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第20話 修学旅行2

 長かった中間テストが、ようやく終了した。 「解放」。  今の高校二年生の気持ちを表すには、それ以外の言葉が見つからなかった。  最後の科目の終了チャイムが鳴り響き、答案用紙が回収された瞬間。 「終わったーー!!」  カズが、力尽きたように机に突っ伏した。 「テストが?」  前の席から振り返り、ハルが冷静に聞く。 「テストも!」  カズは、バッと勢いよく起き上がり、天を仰いだ。 「結果も、たぶん終わった!! 英語とか半分勘で書いたし!」 「まだわからないじゃん。奇跡的に合ってるかもしれないし」  レオが苦笑しながらフォローを入れるが、カズは全く気にしていない様子でガッツポーズをした。 「でも、次は修学旅行だ!!」  それは、紛れもない事実だった。  高校生活最後にして最大のイベント、修学旅行。  三年生になれば本格的な受験モードに突入してしまうため、これが気兼ねなく楽しめる最後の旅行だ。  教室全体が、テスト明けの解放感と旅行への期待で、ふわりと浮ついていた。  そして数日後。  修学旅行の出発当日。  朝早く、学校集合。  まだ目が開いていない眠そうな生徒や、逆に興奮してテンションがおかしくなっている生徒など、様々だった。  カズは、もちろん後者だ。朝から信じられないくらい元気だった。 「飛行機だぞ!」 「知ってる」 「長崎だぞ!」 「知ってる」 「修学旅行だぞ!!」 「……それも知ってる」  ハルが深いため息をついて呆れる横で、レオも目を擦りながら笑った。  飛行機に乗り込み、空の旅を経て、長崎へ。  初日は制服での移動。メインは平和学習だった。  原爆資料館。  平和祈念像。  語り部さんの生々しい体験談。  ガイドさんの丁寧な説明。  テレビや教科書で知っていたつもりになっていたことも、実際にその場所の空気を吸い、自分の耳で聞くと、心にのしかかる重みが全く違う。  レオも、ふざけるクラスメイトたちの中で静かに姿勢を正し、真剣にその言葉に耳を傾けた。  夕方。  貸し切りバスに揺られ、ようやく予約していた大きな観光ホテルへ到着する。  部屋に荷物を置き、制服から私服に着替えると、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。  なんとなく、色々な方向から視線を感じたような気がした。気のせいかも知れないけれど。  豪華な夕食を終え、次はお風呂の時間。  実は、レオはこの時間を少しだけ憂鬱に感じていた。  大浴場。  昔から、少し苦手だ。  ケントとなら平気だが、知らない人や、そこまで親しくないクラスメイトがたくさんいる場所で、無防備な姿になるのはどうしても落ち着かない。  六人班のメンバーは良い奴らばかりだが、それでも気を遣う。  どうしよう、と内心少しだけ身構えていた。  が。  完全に杞憂だった。 「おい、急げ急げ!」 「時間ねえぞ! 次のクラスが入ってくる!」 「誰かドライヤー貸せ! 髪濡れたまんま!」  男子高校生の入浴時間は、文字通りの『戦場』だった。  わちゃわちゃと騒ぎながらカラスの行水で体を洗い、湯船に数秒浸かっては次々と上がっていく。  誰も、他人の身体などじっくり見ている余裕はない。全員が自分のことで精一杯だった。  レオも、その怒涛のペースに巻き込まれる形で、何事もなく無事に風呂を終えることができた。 (……よかった)  ほてった顔をタオルで拭きながら、心の底から安堵のため息をついた。  そして、夜。  広い六人部屋の和室。  畳の上に、等間隔に布団がずらりと並んでいる。これぞ修学旅行、というベタな光景だった。  歯磨きを終え、明日の着替えや荷物を整理し、班長会議から戻ってきたカズから明日の自由行動のルート確認も済ませる。  時刻は、本来ならとっくに消灯し、寝る時間だ。  しかし。  修学旅行の夜に、そんなルールは存在しないに等しかった。 「なあ」  天井を見上げていたカズが、ニヤリと笑って言った。  ひどく、嫌な予感がする。 「恋バナしようぜ」  ……始まった。案の定だった。 「またかよ」 「クラスで一番可愛い子、誰だと思う?」 「お前、普通科の女子ばっかり見てるだろ」 「普通科のトップ3なら……」 「お前、頭の中それしかないのか」 「男子高校生だからな! 健全だろ!」  カズは完全に開き直っていた。  誰と誰がこっそり付き合い始めたらしい。  あいつの好きなタイプは誰々だ。  今まで告白したことはあるか。  暗闇の中、男子特有の他愛のない話題がぐるぐると続く。  ハルは興味がないのか、途中から布団を被って半分寝ていた。 「はーあ、彼女ほしいなあ……」  カズが、恨めしそうに天井に向かって呟く。 「無理だろ」  同じ班の男子の一人が、一秒も置かずに即答した。 「なんで!? オレだって磨けば光る原石かもしれないだろ!」 「その三枚目キャラが定着しすぎてるから無理」  部屋に、くすくすとした笑いが起こる。 「しかもお前さ」  別の男子が、寝返りを打ちながら言う。 「いつも水澄と五島と一緒じゃん」 「うん」 「高身長でイケメンの二人に挟まれて歩いてるから、廣野の存在、完全に霞んでるんだよ」 「ひどくね!?」  遠慮のない言葉に、部屋中が爆笑に包まれた。 「なんか、保護者二人に連れられてる子供みたいだもんな」 「誰が子供だ! オレも同級生だわ!」 「もしくは両サイドから研究員に手を握られた宇宙人」 「せめて人間にして!」  カズが抗議の声を上げる。  そんな馬鹿馬鹿しいやり取りをしながら、修学旅行の夜の時間は楽しく過ぎていく。  その時。  一人の男子が、ふと思い出したように言った。 「あ」 「ん?」 「明日さ……」  暗がりでも分かるくらい、彼は少し照れた顔をしていた。 「オレ、途中のグラバー園の辺りで、一時間くらい抜けるわ」  その一言で、全員がすべてを察した。 「え、お前、もしかして彼女?」 「……まあ」  途端に、部屋の中で歓声と冷やかし、そして応援の声が飛び交った。 「マジか! いいじゃん行ってこいよ!」 「修学旅行でこっそりデートかよ、許せねえ!」 「先生にバレたら、トイレで腹壊してるって口裏は合わせておいてやるから安心しろ」 「青春だなあ、クソッ!」  その盛り上がりの流れで。  男子の一人が、ふと、壁際で話を聞いていたレオを見た。 「そういや」 「水澄もさ、明日こっそり彼女と会えば?」  ……時間が止まった。  あまりにも突然放たれた、悪気のないキラーパスに。  レオの全身が、ピタリと硬直する。 「えっ」  目が泳ぐ。  しまった。完全に油断していた。  咄嗟に誤魔化しの言葉が出てこない。  その分かりやすすぎる動揺の反応を見たカズが、隣の布団で石像のように固まった。  数秒の、奇妙な沈黙。  そして。 「……え?」 「えっ?」 「待って、レオ彼女いんの!?」  部屋の中が、先ほどとは比べ物にならないほど大きくざわついた。  キラーパスを放った男子も、「いや、水澄って告白全部断ってるから、勝手にもう彼女いると思って。適当に言っただけなんだけど」と目を丸くしている。  逃げ場はない。レオは観念して、小さく息を吐いた。 「……まあ」  布団の襟元をギュッと握り、小さい声で答える。 「……そんな感じの人、は」  全員が絶句した。  カズが、今日一番の絶叫を上げる。 「なんで! オレに! 一言も言ってくれなかったんだよ!!」  バンバンと布団を叩く音が響く。 「ごめん」  レオが、申し訳なさそうに苦笑する。 「相手もいることだし……いろいろあって」  それは本当のことだった。  相手が「櫻井ケント」であること。  絶対に言えない。  だから、レオは少しだけ真面目な声色を作って、続ける。 「みんなに、お願いがあって」  全員が、息を呑んで耳を傾ける。 「……おれに付き合ってる人がいることは、他の人には内緒にしてほしいんだ。いろいろ、複雑だから」  その真剣な響きに、男子たちは顔を見合わせ、そして全員が深く頷いた。 「なんだ、そんなことか」 「それくらいなら余裕だって」 「任せろ。オレたち、口だけは堅いから」  男子たちは、拍子抜けするほど案外あっさりしていた。深く詮索してこないのが、彼らなりの気遣いなのだろう。  そして。  隣の布団のハルが、モゾモゾと動いた。 「……レオが幸せなら、別に何でもいーよ。ふわぁ……おやすみ……」  半分寝言のような、でもハルらしい優しい言葉。  レオは、心がふっと軽くなるのを感じて、小さく笑った。 「……うん。ありがとう」  その後。  興奮冷めやらぬカズをなだめすかし、ようやく部屋は本当の消灯時間を迎えた。  疲労もあってか、数十分もすると、部屋のあちこちから静かな寝息が聞こえ始める。  レオだけが、布団の中でこっそりとスマホを取り出した。  画面の明るさを限界まで落とし、メッセージアプリを開く。  送信先は、ケント。 『さっき、部屋のみんなに、付き合ってる人がいるってバレちゃった』  少しだけ迷って。  指を動かして続ける。 『ごめん。でも、誰とは気付かれてないはず』  送信して、数分後。  手の中のスマホが、ブルッと小さく震えた。  返信だ。 『笑』  早い。しかもスタンプではなく、文字での『笑』。 『別にいーじゃん。全然気にしてない』  さらに、ポンポンと吹き出しが続く。 『むしろ、オレはバレても大歓迎だけど』  レオは、暗闇の中で小さくため息をつく。  まったく予想通りの反応だった。 『レオと付き合ってるって、学校中で自慢したいくらいだし』  画面の文字を見つめながら。  レオは、自分の頬が少しだけ熱くなるのを感じた。  本当に。  この人は。  こういう恥ずかしいことを、画面越しでも直接でも、平然と言ってのける。  それに毎回絆されてしまう自分も自分だ。 『……おやすみ』  照れ隠しのように、レオが短く送る。  すぐに返信が来た。   『おやすみ』 『明日、どっかで会えるといいな。レオの班、見つけるから』  レオは、毛布の中で小さく笑った。  スマホの画面を暗くして、しっかりと布団に潜り込む。  きっと。  いつかは、全部バレる日が来るのかもしれない。  ハルにも。  カズにも。  周りのクラスメイトたちにも。  一生、隠し続けることなんてできないだろう。  でも。  今はまだ。  この特別で愛おしい関係は、誰にも邪魔されない、二人だけの秘密でいい。  そう思いながら。  レオは、ケントの言葉を反芻し、静かに目を閉じた。  明日は、待ちに待った長崎市内での班ごとの自由行動。  もしかしたら。  異国情緒あふれる街のどこかで、ケントとすれ違うことができるかもしれない。  そんな、ささやかで甘い期待を胸に抱きながら、レオは深い眠りへと落ちていった。

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