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第三話 都合のいい物語①

 翌日、どうやって牟礼との関係を深めればいいか悩んで、三時間くらいしか寝られなかったが、いつも通りのルーティンを熟し、多奈先生との打ち合わせに向かった。  少し早めに家を出て、朝からやっているスイーツ店に寄りシュークリームとプリンを購入する。多奈先生とアシスタントさん達への差し入れだ。特にザクザクの表面の生地と濃厚なカスタードがマッチしたシュークリームの人気が高く、行列が出来ていると朝のニュースでやっていた。朝九時の開店前から並んだおかげで、十分ほどで購入できた。  十時少し前に多奈先生の自宅マンションのエントランスに着き、オートロックを開けてもらって部屋のインターホンを押す。すぐにアシスタントさんが玄関に出て、部屋のリビングに通された。 「お疲れ様です」 「岸さん、わざわざありがとうございます」  3LDKの部屋、リビングと居間に当たる仕事部屋が開放されて今日は2LDKに広く使われている。俺と打ち合わせする時はいつも大体このスタイルだ。  多奈先生は一七○センチくらいで女性としては背が高く、少しふくよかな体型で黒髪のショートに濃い緑色の縁の眼鏡を掛けた柔らかな雰囲気の女性だ。前に「アラフォー」と言っていたが、幼い顔立ちなので俺と同い年くらいに見える。 「これよかったら皆さんで食べてください」 「差し入れありがとうございます。わぁなんだろう」 「シュークリームとプリンです」  多奈先生とアシスタントさん達三人で袋を囲むと、早速中を見る。 「あっこれ今人気の! 食べてみたかったんですよぉ、嬉しい~! あとで皆で頂きます!」  多奈先生が冷蔵庫に袋を入れるのを見て、俺は少し遠慮気味にもう一つ分けて貰った袋を持っていく。 「すみません、同僚の分なんですが……打ち合わせ終わるまで、冷蔵庫お借りできませんか」 「全然いいですよ。一緒に入れておきますね」  今までこんなお願いをしたことはなかったが、特に理由も聞かずに素直に差し入れと並べて冷蔵庫に入れてくれる。  多奈先生は向かいのソファに座るように言って、アシスタントさん達は居間の作業テーブルにそれぞれ座って作業に戻った。  早速七話のネームを拝見する。清爽の博物館デート回は二人の距離がぐっと縮まり、清太が爽一郎にキスをするシーンで終わって、次話への引きも完璧だ。特に気になる点もない。 「問題ないです。この内容でいきましょう」 「よかったぁ」 「最後の二ページ、清太と爽一郎それぞれのアップからのほぼ一ページの大ゴマのキスシーン最高ですね。続きがどうなるか今からドキドキですよ」 「ふふ、私もです。ネームしかできてないのにもう先が描きたくなっちゃってます」  と、ネームを思い出してか笑みを浮かべていた多奈先生が、何か思い出したようにネームを手に取った。 「それで、お願いがあるんですけど。博物館の資料集めて頂けないでしょうか? ホームページに画像あるんですけど、こことか下からの恐竜の標本のアオリとか良いのが見つからなくて」  多奈先生がネームの最初に博物館に入って爽一郎が巨大な恐竜の標本を見上げて興奮するコマを示す。博物館の公式ホームページの画像では漫画のコマにぴったりのアングルは望めないだろう。 「じゃあ俺背景作業入るまでに博物館行って撮ってきますよ。欲しいコマとかカット指定してもらえたら助かります」 「本当ですか? すっごくありがたいです!」  著作権フリーの写真の中から検索して探してくるよりいいし、しばらく週末の予定もないから普段行かない場所に行くというのも気晴らしになってちょうどよかった。  多奈先生がネームにシャーペンでコマの中に背景のイメージを描いていき、外観、エントランスホール、展示室、博物館に併設されているレストランの写真を撮ることになった。  ネームの確認が早く終わったので、今後上下巻同時単行本化となること、その展開を大々的に行うこと、更にサイン会をお願いする可能性があることを共有しておいた。  多奈先生は「特典小冊子も各書店ごとに描き下ろしますし、もし必要であれば特典のグッズも描きますよ!」と意欲的だった。小冊子やグッズは印刷所を別で押さえなければならないから、各書店にも先にある程度話を通しておく必要がある。  多奈先生からOKが出たので先に単行本化する作品の企画がある程度目途が立ったら会議に上げて、進めていく必要があるだろう。 「では、引き続き宜しくお願いします」  冷蔵庫に入れてもらっていたスイーツを受け取り、多奈先生のマンションを後にする。と、スマホに着信履歴があったので確認すると、酒井先生だった。電話をしてくる時は何か問題があった時だ。  折り返し電話をすると、クラウドサーバーへのバックアップが上手くいっておらず表紙イラストの作業中のデータが消えてしまったため、提出が遅くなるかもしれないという話だった。  一応復旧できる可能性があるので、その場でネット検索して、復旧方法を試してもらうことになった。今日は渋谷君が他の先生のアシスタント作業で家に来ていないので頼れないという状況でかなり焦っていた。  幸いなことに、同期処理が上手くいっていなかったため消えたように見えていただけで、クラウドサーバーからデータをダウンロードすることができたらしい。「ありがとうございます」と何度も言う酒井先生は、きっと電話の向こうでその言葉と同じだけ頭を下げているだろう。  編集部に戻るとちょうど昼休みの時間だったらしく、ふと牟礼を見ると、いつも通りコンビニのレジ袋を出して、おにぎりを食べていた。牟礼の席の横で足を止めると、牟礼が俺を見上げ、目が合うか合わないかで視線を逸らす。 「……これ、よかったら。食べ切れなかったら、他の人にあげていいから」  牟礼の机の上にシュークリームとプリンの入った袋を置き、妙に気恥しくなって自席に荷物を置いてそのまま外に昼食を取りに出掛けた。  会社の近くの定食屋に入って、チキン南蛮定食を食べる。ご飯の大盛り無料で、おかずも大きく美味しいのでよく入る店だ。いつもなら定食が来てから十五分以内に食べ切ってしまうが、今日は二十分以上掛った。  理由はさっきの自らの行動の脳内反省会をしてしまって、食べ物を口に運ぶ動きが度々止まってしまったからだ。ちょっと気障だったのでは、押しつけがましくなかったか、俺の好意があからさま過ぎなかったか、等々。今まではこんなことくらいで悩むことはなかったのに、これが「恋をする」ということなのかと思い知らされる。  定食屋を出て編集部のドアを開けるまで、何度も溜息が零れた。そしてドアを開けて自席に戻るだけで緊張して、心臓が高鳴る。 「あ、あの……」  自席に座り、切り替えようと一息吐いた時だった。側で聞こえた小さな声に振り向く。 「シュークリームとプリン……すごく、美味しかったです。ありがとうございます」  その時見上げた牟礼の顔は緊張して強張っていたが、この間見た時と同じように林檎のように真っ赤だった。そして前髪から覗く伏せられた瞳を縁取る長い睫毛まで、俺はその顔を見詰めてしまった。  すぐに席に戻っていったが、その後着ていたパーカーのフードを被って身体を丸めて小さくなっていた。  ――いや、どう考えても可愛いだろ。  今度は声に出すわけにはいかないので膝の上で握り拳を作り、ぐっと我慢した。  俺が知っているのは、牟礼が甘い物が好きということくらいで、他のことは何も知らない。だから、喜ぶことと言えばこれくらいしか思いつかないから、今朝も差し入れを買う時に牟礼に渡したら、と考えてしまった。  俺の行動に、牟礼がどう感じたかは分からないが、距離を取っていた俺に礼を言うくらいには、心を開いてくれているのかもしれない。  午後の業務はおかげで気分がよく捗った。中河と高野の作成した企画書を付きっきりで見てやる余裕もあるくらいには。だから、定時退社する牟礼の後を追い掛けることができた。 「牟礼、途中までいいか」  エレベーターを待っていた牟礼に声を掛けると、片耳だけ付けていたイヤホンを外し、小さく頷く。すぐに来たエレベーターに二人で乗り、操作パネルで一階のボタンを押して静かにドアが閉まる。 「あー……それ、何聴いてるんだ?」  距離が近いせいか緊張感があったので、牟礼がイヤホンをポケットに仕舞うのを見て話題を振った。あまり音楽には詳しくはないので、分かるかどうか。 「……いくつか好きなバンドの曲をランダムで聴いてます」 「へー邦楽? 洋楽?」 「どっちも、あります」  牟礼がスマホで操作するのを横から覗き込む。ちょうど聴いていた曲のタイトルとジャケットが見えたが、英語のタイトルとアーティスト名だったので全く分からなかった。  と、牟礼の耳が赤くなっているのに気付き、さっと離れると一階に着いてエレベーターのドアが開いた。  牟礼は黙ったまま俺の一歩先を早歩きで進んでいく。それを追い掛けるようにして会社を出て、牟礼は社宅のある方に歩いていく。そういえば、牟礼は社宅住まいだった。俺は駅なので違う方から行った方が近いのだが、このまま分かれるわけにもいかず斜め後ろをついていく。  気まずい雰囲気のまま社宅の前に辿り着いて、声を掛けなければと思った時だった。 「……少し、待っててもらえますか」 「あ、あぁ」  牟礼はそう言うとマンションに入っていった。何で待たされているのか分からないまま、原因不明の心拍数の上昇に見舞われる。と、しばらくして紙袋を下げた牟礼が戻ってきた。 「これ、お貸しします」  手渡された紙袋の中を見ると、CDが四枚入っていた。目を丸くして牟礼に再び視線を戻す。 「……僕のことを知りたいって、こういうことじゃ、なかったですか……?」  赤くなった顔を隠すように前髪を引っ張って、俯き加減に俺を見詰める。 「いや、ありがとう。今日早速聴くよ」  牟礼は俯いたまま「では」と踵を返し、マンションのエントランスに入っていく。その後ろ姿を見て、急に湧き上がった感情に突き動かされてその後ろを追い掛けた。 「牟礼」  呼び止められて驚いたように振り返り、俺を見上げる。自動ドアが背後で閉まり、静かになる。 「今言うことじゃないかもしれないけど、俺の性格上はっきりしておかないと後悔するだろうから言っておくが――俺の『知りたい』も『気になる』も、牟礼のことが『好き』ってことだから。もし迷惑だったら、これ以上付き纏わないから言ってくれ。職場でも前みたいに必要最低限のコミュニケーションを心掛ける」  もし嫌がられたら、迷惑だと言われたら、拒絶されたら――不安と恐怖に、胸の中心が鈍く痛んで、息苦しくなる。喉の渇きを覚えて思わず飲み込んだ唾が、ゆっくりと食道を下っていく感覚がしばらく残る。 「迷惑、じゃ……ないです」 「本当か? 無理してないか?」  目が合わないまま、片腕を掴んで背中を丸めて小さくなっているのを見ると、俺が無理を強いているのではないかと思わずにはいれなかった。  しかし、牟礼が大きく首を横に振るのを見て、安堵する。そして、ふと思いついたことを提案してみることにした。 「じゃあ、迷惑じゃないなら週末予定空いてるか? 博物館に多奈先生の漫画の資料集めに行くんだが、牟礼がよかったら付き合ってくれないか?」  本当はデートに誘いたかったが、仕事を理由にする方が変な雰囲気にならないで済む。それに多奈先生の清太ではないが、同性で付き合うことに抵抗があり隠しているなら、言い訳ができる方が都合がいいだろう。博物館であれば、会社の人間が来ることもほぼない。 「ちょうど登場人物が牟礼と背格好が近いから、来てくれると助かる」 「……そういうことなら、分かりました」  「押せばいける」などと高野が言っていたが、あとひと押ししてみてよかった。これも仕事の一つと考えて仕方なしとの判断だったとしたら、喜ぶのは違うかもしれないが……それでも仕事場以外で会うなど今までなら考えられなかった昨日までを思えば、大きな進展だ。  当日の待ち合わせのために、と理由をつけて連絡先も交換し、俺は牟礼から借りたCDを手に社宅を後にした。  帰り道、同じタイミングで帰宅する社員が居なくてよかったと、軽率な行動だったかもしれないと反省する。牟礼が少しずつ心を開いてくれていることが嬉しくて、つい強引に事を進めようとしてしまった。どうするのが正しいのか、もう少し慎重に考えて行動するべきだ。牟礼が萎縮し、緊張し、苦慮するような状況を作ることは、本意ではないのだから。  帰宅してシャワーを浴び、夕食を取って他誌で連載されているBL漫画の電子書籍を何冊か読んだ後、ベッドに横になる。ふとスマホのメッセージアプリに追加された牟礼の名前とアスファルトを写しただけのアイコンの写真を眺め、顔を赤らめる牟礼を思い出した。  もし牟礼が、俺のことを好きだったら、俺達は恋人になれるんだろうか?  男女なら当然の未来に疑問符がつくのは、牟礼の様子に両想いになれればそれでハッピーエンドになる都合のいい物語とは違うのだと思わされたからだった。  牟礼には他者に踏み込まれたくない理由がある。その理由も少しずつ牟礼と関係を深めることで知ることになるだろう。  ベッドから降りて、牟礼から借りたCDをテレビのブルーレイレコーダーにセットする。テレビのスピーカーから再生される曲は、牟礼の性格からは想像できない激しい洋楽ロックで驚いた。この音圧で曲を聴いていたら、背後から声を掛けられても気付かないかとも納得する。  そんな海外のハードロックバンドのアルバムが二枚続いて、次は邦楽だった。一枚は四曲収録されたミニアルバムで、もう一枚は一曲だけのシングルCDだった。  ミニアルバムの方はインストバンドで、ジャズ調の曲から激しいロックまで四曲それぞれ違うアプローチで、アルバムタイトルの「人生」を表現していた。  残る一枚の邦ロックバンドは発売日が一ヶ月前で新しいものだった。タイトルの「LOST」という曲を再生する。その曲を聴いて、日本語の歌詞だったせいもあるだろうが、俺は少し牟礼のことが分かった気がした。  失ったものを引き摺りながら、それでも前に進むしかない人生を歩む。そして失うと解っていても、希望を捨て切れずに、手を伸ばしてしまう。そんな苦悩が、切ない声に乗って響いてきた。  牟礼が俺に手を伸ばした時、俺はちゃんと手を取ってやれるだろうか。  もう一度曲を再生して、俺はベッドに横なって目を瞑った。俺よりも牟礼はずっと深く重く物事を考えている。彼の心の強張りを弛めて、柔らかくしてやりたい。俺にその資格があるのかどうか分からないが。  いつの間にか眠っていて、アラーム音で目が覚めた。朝のルーティンを熟し、牟礼に借りたCDを持って少し早めに家を出る。電車の中で、各曲を配信サービスにないか確認して、配信されていたインストバンド以外の曲をダウンロードした。  出社して誰も来ていなかったので、「全部聴いた。ありがとう」とだけ書いたメモを紙袋に入れて牟礼の机に置いておいた。同僚がいる中で返したら、牟礼が嫌がるだろうと思って。  始業の少し前にいつものように出社してきた牟礼が袋とその中のメモを手に取るのを横目に確認して、自分の仕事に向かった。  週末までの間、急に職場で距離を縮めようとするのは牟礼も迷惑だろうと思い、無理に昼食を一緒に取ったりはしなかった。一度酒井先生との打ち合わせのために自宅に伺う機会があって、その時に差し入れのスイーツを買っていったが、ついでに牟礼の分も買って渡したくらいで。  メッセージアプリでのやり取りも、博物館の集合場所と時間の共有のために連絡先を交換した建前があるから、必要最低限に留めた。牟礼が嫌がることは極力避けようと慎重に考えての行動だ。

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