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最後の一打席。

甲子園を沸かせた夏から、季節は巡った。 グラウンドの桜は淡い桃色に染まり、校舎には<卒業証書授与式>と書かれた看板が立てられている。 「卒業おめでとう!」 体育館を出た瞬間、あちこちから笑い声が響いた。 制服姿で写真を撮る生徒。担任へ花束を渡して泣いている女子。保護者と肩を並べて歩くクラスメイト。 三年間通ったこの景色も、今日で最後だった。 「藍沢! こっち!」 野球部の仲間達が手を振る。 「写真撮るぞ!」 陽彩が駆け寄ると、すでに全員が並び始めていた。 「朝倉! お前も入れ!」 誰かがそう叫ぶ。 少し離れた場所で荷物をまとめていた莉珠は、一瞬だけ顔を上げた。 「……面倒」 「最後くらい笑えって!」 「無理」 短い返事に、その場がどっと笑いに包まれる。 陽彩も思わず吹き出した。 「ほら、朝倉! 真ん中!」 半ば無理やり引っ張られた莉珠は、小さくため息をつきながら列へ加わる。 「いくよー!」 カメラを構えたマネージャーが声を張る。 「はい、チーズ!」 シャッター音が響く。 高校野球日本一。最高の仲間たち。 そして、高校最後の一枚だった。 「また集まろうな!」 「プロ行っても連絡しろよ!」 笑い合いながら、それぞれが帰路につく。 陽彩もバッグを肩へ掛けた、その時だった。 視界の端にひとりで歩いていく、莉珠の後ろ姿が映る。 誰とも話すことなく、校門へ向かって歩いていた。 「莉珠くんっ……!!」 思わず声を張る。 莉珠は足を止めると、ゆっくりと振り返った。 「なに」 「最後にさ、」 陽彩はグランドの方へ視線を向け、小さく笑う。 「一打席だけ、勝負しない?」 その言葉に、莉珠はしばらく陽彩を見つめていた。 やがて、小さく息を吐く。 「……いい」 短く答えると、そのまま踵を返しグランドへ歩き出した。 「え、今ので伝わった?」 苦笑しながら陽彩もその背中を追う。 誰にも居なくなったグラウンドには、春風が吹き抜ける。 高校最後の一打席が、静かに始まろうとしていた。 陽彩はバットを肩に担ぎながら打席へ立った。 「一打席だけ」 「ああ」 余計な言葉はいらなかった。三年間、毎日のように繰り返してきた勝負。その最後だった。 莉珠はマウンドへ立つと、新品の白球を指先で軽く回す。 「本気できていいよ」 陽彩が笑って言う。 「手加減したら、一生文句言うから」 莉珠は無言のまま帽子のつばへ触れた。 その仕草だけで十分だった。 (……本気だ) 陽彩はバットを構える。高校最後の打席。 相手はこの三年間、一度も越えられなかった男。 「いくぞ」 低い声と共に、莉珠が振りかぶる。 放たれた初球は、捻りを上げながら一直線に向かってくる。 「っ……!」 陽彩は思わず体勢を崩しながらも、なんとか見送った。 「相変わらずだね」 苦笑しながらバットを握り直す。 三年間、何百球と向き合ってきた。 それでも、この男のストレートだけは最後まで打ち返せなかった。 「……もう一球」 莉珠は無言で頷き、再び振りかぶる。 ――二球目。白球が捻りを上げる。 陽彩は迷いなくバットを振り抜いた。 カキーンと鋭い打球が三塁側へ切れていく。 ――ファール。 「……惜しい」 陽彩は小さく笑った。 三年間、何度もファールにはできた。タイミングも合うようになった。それでも最後の一本だけが届かない。 莉珠は表情ひとつ変えず、新しいボールを指先で弄ぶ。 「次で終わりだ」 静かな声がグラウンドに響いた。 陽彩はゆっくり息を吐く。 「……来い」 その一言に、莉珠は静かに頷いた。 大きく振りかぶる。全身の力を乗せた、渾身の一球。白球が一直線に陽彩へ襲いかかる。 (絶対打つ) 陽彩は一歩踏み込んだ。 迷いなく、バットを振り抜く。 ――カキィーン!!!乾いた快音が、静かなグラウンドに響き渡る。 白球は高く舞い上がり、そのままセンターの頭上を越えていった。 「っ……!」 莉珠が思わず目を見開く。 渾身のストレートを完璧に捉えたのは陽彩が初めてだった。 陽彩は打球の行方を見届けると、ゆっくりとバットを肩へ担ぐ。 「……よし!!」 莉珠はしばらくセンター方向を見つめたまま動かなかった。 やがて小さく息を吐き、口元をわずかに緩める。 「……そうこなくちゃな」 その一言には、悔しさというより嬉しさが滲んでいるように見えた。

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