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僕以外に、打たれんな
静まり返ったグラウンド。
マウンドに立つ莉珠はゆっくりとボールを握り直した。
打席には千堂。日本球界を代表するスラッガー。
「まさかいきなりお前と勝負できるとはな」
バットを肩に担ぎ、千堂が笑う。
対する莉珠はなにも答えない。
静かに捕手のミットだけを見つめる。
莉珠は小さく息を吐くと、大きく振りかぶった。
――初球。白球が捻りを上げる。
「っ……!」
千堂は反応するだけで精一杯だった。
バットは空を切る。
「ストライクっ!」
「はえー……」
思わず誰かが声を漏らす。
「これがメジャーのエースか」
陽彩は黙ったまま、その一球を見つめていた。
高校時代、何度も見てきたフォーム。何度も追いかけた背中。けれど、その球はあの頃よりもさらに鋭さを増していた。
メジャーという世界は、この男をさらに高みへ連れていっていた。
千堂は小さく息を吐くと、もう一度バットを構える。
「もう一球」
莉珠は無言のまま頷き、再び振りかぶった。
白球が一直線に千堂へ向かっていく。
「っ……!」
千堂は鋭く踏み込み、迷いなくバットを振り抜いた。
――カキィィーン! 今度は、芯で捉えた。
打球は高く舞い上がり、ぐんぐんと伸びていく。
「おい、あれ……!」
誰かが思わず声を上げる。
白球はそのままレフトスタンドへ吸い込まれた。
一瞬、グランドから音が消えた。
「……入った」
千堂は打球を見送りながら、小さく息を吐く。
「……さすが千堂さん」
「こんな球、少しでも振り遅れたら終わりだ」
莉珠はマウンドの上で立ち尽くしていた。
わずかに見開かれた瞳。その表情を見たのは、陽彩も初めてだった。
(打たれた……?莉珠くんが……?)
一度も打ち崩されたことがない男が、目の前でホームランを浴びている。
胸の奥がざわついた。言葉が出ない。
莉珠はゆっくりと足元へ視線を落とした。
「……ふざけんな!!」
気付けば、陽彩は一本前へ出ていた。
莉珠がゆっくりと顔を上げる。
「なんで僕以外に打たれてんだよ!」
グラウンドが静まり返る。
「打たせるな」
その一言だけだった。
莉珠の瞳がわずかに揺れた、次の瞬間。
「ふ」
小さく息を漏らすと、口元がわずかに緩んだ。
そしてボールを強く握り直す。マウンドを踏み締める音が響く。
「もう一球」
低く呟くと、莉珠はゆっくりと振りかぶった。
そのフォームは、さっきまでとは明らかに違う。
陽彩は息を呑む。
(来る……)
白球が指先から放たれた。
――ズバァンッッ!!空気を張り裂くような一球。
千堂のバットはわずかに遅れた。
「……っ!」
空を切る。
「……おいおい」
「今の球、さっきより速くないか……?」
周囲がざわつく。
千堂は苦笑しながらバットを肩へ担いだ。
「……なんだこいつ」
さっきまでとは別人のような一球だった。
明らかに動揺を見せる千堂を前に、莉珠はその姿を一度も見ようとはしなかった。
真っ直ぐ見つめる先にはただひとり。陽彩だった。
「……」
二人の視線が交わる。
その瞬間、陽彩は小さく息を吐きわずかに口元を緩めた。
「……そうじゃなくちゃ困るよ」
莉珠はなにも答えない。
ただ、その瞳だけが静かに「次はお前だ」と告げていた。
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