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第5話 心さかさま

 何だったんだ!?  何なんだ!!  あの男は!?  腹立ち紛れに車を飛ばして無意味に真柴本城大学までドライブしてしまう。  校門前のスクールバス乗り場でUターンして家に戻ろうとした時、傘を差して走って来る人影に気がついた。  強風のせいで傘がお猪口になっているのを必死で直している。  東馬はついクラクションを鳴らしてその人物の注意を引いてしまった。  森末いや榛野太賀だった。 「送ろうか?」  と東馬はドアを開けているのだった。  この世で最も図り難いのは我と我が心である。  助手席に濡れた太賀を乗せて、後部座席の藤の籠に入れておいたタオルを渡した。もし雨が降って店長が濡れた時のためにと用意したのだが、結局使うことはなかった。今となってはどうでもいいことだが。 「いや、何でおまえここに居んの?」   尋ねる太賀にも「まあ」と取り付く島のない東馬である。  雨はにわかに小降りになっていた。  少しく辺りが明るくなったかと思えば遠くの空に小鳥の声が聞こえる。いよいよ晴れるらしい。  東馬は車のハンドルを切っていた。  田畑の中に真っ直ぐに敷かれた道路から脇道にそれると、大型パチンコ店とラブホテルが並ぶ。この街にはそれしか娯楽がないのか!?  ハンドルに乗せた手でそこを示して、 「少し雨宿りして行かないか? あそこで」  今さっき自分が言われたことを助手席に向かって言っているのだった。  「いや……そうだな」  少しく考えるふりをして太賀は頷いたのだった。 「いいかもな」  田んぼの中の小道を尾形家の車はラブホ目指して進んで行く。  まことに東馬は自分が何を考えているのかわからなかった。  二人きりで部屋に入っても、あまりの事に呆然とするばかりである。  けれど少し触れられれば肌感覚は蘇る。長いこと誰とも同衾していなかったのだ。そこに昔馴染みの身体である。  互いに存分に貪り合って、憚ることなく嬌声を上げているのだった。  肉体的には大いにすっきりして帰る東馬である。  心は?  そこはあまり考えたくはなかった。  自分の車を買おう!  にわかに思いついたのは、その夜のことだった。  窓は台風の強風にがたがた鳴り、どこかで空き缶が風に転がる音がひっきりなしに続いている。ベッドの中で頭を抱えた東馬は自分のあり得ない行動に輾転反側して目が冴えるばかりだった。  そんな時にわかに思いついたのだ。  あんな実家臭ぷんぷんの車に乗せるから、すぐに寝る男だと侮られるのだ。真新しいマイカーでドライブに連れて行って目に物見せてやる!  高い買い物の動機として情けなさ過ぎる気もするが、黒歴史が定着する前に新たな思いつきを実行することにした。  入社以来給料は毎月若干家に入れ残りは殆ど貯金しているのだ。絵を描く他に大した趣味もない。ボーナスも銀行に言われるままに丸々定期預金に入れている。  コンパクトカーの一台ぐらい買うに不自由はないのだ。  以来連日検索を重ね、カーディーラーに足を運んでは試乗しているのだった。  アルバイトの挿絵描きにも力を注いだ。元は兄の寝室だった隣の部屋がアトリエになっている。  子供向けの挿絵を水彩で仕上げる。動植物園でのスケッチはもとより、図書館で借りた図鑑なども参考に大いにデフォルメして描く。どちらかといえば大人向けより子供向けイラストの方が描いていても楽しい。  締め切りまでに十点を仕上げて宅配便で依頼元に納品する。毎度この時は自分がプロの絵描きになったような気がする。  実は高校を出る時に少しばかり迷ったのだ。美大やデザイン学校に進んで絵を生業にするのはどうか。サラリーマンになるよりずっと楽しそうではないか。  だが家族総出で反対された。 「絵で食って行ける人が世の中にどれだけいると思うんだ? 普通に大学に行って就職するのが一番だ」 「何もわざわざそんな変わったことをしなくてもいいじゃない。東馬は普通でいいのよ」 「俺やオヤジと同じ商学部や経済学部でいいだろう」  両親や兄にそう搔き口説かれた結果が今のサラリーマン生活である。   何もわざわざ変わったことをしたいわけではない。  それでなくとも生まれついての同性愛者という変わった存在なのだ。    唯一、東馬の進路を肯定してくれたのは妹だった。  「いいじゃん。絵が上手いんだから」  という素朴な意見を支持する者はいなかったが。  絵を描いていれば時がたつのを忘れ、嫌な気分もどこかに消える。  今回にわかに熱心にバイト仕事に励んだのも店長とのデートやその後の自分の痴態を思い出したくないためだった。 〈昨日はあいにくの雨でしたが真柴本城市をご案内いただきありがとうございました〉  店長からは初デートの翌日にお礼のメッセージが届いた。 〈失礼な言動をお許しください〉  というのはラブホに誘った件だろう。失礼との認識はあったらしい。 〈よろしければまた店にいらしてください〉  最終的に博多うどん店たぬき屋の宣伝で締めるのは、つまりは店長にとって東馬は客でしかなかったのだ。  そこにちょっと色気も付け加えられるかと試されたに過ぎない。  東馬はもう仕事を定時で終わらせることはなく、博多うどんを食べに行くこともなかった。  週末は父の手打ち蕎麦を食べる生活に戻っていた。  さすがに土日連続で手打ち蕎麦がきつければ、駅ビルに出かけた。硬めの讃岐うどんやラーメン、パスタなどを食べ歩いた。何故麺類ばかりになるかは謎である。  そうして六月も終わり、梅雨明け宣言がなされた日曜日。   いよいよ新車の契約に出かけようとしているところに、見慣れない番号から電話が入った。  詐欺かと用心しながら出てみれば、図書館から図書の返却がないとの催促だった。バイトの挿絵の資料として借りた図鑑がまだアトリエの隅に積んであった。  実家の車に図書館の本も積んで、国道沿いのカーディーラーに出かけた。七月に入ったばかりなのに既に猛暑である。古い車のクーラーは効いているのかいないのか、アスファルトの熱がアクセルペダルに置いた足元にまで迫って来るかのようである。  だが向後はクーラーも良く効く新車、しかも自分だけの新車で出歩けると考えれば心も弾む。  ローンも既に組んである。 「ほらな。ちゃんとした会社勤めで良かったじゃないか。絵描きだったらローンも組めないぞ」  保証人である父に余計なことを言われる。  実家に余分な車庫などないから、近所に駐車場を借りる契約もした。  そしていざ実家の車で店に乗り付ければ、 「大切に乗られているようですね。こちらもそろそろ買い替え時かと」  今にも下取りされそうな勢いである。まあ、そうなったとてもう自分にはマイカーがあるのだ。  マイカー!!  高校時代に同級生達は先を争って免許を取りたがったものである。そして意気揚々と車の運転を始めるのだった。  だが東馬はどういうわけか車にまるで興味がなかったのだ。免許を取ったのは単に兄が独立して出て行けば、父以外に運転手がいないのは不便だという家庭の事情に過ぎなかった。    今になってようやく同級生達の気持ちがわかって来た。マイカーで好きに出歩けるというのは、この田舎の街でやっと自由になれるということである。  真新しい車の助手席に店長を乗せてやる。そして晴天の日に真柴本城の映えスポットを回ってツーショットを撮りまくるのだ。帰りには緑の田畑の中に白く輝く〝ホテルスワン〟に寄って初めてのセックスに及ぶのだ。思い切り濃厚にいちゃいちゃしてやる。  ……などと思いついた途端にぶんぶん首を横に振っている。別にあんなヤリモク男を乗せるために新車を買うわけではない。  契約を済ませて店を出たのは昼頃だった。納車にはまだ一ヶ月程かかるようだが、その時も直接ここに引き取りに来るつもりである。  カーディーラーの社員達に最敬礼で送り出される。高い買い物にテンションも上がっていた。図書館に寄ってから、いつもよりリッチなランチをとるつもりだった。  赤レンガの図書館はエントランスを入れば新建材を使った現代の建築だが、部分的に古い意匠も残されている。貸出や返却用の黒光りする木製カウンターもそれである。  東馬が艶のある返却カウンターに借りていた図鑑を返していると、書架の奥から足の不自由な男性が近づいて来るのが見えた。何冊もの本を持って歩いて来るのだが、一歩ごとにひょこひょこと不安定に身体が揺れている。  その進路を邪魔しないように身を引いてから、やって来るのが店長佐宗真樹だと気がついた。  よく見れば店長の右の足首から下は白いギプスに包まれて、それをガードする黒いサンダルを履いている。右足を庇って歩くから、ひょこひょこ肩が揺れてしまうのだ。  もはや知らんふりも出来ない距離である。向こうも立ち止まって会釈をしているから、東馬も「どうも」と街中で同僚に会ったかのように言う。  けれど近づくにつれ店長の様子がただ事ではないと知る。  右足から目を上げれば顔色は妙にどす黒い。よく見れば額や頬に打撲傷のような痣が見えるのだ。誰かに殴られたのだろうか。心なしか痩せているような気もする。  デートでこの場所に来た時は頬を染め目をきらきらさせていたのに。今やまるでゾンビである。  にわかに血の気が引いて、 「ど、どうしたの、怪我? 大丈夫?」  尋ねる声も裏返ってしまう。けれど、 「薬指と小指が折れていた。全治一ヶ月だそうだ」  ごく淡々とした表情の店長だった。

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