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第11話 かわいいの致死量

 秋も深まり、夜風が少しずつ冷たくなってきた頃。  付き合い始めてから、数ヶ月が経っていた。  金曜日。  ケントが、一週間の中で一番好きな曜日だった。  理由は至極単純だ。  ショウとリサがいない。  もちろん、毎週必ずというわけではない。  でも。社会人であるショウとリサ。金曜の夜は、会社帰りにデートをして。  そのままホテルに泊まって。土曜の朝まで帰ってこなかったり、夕方まで顔を合わせなかったり。  そんな日が、時々ある。  二人なりの、ささやかな配慮なのだろう。  この家には、多感な高校生が二人いる。  大人の余裕で、ちゃんと気を遣ってくれている。  そして。その配慮を、世界中の誰よりもありがたく受け取っているのは。  間違いなく、ケントだった。  夜。二人きりで夕飯を終えた。  順番に風呂も済ませた。  リビング。  少しだけ照明を落とした、落ち着いた空間。  テレビでは、賑やかなバラエティ番組が流れている。  レオは、いつものようにソファの端に座っていた。  膝にクッションを抱え込んで。  ケントも、その隣へ腰を下ろす。  ぴったり。  ごく自然な顔をして。  隙間なく、ぴったりと。 「……近くない?」  レオが、呆れたように言う。 「そう?」 「そう。ソファ、もっと広いんだけど」  でも。離れろ、とは言わない。  ケントは知っている。  本当に嫌な時や、暑くて不快な時。  レオはちゃんと「離れて」と口にする。  だから。 言わないということは、許されているということだ。  そのまま。動かない。  肩と肩が触れ合う距離。  いや。体温が直接伝わってくるくらい、ほとんどくっついている。  シャンプーの匂い。同じボトルから出たはずなのに、レオの髪から香ると、なぜかひどく甘く感じる。  テレビを見る。  芸人がふざけて、面白い場面になる。  レオが、クッションに顎を乗せながら小さく笑う。  ふふっ、と肩が揺れる。  それだけで。 あぁ、金曜日最高。  心から、そんな気持ちになる。  しばらくして。  ケントは、ソファの上に投げ出されていたレオの手に向かって、そっと自分の手を伸ばした。  指先が、ほんの少しだけ触れる。  レオが、ちらりとこちらの顔を見る。  ケントは、テレビ画面から目を逸らさず、何事もない顔を装う。  そして。  ゆっくりと、指の間に自分の指を滑り込ませた。  隙間を埋めるように。  深く、絡め取る。  恋人繋ぎ。  レオの肩が、びくっと少し跳ねたのが分かった。  可愛い。  本当に、可愛い。 「……テレビ見てるだけなのに、なんか緊張する」  視線を画面に向けたまま。  ぽつりと、レオが小さな声で言った。 「なんで」 「なんでって……」  レオは、困ったように眉を寄せる。  少しだけ口元を尖らせる。  その顔も、たまらなく可愛い。  どうしよう。  可愛いという感情しかない。  脳のキャパシティが、それだけで埋め尽くされる。  テレビの内容なんて。  実はさっきから、ほとんど頭に入っていない。  画面の光に照らされる、レオの横顔ばかりを盗み見てしまう。  さらさらと流れる亜麻色の髪。  瞬きするたびに揺れる、長いまつ毛。  真剣にテレビを見ている、少し幼い横顔。  全部、好きだ。  余すところなく、全部。  しばらくして。  レオが、思い出したように何か話しかけようと顔を向けた。 「ケント」 「ん?」  ケントは、ここぞとばかりにわざと顔を寄せる。  レオの唇が触れそうな距離。  耳元。  ほとんど、吐息混じりの囁き。 「なに?」  レオの全身が、ピタリと固まった。  近い。  近すぎる。  首筋から耳たぶにかけて、一気に赤く染まっていくのが見える。 「……近い」 「ん? ごめん、テレビの音で聞こえなかったから」  大嘘だ。  普通に聞こえていたし、テレビの音量なんて大したことない。  でも。レオが焦って、恥ずかしそうに目を泳がせるのが見たかった。  少しだけ、いじわるしたくなる。 「……絶対、聞こえてた」 「どうだろ」 「絶対聞こえてた。わざとやった」 「ばれた?」 「ばれるに決まってる」  レオは心底呆れたようにため息をつく。  でも。その口元は、少しだけ笑っている。  繋いだ手は、解かれないままだ。  ケントは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。  幸せだった。こんな時間が。  何も特別なことは起きない、ただ二人で寄り添う夜が。  ずっと、ずっと続けばいいのに。  本気でそう思う。  番組が終わる。  画面が切り替わり、CMが流れ始める。  少しだけ、静かな時間。  レオが、こてん、と頭を傾けた。  少し眠そうに、ゆっくりと瞬きをする。  そして、ケントの肩に、自らもたれかかってきた。  無意識だろう。  きっと。安心しきっている証拠だ。  でも。肩に感じる柔らかな重みと、無防備な体温は。ケントの理性にとって、すこぶる良くない。  全然、良くない。このまま押し倒してしまいたくなる衝動を、必死に飲み込む。 「……レオ」 「ん?」  微睡みの中にある、甘くかすれた声。 「可愛い」 「……急になに」 「思ったこと言っただけ。すげえ可愛い」  レオは、恥ずかしさを誤魔化すように顔を背ける。  ケントの肩に顔を埋めるようにして。  表情は見えなくなったけれど、たぶん、耳まで真っ赤だ。  可愛い。  また、可愛い。  本当に。  こいつは一体、どこまで可愛くなるつもりなんだろう。  高校に入ったばかりの頃。  初めて見た時は、ただ綺麗な人だと思った。  冷たくて、無機質で、人形みたいで。近寄りがたい存在だと思っていた。  でも。  実際のレオは、全然違った。  よく笑うし。  すぐに照れるし。  こうして素直に甘えてくるし。  表情だって、驚くほど豊かだ。  知れば知るほど。  底なし沼のように、好きになる。  好きになるたび。  レオの「可愛い」が、際限なく更新されていく。  『可愛いの致死量』って、あるんだろうか。  もしあるなら。  オレはとっくに、何度も死んでいる気がする。  ケントは、繋いだ手をギュッと握り直しながら、本気でそう思った。  その時。レオが、不思議そうに肩から顔を上げる。 「……何、一人で笑ってるの」 「ん? 秘密」 「変なの」  レオが、呆れたように、でも嬉しそうに笑う。  その笑顔が、また。  やっぱり、どうしようもなく可愛い。  もうだめだ。  完全にお手上げだ。  たぶん。  明日も。  来週も。  その先も、ずっと。  ケントは、この愛しい恋人の可愛さに、一生振り回され続けるのだろう。  本人だけが。  その恐ろしい破壊力に、まったく自覚のないまま。

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