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第9話 ふたりの行方

 昼頃まで二人で部屋で話していた。  真樹から聞かされる話は東馬にとってはまるで映画かテレビドラマのような現実離れしたものだった。  なのに真樹は殆ど感情も見せず、むしろ淡い微笑みさえ浮かべて淡々と語るのだった。 「弟はアメリカで俳優の修行ばしとう。エージェントもついた言うとった。  妹は看護師になって同じ職場の介護士と結婚した。もうあいつに殴られることもなか。やけん地元を離れて東京に出て来た」  少し感情の乱れを見せたのは、初デートの話だった。 「あん時、遅刻したんはここにあいつが来たからなんや。博多から上京して店を突き止めた後、とうとうこの部屋も見つけよって……」  と奥歯をきりきり噛みしめてから「いて」と頬を緩めるのだった。  何と真樹の義父はしばらく刑務所に服役していたらしい。 「罪状は知らん。暴行だか詐欺や賭博だか、とりあえずしばらくは金をせびりに来んと安心しとった。なんに、ああいう場所ではいい子ぶって規則を守りよるけん早うに出所して来る」  その頃には真樹は真柴本城市に来ていたし、弟はアメリカ、妹は大分に住んでいた。なのに義父はどういう手を使ってか真樹の職場を見つけてやって来た。  東馬が日曜日のたぬき屋で偶然見かけた中年男、あれが最初の訪問だったらしい。  その後店長が勤務する日にやって来て、 「弟や妹の居場所を教えろて暴れた。おまえは継子やけど、あいつらは血のつながった実の子やけん教えろ……て。  そのわりに金をせびって消火器振り回して暴れてからに……それでとうとう部屋にまで押しかけて来た。せっかく東馬と初めて出かける日だったのに……」  という言葉が終わる前に東馬は、 「ごめん!」  と頭を下げていた。 「そんなことがあったなんて知らないで、いい気になって……」  真樹は相変わらず微笑んで首を横に振っていた。 「なーん、東馬が謝ることはなか」    博多うどん店たぬき屋は苦労人の社長が一代で九州に築き上げたチェーン店である。 〝社員は家族〟が社訓とのことで、苦学生には返済無用の奨学金を与えたり何かと便宜を図っている。温情のたぬき社長と呼ばれているそうである。 「そやけん高校生の頃から働いていた私にも、何かと良くしてくれた。あいつが博多店に乗り込んで暴れた時も、一時的に私を熊本店や鹿児島店の出向にしてくれた」  あんな義父をもつ真樹にとって〝社員は家族〟の社訓はどう思えたのだろうか。  今日真樹はたぬき屋東京支社の事務所に呼び出しを受けているという。  「今度ばかりは、もう無理やろうな。あげな風に店で暴れて昨日は警察に逮捕されて……そげん父親のいる店員は店に迷惑ばかくるばっかりや。行こうか?」  すらりと続いた「行こうか?」の意味がわからなかった。 「そろそろ出かけよう」の意味と気づいて東馬は呆然とする。  そんなに淡々と並べて話すことだったのか?  同情するのは傲慢過ぎる気がするが、それにしてもこんな過去を微笑みながら話せる真樹が悲しい。目頭が熱くなるが涙は必死でこらえる。  食卓の茶碗を洗って片づけ出かける支度をする。あんな暴力被害も真樹には当たり前であるかのように日常生活が進んでいるのだ。  それすら東馬には哀しいことに思えてしまう。  二人とも怪我のせいで日常的な身だしなみを整える動作にもやたら時間がかかる。まるで高齢者である。  ワンルームマンションの狭い玄関で靴を履くのも一苦労だった。まだ右足に包帯のある真樹は座り込んで黒いサンダルを履いている。左足のスニーカーは東馬が履かせて靴紐も結んでやる。  次に東馬自身も腰を落として靴を履くがよろけながら立ち上がる。二人で玄関先で抱き合わんばかりの体勢になった時にわかに身体がふらふらした。  目眩だろうか?  思った途端に、  ギュイー! ギュイー! ギュイー!  スマホの地震速報が鳴った。 「地震です。強い地震が来ます。避難してください」  その警告通り、ゆらんゆらんと床が大きく揺れ始める。 「目眩やなかったんやな……」  真樹が呟くのに東馬は笑ってしまう。 「何ね?」と、それを怪訝そうに見ながら真樹は玄関ドアを開ける。室内に閉じ込められないためである。  二人抱き合うようにして外廊下と玄関に片足ずつ出して様子を伺っている。5階の廊下でドアを開けているのはこの部屋だけである。 「他の部屋は留守なのかな?」 「平日の昼間やけん」  などと言い合っているうちに、東馬は奇妙な思いに囚われている。  もうこのまま二人で地震で倒壊するマンションの中で死んでもいい。そうすればあの義父に悩まされることもなく二人安心して暮らせるのだ。  ……いや死んだら暮らせないだろう。  などと思った後、地震は静まったのだった。 「5階やからよう揺れるけど、大した震度やなかろう」  呟く真樹に東馬は抱きついたままでいる。正直キスをしたかったが目の前にあるのは青黒く腫れ上がり切れている唇である。無闇に触れている場合ではない。 「怪我が治ったらたくさんキスしたい」  そっと頬に頬を寄せて囁けば、  「キスだけ?」  耳元でくすくす笑いながら言う声が聞こえた。  東馬はにやにやしながら身体を離した。  二人廊下に出ると真樹はドアを閉めた。 「地震と共に去りぬ、やな」  鍵をかけながら言ったものだった。  ブラウンカラーの新車は地下駐車場で大人しく待っていた。  真新しい香りのする車内に真樹を招き入れる。肋骨を折られているから、身体をねじってシートベルトを留める動作が難しい。  運転席の東馬が身を乗り出してベルトをバックルに固定する。  無言で手伝っているのは、こんな形で真樹を新車に乗せたかったからではない。もっと希望に満ちた楽しいドライブをするはずだったのに。  日曜日のデート前の図書館での浮かれ気分は微塵も残っていなかった。    満身創痍の怪我人二人が乗る車はマンションを離れて本城駅前に向かう。  東馬は粛々と車を走らせた。グローブボックスに入れておいた予備のメガネは、顔が腫れているのでやたらにツルがきつかった。包帯をした手でハンドルを握るのも不安定である。  事故を起こさず安全に真樹を会社に送り届けることだけに専心した。    駅裏のごみごみした地域に建つ雑居ビルの一フロアが博多うどん店たぬき屋の東京支社だった。  真樹が車を降りるにも、東馬は専属運転手のように車を降りて助手席に回って手を貸すのだった。 「ありがとう」  と東馬の背中にしばし掌を当ててから、真樹はビルの玄関を入って行った。  その背中に向かって、 「気をつけて。またね」  と声をかける東馬である。   建物の中で真樹がエレベーターを呼んでいるのを見守って、完全に姿が消えてから車に戻った。背中に残った掌の温もりは運転席に着いても残っていた。  帰宅すれば案の定、母親が東馬の姿に驚愕するのだった。  ダイニンキッチンで昼食の支度をしていた母親に、しどろもどろで説明する。 「友、友達が変な、酔っ払い? 通り魔? みたいのに殴られたり蹴られたりして……助けようとしたらこっちも殴られて。それで周りの人が警察呼んでくれて……」 「通り魔ってどこで? お友達って会社の? 大学の?」  問い詰める母親に話しているうちに涙がにじんできた。顔にはまっているかのようなメガネを外して両目をこすれば、腫れた顔の違和感が手に伝わる。  いよいよ涙が溢れ出て、東馬は子供のように泣きながら訴えるのだった。 「友達じゃない! 恋人だ! 恋人になるはずの人だったのに……」 「恋人って、いやだ女の人!? 大丈夫なの? ちゃんと守ってあげたの東馬!?」 「守れなかった! 僕は全然守れなかったんだ!」 「待ってよ。そんな、よそ様のお嬢さんを……親御さんに謝らなきゃ」 〝親御さん〟という言葉に、東馬の感情は爆発した。  自分が愛する〝よそ様の息子さん〟は〝親御さん〟に殴られて金を奪われ、ずっと虐げられてきたのだ。  そんな事も知らずに自分はドライブデートに浮かれていたのだ。 「お嬢さんじゃない! 男だ!! 僕の恋人は男だ! 女なんか好きじゃない」  東馬はテーブルを叩いて怒鳴った。そして包帯をした手の痛みに身を丸めてしまう。そんな息子の肩を抱こうとした母の手を乱暴に振り払う。いい年をした社会人の振る舞いではない。中学生か?  母親がぽかんと口を開けたきり声も出ないでいるのは、言葉よりそんな反抗的態度についてらしい。  喚き散らしている東馬自身も傍らに別の自分が母親と同じ表情でつっ立っているような気がしていた。 「同性愛者なんだよ僕は!! それで、だから、変な奴に殴られて……」  これは完全にミスリードを狙ったような言い方である。  息子はその恋人と共に、同性愛者嫌悪の通り魔に殴る蹴るの暴行を受けた。  東馬にそのつもりはなかったが、母はそう読み取ったらしい。  「そんな、同性愛者だからって、ひどい……でも東馬、本当にそうなの?」 「本当だよ!! ずっと男のが好きだった!!」  少なくとも、愛しい男の父親が虐待者と打ち明けるより、自分の真実を打ち明ける方がましだった。  そうして母親の口から父親に伝えられたのは、東馬と友人が通り魔に襲われたという穏便な(?)内容だった。東馬が同性愛者であるという事実は、 「いつか様子を見てお父さんに言うから。東馬はまだ黙ってなさい」  とのことだった。  正直どうでもよかった。  是非ともカミングアウトしたかったわけではない。つい勢いで言ってしまっただけだから。      

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