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第4話 沼の底

 休日、亮は家のベッドで爽やかに晴れた空を見ていた。  空には羊雲。 「牧野さんがいる……」  雲を見たまま、目を瞑ると、牧野の柔らかい笑顔が浮かんだ。  おはようと笑う顔  もう出来たの?と仕事の進捗を褒めてくれる顔  お疲れ様と外回りから帰ってきた亮を迎えてくれる顔  コーヒーのむ?とマグカップをくれる顔 「コーヒー……」  牧野のマグカップで飲んだコーヒーを思い出し、自分の唇に触れた。  じわじわと唇の感触を思い出して、ベッドの上を転がる。 「ダメだ……俺、牧野さん好きだ……」  その日はずっと、牧野のようにふわふわと思考が浮いていた。  次の出勤日、相変わらず牧野は優しい。少し抜けているところもあるが、ちゃんと仕事を教えてくれる。 「うん、良いと思うよ。これで部長に提出して」 「はい」  牧野にチェックをしてもらった書類を、亮は満面の笑みで部長に渡す。  部長は、顰めっ面で書類を受け取り、ニコニコとしている亮に耳を貸せと屈ませた。 「牧野を好きになったか?」 「えっ!!」  自分でも驚くくらい大きな声が出た。  部長は軽く息を吐くと、ゆっくり、諭すように小さな声で言った。 「気をつけろよ。牧野は危険だ」  亮は言われた意味がわからず、首を傾げる。  どういう事かと聞きたかったが、おそらくこっそりと話す内容なのだろう、周囲から感じる視線に、頷くだけにとどめた。 「大丈夫だった?」  席に戻ると、牧野が笑って問いかけてきた。  部長の言葉の意味はわからなかったが、牧野には笑顔で答える。 「じゃあ、午後の訪問の資料を準備しちゃおうか。あ、ごめん。資料庫にサンプルが届いてるんだ。持ってきておいてくれる?資料の印刷は僕がやっておくから」 「はい」  資料庫にある段ボールを開けると、家畜用の餌のサンプルが入っていた。  今日訪問する農家に配るのだ。  サンプルごとに成分表を見比べていると、資料庫に数人の社員が入ってきた。  営業部の人間はガタイが良い。  あっという間に資料庫は狭くなる。 「すいません。俺、場所空けますね」  亮はダンボールを持って動こうとした瞬間に、バンと一人に壁を叩かれ、行く手を阻まれた。  そして、残りの奴らも亮を囲む。 「な、なんですか……」  ただ事ではない雰囲気に、亮は警戒し相手に負けないようすごむ。 「この前、牧野さんが犬飼の肩で寝てただろ」 「そう、ですね」  牧野はモテるだろう。  それは亮も感じていた。  この営業部は特に牧野に甘い人間ばかりだ。  牧野に近づくなという牽制ならば受けて立つと、亮は気合いを入れた。 「マジで、気をつけろ」 「え?」 「本当に!お前はノーマルだろ?」 「い、や、まぁ、はい……」  この前の休日に、牧野への気持ちは自認したのだが、性的対象で言えばノーマルだろう。 「戻れなくなる前に、しっかり考えろ」 「そうだ。でないと……」 「で、でないと……?」 「沼の底だ」  沼?  なんとなく怖い話だと、亮は冷や汗を流す。  営業部の人達はそれだけ言ってすぐに資料庫を出て行ったが、亮は放心状態だった。  部長と言い、何を気をつければ良いのか。  自分の席に戻ると、牧野は居なかった。  オフィスをくるりと見渡すと、コピー機の前で、ふわふわの髪がワタワタと揺れている。 「どうしたんですか?」 「あ、亮くん。10,000部も印刷指示入れちゃって、全然止まってくれないの」  焦る牧野の動きが可愛らしく、亮は苦笑した。  コピー機のタッチパネルを操作して、キャンセルボタンを押す。 「あー良かった。ありがとう。なんかこのコピー機、僕には反応悪いんだよね」  えいえいとコピー機のタッチパネルを触る牧野を、亮は抱きしめたくなるが、グッと拳を握って耐える。  その姿を、営業部の面々は目を細め、祈るように見つめていた。

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