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第二話 気になるひと

 休日明けの月曜日、電車に乗って会社に向かう。日曜に酒井先生から表紙イラストの下書きと描き下ろし部分のあらすじが届いた。色がついていなくても二人の表情が笑顔なのに切なく胸を締め付けるようで、彼女の描く絵は息遣いや鼓動さえ聞こえてきそうなほど繊細で美しい。  勿論表紙も描き下ろしについても修正は特になく、ただ表紙イラストはレイアウトのために印刷時に切れる部分も余裕をもって描いて欲しいことだけ伝えた。  多奈先生の方からは連絡が無いが、多奈先生は忙しくない限り土日は休むという会社員の勤務形態を取っているので、逆に問題がない証拠だ。  いつもより三十分も早く会社に着いてしまった。フロアでは清掃員の男性が業務用の掃除機を掛けていた。鞄を引き出しの一番下に入れて、ノートPCを立ち上げる。  会社に早く着いた理由は簡単だ。いつもより一時間早く目が覚めてしまったから、だ。土曜は久しぶりにジムに行って筋力トレーニングを中心に身体を動かしたのが功を奏して、熟睡できたのだが、日曜は莉里花にランチとショッピングをしたいと誘われてショッピングモールに出掛けて行った。それが、眠りを浅くする要因となってしまった。 「お兄、最近好きな人できた?」  ショッピングの後に入ったカフェで、莉里花はアイスティー、俺はブレンドコーヒーを頼んで、品物がテーブルに運ばれてきた直後だった。  この質問は、前の恋人と別れて半年経ってもそういう浮いた話がないので、心配して聞かれ続けていたものだった。しかし、日曜の俺はどうしてか、その時「できてないよ」といつも通りの答えを返せなかった。 「えっできたの⁉ どんな人⁉」 「いやいや、できてないって」  即答しなかったせいで期待して身を乗り出した莉里花に慌てて訂正する。 「ふうん? でもちょっと気になる感じなんだ?」  そこは譲らないのかと苦笑しつつ、気になる、気にならないで言うと、気になる、のかもしれない。というか、牟礼が俺のことをどう思っているかも本当のところは分からないし、真剣に考えようとした結果変な夢を見てしまったから、どうすべきなのかよく分からなくなってしまった。 「お兄ってずっと気になる人とかもいなかったよね」 「ああ、もう別れて半年だからな」 「違うよ。お兄の人生でってもっと大きい話」  莉里花はストローを回し、アイスティーの氷がカラカラと音を立てる。 「今まではね、好きな人できた? ってあたしが聞く前に恋人ができてたの。だから、お兄から気になるって言ったこと、一度だってなかったよ」  言われてみればその通りだ。恋愛については、相手に告白されて付き合うことばかりで、誰かを気になるということさえなかった。その気になるという感覚も正直よく分かっていないのだが。 「もしかしたら、あたしのお願いが効いたのかも! この間撮影で行ったところの近くに縁結びにご利益があるっていう神社があったからお祈りしといたんだよ」 「ありがとな。でも莉里花は自分の縁結びのお願いしないのか?」 「芸能活動してるからねー。恋はしても恋人は作らないって決めてるの。色々大変だから」  高校生といえどモデルとして金を貰っている立場だ。同年代の女の子の憧れを集める存在で、人気商売なのだ。プロ意識が高くて、我が妹ながら素晴らしい。 「それに、お兄が結婚する前に恋人ができたらお兄が淋しがるでしょ?」 「結婚って……」  ふっと浮かんだのは酒井先生の描き下ろしの話だった。学童保育所の児童から、「先生は結婚しないの?」と聞かれた幼馴染がそれを主人公に話す、と書いてあった。  同性同士では日本の法律では結婚はできない。男女なら何の障害もなく結婚して夫婦になって世間からも認められるのに、同性では二人で住む部屋を借りることさえ難しい。両親に隠して生きている人も多いと聞く。  酒井先生の作品の主人公は同性愛者であることを母親にカミングアウトしたことで不遇な環境に置かれ、幼馴染は同性愛者だという噂だけで酷い差別を受けることになる。  どうして急にそんなことを考えたりしたのか。それはきっと、無意識のうちに牟礼のことが俺の脳裏にちらついたからだろう。高野が「ゲイかバイなんじゃないか」と言ったことも、同時に引っ掛かる要因の一つだった。 「もし、俺が同性を好きになったらどうする?」  何故そんなことを聞いてしまったのだろうか。登場人物の気持ちをより理解したくなったのか、それとも牟礼のことを考えていたからなのか。妹の立場で兄にそんなことを聞かれても、困るだけなのに。  目を丸くする莉里花を見て、やっぱりいい、と言おうとした。が、その前に莉里花の答えの方が早かった。 「すっごく喜ぶと思う! だってお兄の初めて好きになった人でしょ? 性別なんてどうでもいいよ。お兄がその人と結ばれるように今度は神社でお祈りだけじゃなくてお守りも買ってくるね!」  莉里花が満面の笑みを浮かべて俺を見詰める。 「はは、例えばの話だぞ」 「えー? もしかして酒井先生のお話のことだった? 期待したのにぃ」  頬を膨らませて不満そうにストローをくるくる回す。莉里花は俺が文夏社に入ってから毎月雑誌を買って読んでくれているから、すぐに酒井先生の作品の主人公と幼馴染の関係性に結びついたのだろう。 「でも、あたし二人が幸せならいいって思ってるよ。さっき結婚って言っちゃったけど、それだけが幸せの形じゃないもん」  酒井先生の描き下ろしでは、同じように主人公は考えて、安いペアリングを買ってプレゼントする。結婚はできないけれど、ずっと一緒に居ると誓いを立てて。恋人の数だけ二人が幸せで居られる愛の形があっていいのだ。 「……そうだな。莉里花の言う通りだ」  俺がそう言うと莉里花は「最終回気になる~!」と言い出して、その後はすっかり雑誌の作品の話にすり替わってしまった。  夢にはその日の情報の整理をする役割があるらしいが、本人の潜在意識にあったのだろう。夢の中に牟礼が出てきて、明らかに事後だろうベッドの上で俺がペアリングを取り出して渡した。が、その時の牟礼の顔はよく分からなかった。喜んでいるのか、嫌がっているのか。  寝覚めが悪かった。仕事中の無表情、俺を見て頬を赤くした顔、目を背けて奥歯を噛み締め苦しそうに歪めている顔――俺はそれ以外の牟礼を知らないのだ。それを夢に突き付けられた。  今まで接点がほとんどなかったというのが実際のところだが、だとしたら余計に牟礼のことを知ることから始めなければならないのでは? 漫画でも小説でも物語の登場人物達は少しずつ距離が近付いていくものだ。  毎日のルーティンの間も、会社に向かう道中も、頭の中をぐるぐると考えが巡っては消えていった。自分から相手との距離を詰めるなどということが必要となる場面は仕事上の関係くらいのもので、プライベートで苦慮することはなかった。  とりあえず仕事仲間としての関係を築こう。牟礼が俺をどう思っているのか、あの表情は一体何だったのか――話はそれからだ。  始業の数分前に牟礼が出社してきたのを見て安心した。今日も休みだったら、流石に俺のせいだとしか思えない。距離を縮めるどころの話じゃなくなる。  午前の仕事を終え、昼休み。俺はすぐに席を立って真っ直ぐに牟礼の席に向かった。 「牟礼」  声を掛けた瞬間、びくっと肩が震え、長い前髪を掴むようにして俯く。 「飯、一緒に行かないか?」  飲み会で話を聞いていたのもあるだろう。牟礼の隣の席の冴木さんが引き出しからコンビニのレジ袋を出すと同時に固まる。 「もう買ってあるので、結構です」  牟礼は俺の顔を見ることもなく、引き出しからレジ袋に入ったサンドイッチを取り出す。 「じゃあ俺も買ってくるから、それならいいだろ」 「……いえ、僕は冴木さんと食べるので」 「えっ」  様子を窺っていた冴木さんが、裏返ったような声を発する。牟礼は明らかに巻き込まれて戸惑っている冴木さんのシャツを引っ張って助け舟を求めた。  そのまま打ち合わせ用のテーブルに袋を持って向かう牟礼に、慌てて冴木さんが付いていく。 あからさまに避けられている。今までならこれ以上深追いはしないが、牟礼のことを知るためには、この防御壁を突破するしかない。  急いで会社の外に出て近くのコンビニに入った。適当に弁当を選んで温めてもらう。と、会計のタイミングでレジ横にあった「新商品」と書かれた「ラムレーズンチョコケーキ」が目に入る。片手で食べられるように長方形の食べやすい大きさにしてあるらしい。  そういえば前に牟礼が冴木さんからコンビニスイーツを貰って食べていたことを思い出し、追加で購入した。  早足でフロアに戻ると、無言のまま牟礼と冴木さんが向かい合って食事をしていた。 「隣いいか?」  と言いつつ許可を得る前に弁当をテーブルに置いて牟礼の隣に座った。驚いて一瞬俺の方を見た気がするが、目が合う前に縮こまってサンドイッチを食べ始める。  緊張感が伝わってくる。俺は牟礼の前にさっきのスイーツを置いてから、自分の弁当を「いただきます」と手を合わせて食べ始めた。 「コンビニ行ったら新商品だって書いてあったからつい手に取ったけど、俺は甘い物得意じゃないからさ。大丈夫なら代わりに食べて」  甘い物苦手なら買わないだろ、と自分でツッコミを入れつつ、牟礼に押しつけがましくない厚意を受け取ってもらうための精一杯の口実だった。いや、何か会話の切欠にならないかという下心があるから、純粋な厚意とは言えないか。 「……ありがとう、ございます……」  ぼそっと聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だったが、聞き逃さなかった。サンドイッチを食べ終えると、俺の買ってきたチョコケーキを手に取り封を開けると、両手で掴んでちまちまと食べ始めた。  その瞬間、よく分からないが胸の真ん中当たりがきゅっと締め付けられるような痛みが走った。一瞬のことで、本当に痛かったのかさえ分からなかったが、その後も胸の辺りがざわめいていた。 「そ、そのケーキ、ローンソの新作だよね。俺も気になってたんだけど、どんな感じ?」  またしばらく沈黙が続いたのに耐えかねたのか、空気を読んでくれたのか牟礼に話し掛ける。 「……ラムの風味がちゃんとして、レーズンも粒がありますし、チョコレートが濃厚で美味しいです。ラムレーズンのおかげで見た目ほど重くないですし」 「そうなんだ。俺も今度食べてみようかな」 「はい、おすすめです」  と、二人で会話が弾んで終わったものの、重い空気は少しよくなった。  しかし、本当に俺にだけ態度が悪いことをまざまざと見せつけられたようで複雑な気分ではある。牟礼がこんなに仕事以外のことで話しているのを見たのは初めてだったからだ。  とはいえ、俺の買ってきたスイーツを食べる姿は何とも言えない癒しを覚えた。莉里花にスイーツを奢るのとも似て非なる感覚だった。 「岸さんは、いつもお昼は外ですよね」 「ええ、大体は。朝食以外は外食が多めですね」  牟礼がスイーツを食べ終わる前に弁当を食べ終えて「ごちそうさまでした」と手を合わせる。 「男の一人暮らしなんてそんな感じですよね。社宅なので会社の周りのご飯屋さん結構詳しくなってて……もしよかったら今度三人で――」 「失礼します」  冴木さんの言葉を遮るように、牟礼が立ち上がり自席に戻った。冴木さんなりに気を遣ってくれたのが分かっているので、突然のことに顔を強張らせている冴木さんにぺこりと軽くお辞儀をして俺も弁当の空を片付け、自席に戻る。  まあそう簡単に距離を詰められるわけはないか。今日は牟礼と昼食を食べることは成功したし、買ってきたスイーツも食べてくれたし、牟礼を知るための成果としては十分だろう。ふっと脳裏にスイーツを両手で持って少しずつ食べる姿が蘇った。 「可愛い……」  思わず声に出ていた。周囲には食事や打ち合わせに出ていて誰も居なかったのでよかったが。しかし、何が可愛いと思ったのか。小動物に似た感想かもしれない。そうだ、きっと。リスやハムスターのような食べ方だったからだ。納得できる理由だ。  ふうと息を吐きPCを開くと、多奈先生からネームができたので、明日か明後日に直接打ち合わせした方が早いと思うのでお願いできないかというメールが届いていた。相変わらず筆が早い。  メールを見たら電話くださいとのことだったので、電話を掛ける。日程調整の結果、明日の十時に伺うことになった。明日は出社せずに直行だ。部署のスケジューラーに午前中多奈先生と打ち合わせ直行の予定を入力する。  午後会議で、BL企画編集部初めての単行本の発売ということで、大手アニメショップに協力を仰ぎ、本店への巨大看板を掲出し認知度を高めることになった。また発売する全ての作品を対象とした複製原画の展示や複数購入時の特典小冊子企画など、当社初のBL作品を盛り上げる企画を準備する。作家先生方にもご協力をお願いしなければならない。  継続連載の多奈先生を含め、今回対象にならない作品は、時間に余裕がある分今から準備をし、発売時に別途サイン会や複製原画展、複数書店への限定特典等を行い大々的にプロモーションをすることを伝えておく。意欲を削がれないような配慮の意味合いもある。  会議の内容を含んだ単行本発売時の企画について、高野と中河の新人が進めることになった。補佐として直の上司である眞栄さんと俺がつくので、舵取りは問題ない。  こういった販売促進の企画は書店との連携が重要になり、他社に企画を説明し協力をお願いして回るのは経験として積んでおいて損はない。書店等に人脈作りができれば、次回以降企画を通しやすくなり、店舗ごとの展開を逆に提案頂くこともあって、編集者としてやっていくならメリットが大きい仕事だ。  しばらくはこの業務に三割くらい持っていかれると考えて、自分の仕事を先行して片付けなければならない。早速四人で今後のスケジュールを話し合い、まずは書店への説明のため企画書の作成から取り掛かってもらうことになる。  中河は早速テンパっていたが、高野は大型新人らしく「余裕っすよ」と平然としており――これはこれで眞栄さんから注意されていたが――、この正反対の新人二人のアンバランスなのか相互補完になっているのか、この仕事でどのように変化して成長するのか楽しみだ。  終業のチャイムの音でもうそんな時間かと気付く。牟礼がフロアを出て行くのを見て、二人になるタイミングは今しかないと思い後を追った。 「牟礼、ちょっといいか」  エレベーターの前に立っている牟礼がイヤホンを装着しようとして手を止めた。 「……何なんですか、今日。こういうの――」 「迷惑だよな。悪かった」  頭を下げ、顔を上げると牟礼の身体は俺の方を向いていた。俯いているから、目は合わないが。 「牟礼のことを知りたいと思って、無理矢理距離を詰めようとした。ただ悪意はないんだ。それだけは分かって欲しい」 「知りたいって……何を、ですか……?」  片腕をぎゅっと握って視線を斜め下に落したまま、緊張で強張っているように思える。追い詰めたいわけじゃないのに、話をしようとするとこうなってしまうのが心苦しい。 「何をと言われると困るんだが……先週牟礼とここで初めて目が合った時から、ずっと牟礼のことが気になるんだ。だから、もっと君のことを知れないかと思ってる」  莉里花に「気になる人」という話をされた時のことを思い出す。やはり俺は牟礼のことが「気になって」いる。 「……僕に、お菓子をくれたのも?」 「ああ。前に冴木さんにスイーツを貰って食べてたから、甘い物好きなのかって思って」 「甘い物苦手なのに買ってしまったからって言ってましたけど……」  言い訳をしていたことを失念して自爆してしまった。気恥ずかしくなって、笑って誤魔化す。 「……もしまた間違って買ってしまったら、頂きます」  強く掴んでいた腕が解かれ、緊張した空気も和らぐのが分かった。前髪の間からわずかに覗いた瞳が一瞬俺を捉える。 「では、お疲れ様でした」  ちょうど来たエレベーターに乗ってドアが閉まる。階のランプの表示が一つ一つ下がっていくのを見送る。  その時海外映画で聞いたような口笛のような冷やかす声が聞こえて振り返った。そこには冴木さんと高野の姿があった。冴木さんは隠れたつもりなのか柱の出っ張りに身体が半分出ている。 「そこで何してるんだ?」 「また揉めるんじゃないかって冴木さんが心配だって言うんで見に来たんすよ」 「俺は高野君を止めに来ただけで……!」  二人ともこの間の飲み会での話を気にしてくれてのことだろう。実際もし今日拗れたら関係修復は難しかった。 「でもいい感じじゃないですか? このまま押せばいけるんじゃないです?」 「いけるって、なにが?」  高野と冴木さんは顔を見合わせた後、不思議そうな顔で俺を見る。 「岸さん、牟礼に気があるんでしょ? 恋人になりたいとかじゃないんすか?」 「……は? 恋人?」  牟礼が気になっている、それは事実だ。距離を詰めて仲を深めて――その先に俺はどうするつもりだったのか? 「えぇ~? 牟礼のこと好きでもないのに気を持たせるようなこと言って酷くないすか? 流石にないですって。おれ見損ないましたよ」 「それは……俺も同意見です……」 「いやいや、違うんですって!」  二人が軽蔑するような視線を向けてくるので、慌てて訂正する。と、同時に俺があの日から見た夢のことを思い出していた。俺は牟礼と恋人になりたいと思っているのか?  顔が熱くなる。まるでトラックを千五百メートル走った後のような熱と鼓動の高鳴りに思わず頭を抱えた。 「気になるって……『好き』の入り口なのか……?」  自分でも予想外の反応に混乱しながら、考えを整理しようとする。 「なぁんだ。岸さん自分で気付いてなかっただけなんすね。ならいーや」  そう言うと高野は編集部に戻っていった。その後を冴木さんが追い掛ける。 「もうおれ首突っ込まないんで安心してください。ただ個人的に応援してます」  一度閉まったドアから高野が顔を覗かせて、「頑張って」と鼓舞すると再びドアが閉まった。  牟礼が俺を好きなのかどうか、それを知りたいと思った。そのためには牟礼のことを知らないといけないと思い距離を縮めた。理由は「気になる」から。  まさか、その「気になる」が「好き」への一歩だったとは、今までの人生で初めて知ることだった。ということは、つまり、俺は牟礼のことを「好き」になっている――?  牟礼が俺を好きなのではと思って確かめようとして、俺が逆に好きになるなんて思わなかった。  別れ際、牟礼と再び目が合った。顔はまた赤くなっていたような気がする。あの俺を見詰める煌めく大きな瞳を思い出すと、胸の辺りがざわめく。しかし、不思議な感覚だったが、嫌な感覚ではない。  思わず溜息が毀れてしまう。恐らく俺は今日「恋」というものを初めて知った。物語の登場人物たちが悩み苦しみ、楽しみ喜んでいる、その「恋」をようやく本当の意味で理解できるのだ。  しかし、「恋」のスタート地点に立った俺は、どうやってスタートを切ればいいのか、それさえ分からなかった。

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