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第4話 初めてのデート
木曜と金曜はそれまでの早帰りのせいで溜まりに溜まった仕事を片付けるのに結構な残業をした。店長には会えずじまいである。
そしていざ土曜日にユニクロの〝こんなTシャツ〟を着てクリーニング屋の領収書を持って朝から博多うどん店たぬき屋に繰り出した。ちなみに今日もメガネ着用である。
開店と同時に入った店で佐宗店長からクリーニング代を受け取る。そしてスマホの連絡先を交換して、
「じゃあ、明日はよろしくお願いします」
と嬉しい言葉をいただく。
店長自ら湯がいてくれたごぼ天うどんもいただいて(このために朝食は抜いて来た)店を出る。
またもやスキップに近い足取りである。
スクールバスのバス停で話しているうちに、東馬がこの街を案内する流れになっていたのだ。
佐宗真樹店長は今年の初めに九州から出て来たが、開店準備から今まで働きづめで、四月からは夜間大学にも通い始めたから真柴本城市内をろくに歩いていないのだ。
「尾形さんはこちらのご出身なんですよね。ぜひ教えていただきたいです」
などと頼まれれば、力強く頷いてしまう。
「お客さんと話すにも地元の知識がないと困ることも多くて」
立ち食いに近い(椅子はあるが)うどん屋なのに接客を考えている真摯な姿勢に胸がキュンキュンする。
「それに卒論ではこの街で生まれ育った歌人の足跡をたどるつもりなんです」
と言葉を重ねられて東馬の瞳はきらきら輝いていたに違いない。
店長は文学部で学んでいるという。東馬は一度とて考えたことのない分野である。それもまた尊敬してしまうのだ。
結果東馬は自ら提案していたのだ。
「じゃあ日曜日に軽くドライブでもしましょうか?」
そして大いに張り切った。うどんを食べた後は駅前のファッションビルで少しは見栄えのする服を買う。
ちなみに当日になってこんな真新しい服を着るのも恥ずかしいと気が変わり、クロゼットに入っていたナンバーツーのシャツやジャケットに着替えたのだった。
家に帰れば「明日、車借りるよ!」と宣言してコイン洗車に出かける。
ちなみに東馬はマイカーを持っていない。徒歩通勤だし大概の場所は徒歩で間に合う生活である。必要ならば親の車を借りるから特に買いたいと思ったこともないのだ。
翌日曜日、佐宗店長は待ち合わせ場所の駅前ロータリーに十五分ばかり遅れて来た。
スマホに連絡があったが、東馬はさして気にせずOKスタンプを返信したものである。
だが、小走りにやって来た店長が、
「すみません。出がけにちょっと手間取ってしまって……」
と助手席に乗り込むなりクスッと頬を緩めたのは見逃さなかった。
森末いや秦野太賀とこの車で初めてドライブした時のことを思い出した。
「いや、実家の匂いがぷんぷんする車だな」
くすくす笑われて、車内に異臭が籠っているかと鼻をクンクンさせたものである。
だが太賀が言っていたのは、バックミラーにぶら下がっている交通安全のお守りや、後部座席に敷かれた母の手編みのラグなどの小物についてだった。
それを覚えていたから、前日は細心の注意でもって家庭臭のある物は取り除いておいた。なのにまだ何か残っていたのか?
ふと手元に目をやればティッシュボックスが母の手編みケースに包まれている。
しまった! これを剥がしてくるのを忘れた。
歯噛みしていると、後部座席に雨に備えてタオルを入れた籠も目に留まる。これも母の手編みだった。
ああ、実家のおかん臭ぷんぷんである。悔やむ東馬に店長は、
「降らないといいですね」
と言うのだった。
実は天気もまた不安要素なのだった。
朝から曇天で何度も天気予報を確かめたが昼頃から雨が降るとのことだった。
店長のリクエストである市立図書館や本城城址公園を歩いた後に、ちょいと洒落たカフェでお茶をして、真柴街道から国分寺、歴史博物館に到る。
はっきり言ってこの地の小中学生が遠足で回るコースではある(昼食を広げるのは城址公園の芝生と決まっていた)が、佐宗真樹店長が望んでいるのは正にそれなのだった。
「尾形さんが子供の頃に行った場所に連れて行ってください」
とリクエストされて萌え上がったものである。
いや、興味を持たれているのは東馬の子供時代ではない。あくまでもこの地の子供達の標準知識なのだ。
最初に訪れた図書館は明治時代の重厚な赤レンガ建築である。けれど内装は最新式の図書館建築である。昔の紡績工場の外観だけを残しているのである。新旧コラボの知の宝庫は真柴本城市の観光名所でもある。
遅刻を気に病んでか車中口数が少なかった店長だが、この建物の中に入るや目を輝かせた。はずむ足取りで書架を見て回り、東馬が一度も入ったこともない分野の通路に入ると何冊も本を取ってはページを捲っている。
東馬が図書館に来るのは主に絵を描く時に参考にする図鑑や画集を借りるためである。選んでいるうちに夢中になることはあるが、店長のように文字ばかり並んだ本はあまり手にしたことはない。
嬉しそうな店長の顔を覗き込んでしまえば、目と目が合ってどちらからともなく笑い合う。
「ずっとこげな勉強したかったとです。心理学も勉強したかったとですが……」
いつになくお国訛りが出ているのを嬉しく聞く。何やら心を許された気分になる。
東馬はもう遠慮なく何冊も本を抱えた店長の腕を取って貸出カウンターに案内してしまう。この図書館には貸出冊数の上限はないのだ。
図書カードを作って本を借りてしまってから、
「返す時はバスに乗って来なきゃならんな」
ぼやく店長である。すかさず東馬は、
「その時は呼んでください。車を出します!」
と応じるのだった。
たちまち店長が見せた笑顔はまるで曇天の奥から陽の光が差し込むような輝きだった。
「好きです!」などとうっかり口走りそうになる。
だが、図書館を出て城址公園に到る頃にはフロントガラスにポツポツと雨粒が当たり始めていた。
そして駐車場に車を停める頃にはザーザー降りになっていた。
「ここの本丸広場に上れば街が一望出来るんだけど……ちょっと、これは……」
と言う東馬の声も掻き消さんばかりの雨足である。
結局、公園入り口に戻ってカフェに行くはずが軒先に雨宿り客がごった返しているのを見て、車を降りるのを憚ってしまう。
「昼飯はもっと簡単な所でいいですよ。せっかく予定してくれたのに悪いけど」
という店長の言葉を受けて、駅に向かって車を走らせる。
視界が真っ白になる程の豪雨である。対向車もはっきり見えないから、自然アクセルを緩めてスピードを落とす。
「そういや台風が近づいてるんだっけ」
今更気がつく自分の間抜けさも腹立たしい。
「いや、今日が良いと言ったのは私だから」
と店長。
「好きだ!」とまた言いたくなる東馬である。
ずっと横を向いて車窓の景色を眺めていた店長が「あそこ」と指を差した。
「少し雨宿りして行きませんか? あそこで」
豪雨の中でも何となくわかる。
緑色の水田が広がる奥に白亜のビルが建っている。ラブホテルである。
この辺の田園地帯には様々な意匠のラブホが乱立している。よもや単なるカフェラウンジなどと間違える奴はいまい。
店長が指さしたのは〝ホテルスワン〟だった。東馬と森末(当時)太賀との初体験の場所でもある。
何だかいきなり汚物をぶつけられたような気分になった。
おそらく東馬は眉間に深いシワを刻んでいたに違いない。
店長がその顔を見ていたのか、相変わらず車窓を見ていたのかはわからない。東馬はずっと正面直視で運転していたのだから。
そうして店長が低く落ち着いた声で言ったのは、
「私はこっちだけど、尾形さんもそうなんでしょう?」
同性愛者だと告白しているのだ。
だが東馬は「だから何なんだ?」と言いそうになるのを飲み込んで、ひたすらハンドルを握っていた。
「だとしても、まだ会ったばかりなのに、そういうのは………」
絞り出すように言うのが精一杯だった。
腹の底からむらむらと湧き上がるのは怒りである。
「ああ。じゃあ駅まで戻りましょう」
店長はまるで動揺を見せずに提案している。
それもまた腹立たしい。少しぐらいがっかりしたり、言い訳したりすればどうなんだ。
東馬とて最終的には店長とそういう関係になりたいと望んでいた。けれどまさか初デートでいきなりラブホに誘われるとは。
ずいぶん安く見られたもんだ。
そうして駅前ロータリーで店長を降ろしたのは予定よりかなり早い時間だった。
「今日は残念でしたね。せっかく車を出してもらったのに、あいにくのお天気で」「ありがとうございました。この街を知れてよかったです。お手数をおかけしました」
車を降りるまでに店長はしきりに話しかけていたが、もはや東馬は「ああ」「はあ」とにべもない返事をするばかりだった。
東馬を軽く扱った無礼さを謝ることもなく、単にドライブの手間にだけ感謝して店長は帰って行った。
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