6 / 19

僕以外に、打たれんな

静まり返ったグラウンド。 マウンドに立つ莉珠はゆっくりとボールを握り直した。 打席には千堂。日本球界を代表するスラッガー。 「まさかいきなりお前と勝負できるとはな」 バットを肩に担ぎ、千堂が笑う。 対する莉珠はなにも答えない。 静かに捕手のミットだけを見つめる。 莉珠は小さく息を吐くと、大きく振りかぶった。 ――初球。白球が捻りを上げる。 「っ……!」 千堂は反応するだけで精一杯だった。 バットは空を切る。 「ストライクっ!」 「はえー……」 思わず誰かが声を漏らす。 「これがメジャーのエースか」 陽彩は黙ったまま、その一球を見つめていた。 高校時代、何度も見てきたフォーム。何度も追いかけた背中。けれど、その球はあの頃よりもさらに鋭さを増していた。 メジャーという世界は、この男をさらに高みへ連れていっていた。 千堂は小さく息を吐くと、もう一度バットを構える。 「もう一球」 莉珠は無言のまま頷き、再び振りかぶった。 白球が一直線に千堂へ向かっていく。 「っ……!」 千堂は鋭く踏み込み、迷いなくバットを振り抜いた。 ――カキィィーン! 今度は、芯で捉えた。 打球は高く舞い上がり、ぐんぐんと伸びていく。 「おい、あれ……!」 誰かが思わず声を上げる。 白球はそのままレフトスタンドへ吸い込まれた。 一瞬、グランドから音が消えた。 「……入った」 千堂は打球を見送りながら、小さく息を吐く。 「……さすが千堂さん」 「こんな球、少しでも振り遅れたら終わりだ」 莉珠はマウンドの上で立ち尽くしていた。 わずかに見開かれた瞳。その表情を見たのは、陽彩も初めてだった。 (打たれた……?莉珠くんが……?) 一度も打ち崩されたことがない男が、目の前でホームランを浴びている。 胸の奥がざわついた。言葉が出ない。 莉珠はゆっくりと足元へ視線を落とした。 「……ふざけんな!!」 気付けば、陽彩は一本前へ出ていた。 莉珠がゆっくりと顔を上げる。 「なんで僕以外に打たれてんだよ!」 グラウンドが静まり返る。 「打たせるな」 その一言だけだった。 莉珠の瞳がわずかに揺れた、次の瞬間。 「ふ」 小さく息を漏らすと、口元がわずかに緩んだ。 そしてボールを強く握り直す。マウンドを踏み締める音が響く。 「もう一球」 低く呟くと、莉珠はゆっくりと振りかぶった。 そのフォームは、さっきまでとは明らかに違う。 陽彩は息を呑む。 (来る……) 白球が指先から放たれた。 ――ズバァンッッ!!空気を張り裂くような一球。 千堂のバットはわずかに遅れた。 「……っ!」 空を切る。 「……おいおい」 「今の球、さっきより速くないか……?」 周囲がざわつく。 千堂は苦笑しながらバットを肩へ担いだ。 「……なんだこいつ」 さっきまでとは別人のような一球だった。 明らかに動揺を見せる千堂を前に、莉珠はその姿を一度も見ようとはしなかった。 真っ直ぐ見つめる先にはただひとり。陽彩だった。 「……」 二人の視線が交わる。 その瞬間、陽彩は小さく息を吐きわずかに口元を緩めた。 「……そうじゃなくちゃ困るよ」 莉珠はなにも答えない。 ただ、その瞳だけが静かに「次はお前だ」と告げていた。

ともだちにシェアしよう!