画面が、レイの瞳に反射する。
『このアプリを削除しますか?』
レイは静かに画面を見つめると、確認のボタンへ指を乗せた。
「……おやすみ」
小さくそう呟いてから、指先で画面をなぞる。
アイコンは何事もなかったように消えた。ホーム画面には、空いた場所だけがぽっかりと残っている。
レイはしばらくその画面を見つめていたが、やがてスマートフォンの画面を閉じ、テーブルの上に伏せた。
政宗はなにも言わず、ソファへ腰を下ろす。
もう画面の向こうにレイはいない。
ここにいる。
ここにいるレイが、静かに息をしている。
それだけで、よかった。
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