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戻った投球

「ボール!」 球場に主審の声が響く。 莉珠は小さく息を吐き、ロジンバッグへ手を伸ばした。 ――初回。先頭打者。カウントはスリーボール、ワンストライク。 これまでなら考えられないカウントだった。 「珍しいな」 スタンドのあちこちからざわめきが漏れる。 圧倒的な制球力を武器に、世界最高峰の舞台で結果を残してきた男。その莉珠が、ボール先行で苦しんでいる。 ミットが内角を要求する。 莉珠は一度だけ頷き、ゆっくりと振りかぶった。 白球が指先を離れる。ボールはわずかにシュート回転し、内角を外れて大きく逸れた。 「ボール!」 捕手は静かに返球する。責めることはない。 ただ、その表情には戸惑いが浮かんでいた。 (違う) 真っ直ぐなストレートがどこにもない。 陽彩は思わず唇を噛む。 スタンドからはため息が漏れ、次第にブーイングが大きくなっていく。 その度に胸の奥がざわついた。 違う。誰よりも知っている。朝倉莉珠の球はこんなものじゃない。 「なにやってんの、」 気付けば、陽彩は立ち上がっていた。 「朝倉莉珠!!!!」 張り裂けるほどの声が、球場中へ響き渡る。 一瞬だけ、スタンドのざわめきが止まった。 「このヘンテコ投手!!!」 周囲の視線が一斉に陽彩へ集まる。 それでも構わなかった。 陽彩はフェンスへ身を乗り出し、さらに大きな声を張り上げた。 「打たせんな!!!!」 大きく息を吸い込む。 「ちゃんと腕振れーーッ!! 朝倉莉珠の真っ直ぐはそんなもんじゃないだろーーーッ!!!」 叫び終えた、その瞬間だった。 マウンドの莉珠が、ゆっくりと顔を上げる。 遠く離れたスタンドを見つめたまま、その目が大きく見開かれた。 「……」 二人の目が合う。 球場の歓声が、一瞬だけ遠くなった気がした。 「……今の」 スタンドのあちこちからざわめきが広がる。 「藍沢陽彩じゃないか?」 「日本代表の……?」 「なんでここにいるんだ?」 次々と視線が陽彩へ集まる。 帽子を深く被っていても、その声だけで気付く者がいた。ざわめきはあっという間に球場中へ広がっていく。 それでも陽彩は視線を逸らさなかった。 ただ真っ直ぐ、莉珠だけを見つめる。その時だった。 莉珠は小さく帽子のつばへ触れると、一度だけ深く息を吐いた。 そして、ゆっくりと捕手のサインを頷く。 振りかぶる。迷いなく腕を振り抜いた。 ――バァァンッ!!乾いたミットの音が、球場中へ響き渡る。 「ストライク!!!」 捕手が思わず顔を上げる。 今までとは明らかに違う。ボールの勢いも、伸びも、何より。 (あの真っ直ぐだ) 陽彩は口元を緩めた。 「それでこそ!!!」 陽彩は小さく頷くと、静かに席へ腰を下ろした。

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