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7-9 それでも一緒にいたいから

 時計を見ると、終電までそれほど余裕はなかった。食べ終えた皿を重ねながら弘斗が「そろそろ帰るか」と立ち上がると、美樹もコートへ手を伸ばす。その様子を見ていたレイは、洗い場へ皿を運びながら振り返った。 「俺が片付けやっとくから、マサ、二人送ってけよ」 「一人で大丈夫か」 「このくらい余裕だって。どうせ皿洗うだけだし」  そう言って笑うものだから、政宗は少しだけ迷ったものの、レイなら本当に一人で片付けてしまうだろうと思い直す。 「無理すんなよ」 「しねぇよ」  レイはシンクへ水を張り始める。その背中を見届けてから、政宗は厨房の棚へ向かった。  焼き菓子を詰め合わせた箱へ、店で出しているバターサンドクッキーをいくつか足す。クリスマス用に少し多めに焼いておいて正解だったと思いながら紙袋へ入れて渡すと、美樹が嬉しそうに受け取った。 「え、いいの?」 「残っても食い切れねぇから」 「絶対嘘だ」  弘斗が笑う。 「じゃあ、こういう時くらい素直にもらっとくか」 「政宗くん、ありがとう」  美樹が頭を下げる横で、弘斗も紙袋を軽く持ち上げた。 「じゃ、ごちそうさま」  店を出ると、冷えた夜風が頬を撫でた。クリスマスイブの街はまだ人通りが多く、駅へ向かう道では恋人同士や家族連れが笑いながらすれ違っていく。イルミネーションの明かりが歩道を淡く照らしているのを眺めていると、さっきまで店の中にあった賑やかな空気が少しだけ遠ざかった気がした。  三人で並んで歩いていたが、しばらくは誰も口を開かなかった。  沈黙が居心地悪いわけではない。たださっきまで笑っていた反動なのか、胸の内へ押し込んでいた考えだけが浮かび上がってくる。  政宗は吐く息が白く染まるのを見ながら、小さく口を開いた。 「あのさ……ヒロとミキは、自分がわかんなくなること、ねぇ?」 「え?」  歩きながら、弘斗と美樹が政宗を見る。 「お互い一緒にいるのは、誰のためなんだとか」  二人は顔を見合せた。そして政宗に向き直る。 「まぁ……お前の言いたいことはわかるぞ。仕事もこのままでいいのかとか、美樹にゃもっといい人がいるんじゃねぇかとか」 「そうそう。時間合わなかったり、体調悪かったりして予定が崩れたりとかして、喧嘩もするしね。ヒロ、たまに子供みたいなことで怒ったりするから」 「ミキも大したことねぇことで拗ねんじゃん」  一瞬、弘斗と美樹のあいだに不穏な空気が漂う。けれど緊張が張り詰めたのも一瞬、二人ともすぐに笑った。 「でも、それでも一緒にいたいからそうしてる」  美樹の手を、弘斗が握る。美樹も「うん」と頷いて、弘斗の手を握り返していた。 「そっか」  政宗は頷いた。 「なに。なんかあったのかよ」  弘斗の言葉を受けて、政宗は口を切る。 「時々さ、自分がわかんなくなる。……妹が死んだことを教えたのも」  言葉が、コップから溢れる水みたいに次々と零れていく。 「レイを外に連れ出したのも、結局は俺が楽になりたかっただけなんじゃねぇか。あいつを助けたかったって言えば聞こえはいいけど、本当は見て見ぬふりができなかっただけで、俺はただ、俺のために動いただけだ」  クリスマスソングがどこかの店先から流れてくる。その明るい音楽が今の話には似合わないと思いながらも、歩みは止まらなかった。 「俺は、あいつの人生を壊しただけなのかもしれねぇ」  弘斗はしばらくなにも言わず歩いていたが、やがて小さく息を吐いた。 「それで?」  返ってきたのは、それだけだった。問い返されるとは思っていなかった政宗は、言葉を探した。でも、なにを答えればいいのか自分でもわからない。  レイを元の場所へ返したいわけではない。連れ出したことが間違ってるとは思わない。  それでも、自分が選ばせた未来が本当に正しかったのか、その答えだけはどう考えても見つからなかった。  黙ったまま歩く政宗を見て、弘斗は苦笑する。 「俺馬鹿だからよくわかんねぇけどさぁ……嫌なら、政宗は最初から助けねぇし、あいつはあの店にいないだろ」  その言い方はいつもと同じで、説教をするでも励ますでもなかった。 「答えなんか俺が決めることじゃねぇし」  それ以上はなにも付け加えない。けれど、それが弘斗らしいと思った。答えを教えてくれる人間なら、こんな付き合いにはなっていない。  少しだけ間が空いてから、今度は美樹が穏やかな声で口を開く。 「でも、一つだけわかることはあるよ」 「……なに」 「レイくんね、政宗くんがいる時といない時で全然顔が違うもん」  政宗は美樹を見る。  否定しようと思えばできたはずなのに、その言葉は喉まで上がってきて、そのまま消えた。 「新しい字を覚えた時も、料理が上手くできた時も、『マサに見せたい』って最初に言うし、政宗くんだって忙しい時でもレイくんがお客さんと笑ってるかどうか、ちゃんと見てるじゃん」  弘斗が肩を揺らした。 「それはあるな。気付いてるか知らんけど」  美樹も笑って頷く。 「それに、ピアスも同じ日に開けたんでしょ」 「……まぁ」 「そういうことって、誰とでもすることじゃないと思うよ」  返事をしようとしても、言葉は思うように形にならなかった。耳へ触れれば、あの日開けた小さな金属が、今もそこにある。  レイが嬉しそうに鏡を覗き込んでいた姿まで思い出してしまうと、「違う」と言い切ることだけはどうしてもできなかった。 「好きとか恋とか、そういう名前を付けるのは二人が決めればいい。でも、お互いが大事なのは、見てたらわかるよ」  美樹はそれだけ言って微笑んだ。  やがて駅が見えてくる。ホームへ滑り込む電車の音と、発車ベルが聞こえる。弘斗が「じゃあな」と片手を上げた。 「また店行くわ。そうだ、今度初詣一緒に行こうぜ。レイも連れて来いよ」 「おう」  美樹も小さく頭を下げ、二人は改札の向こうへ消えていく。  その後ろ姿を見送りながら、政宗はしばらくその場を離れられなかった。  お互いが大事。  たったそれだけの言葉なのに、帰り道を一人で歩き始めても何度も頭の中で繰り返してしまう。  レイは今頃、店で一人、洗い終えた皿を拭いているだろう。  そう考えた途端、自然と店へ戻る足が速くなっていた。

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