33 / 54
第33話 先輩ランキング
高校三年生の、四月。
春の生ぬるい風が吹き込む、新学期。
真新しい制服に身を包んだ新一年生が入ってくるこの季節は、学校全体がどこか浮き足立っていて、少しだけ騒がしい。
休み時間の廊下。
昼時の食堂。
放課後の昇降口。
どこへ行っても、真新しい環境に興奮する新入生たちの声が聞こえてくる。
授業、難しくない?
友達できた?
部活、どうする?
そして、この時期の、女子生徒たちの毎年恒例の話題。
「かっこいい先輩ランキング」だ。
昼休み、ケントは、学食の騒々しい空気の中で、友人たちと弁当を食べていた。
すると、少し離れた席から、黄色い声が耳に飛び込んできた。
「ねえ、サッカー部の櫻井先輩、すっごいかっこいいよね!」
「わかる! 今日の朝練見た?」
「身長高いし、爽やかだし!」
「しかも、後輩にも優しいらしいよ!」
あからさまな称賛の声。
ケントは、唐揚げを口に運ぼうとしていた箸をピタリと止めた。
向かいの席に座る友人たちが、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて肘で小突いてくる。
「よっ、人気者じゃん」
「うるせえな、黙って食え」
からかう友人たちを適当にあしらう。
まあ、慣れている。
一年生の時も、二年生の時もそうだった。
そして、三年生になった今年もそうだ。
新学期の風物詩みたいなものだと思っている。
でも、今日の問題は、そこじゃない。
さらに別の席。
今度は、窓際に陣取った女子たちの声が聞こえてきた。
「ねえねえ、特進クラスの水澄先輩やばくない?」
「見た! 顔きれいすぎるよね」
「なんか、尊いっていうか……儚いっていうか」
「わかる。図書室で本読んでる横顔とか、一枚の絵みたいだった」
「文藝部、見学行ってみようかな」
「あんなイケメン、絶対に彼女いるよね? いるのかな?」
ケントの箸が、今度こそ完全に止まった。
唐揚げが弁当箱に落ちる。
(彼女は、いない)
心の中で、即座にツッコミを入れる。
彼女はいない。
だけど、彼氏はいる。
オレだ。
絶対に誰にも言えないけれど。
「……」
胸の奥に、黒くて重い「もやもや」が広がる。
唐揚げの味が、急に分からなくなった。
友人たちは、ケントの異変に全く気付いていない。
ケント本人も、この複雑な感情をどう説明していいか分からなかった。
別に、レオが注目を集めるのは今に始まったことじゃない。
ケント自身は、出会うまで知らなかったが。
レオは高校入学直後から、その端正な顔立ちで一部の生徒の間では有名だった。
「特進科に、ものすごい美人がいる」
そんな噂は、ずっと前から校内を飛び交っていた。
でも。
今年は、以前と決定的に違う。
今までは、どちらかというと遠巻きに見られる存在だった。
「綺麗だけど、近寄りがたいよね」
「何か怖そう」
「冷たそう」
そんな評価が多かった。
実際、レオは極度の人見知りだったし、自分から必要以上に他人と関わろうとはしなかった。
分厚い壁を作って、基本的に誰も寄せ付けないように生きていた。
だから、みんな遠くから眺めるだけだったのだ。
でも。
今年は違う。
「笑顔、すっごくかわいいよね」
「この前、廊下ですれ違ったら挨拶返してくれたの!」
「意外と優しいし、声もいい」
「もっと話してみたいかも」
そんな、親しみを含んだ声が確実に増えている。
ケントは、その理由を誰よりもよく知っていた。
レオ自身は、全く気付いていないだろうけれど。
表情が、驚くほど柔らかくなったのだ。
ふとした瞬間に笑う回数が増えた。
人を警戒していた鋭い目元も、今は嘘のように穏やかになっている。
たぶん。
幸せだからだ。
ケントと一緒にいることで。
少しだけ。
本当に少しだけ。
レオの中から、幸せが外に漏れ出してしまっている。
滲み出るような優しさが、周りの人間を惹きつけてしまっている。
ケントは、それが嬉しかった。
本当に、心の底から嬉しかった。
出会った頃の、野良猫のように警戒心を剥き出しにしていたレオを知っている。
笑うことが少なくて。
いつもどこか寂しそうで、消えてしまいそうだった。
だから、今のレオを見ると、心から幸せそうでほっと安心する。
自分が、レオを笑顔にできているんだという誇りもある。
でも、その幸せそうな、柔らかい顔に惹かれて。
知らない連中が、どんどんレオの周りに集まってくる。
それは、なんとも言えず複雑だった。
夜。
恒例となった、ベッドに入る前の二人だけの時間。
オレンジ色の間接照明だけが点いた、薄暗くて心地よい部屋。
今日あったこと。
お互いの他愛のない話。
とりとめのない会話。
クッションを抱きしめながら、レオが笑う。
いつもの笑顔。
柔らかくて。
無防備で。
どうしようもなく、可愛い。
(たぶん、今のこの笑顔のせいだ)
オレにしか見せないはずのこの表情の片鱗が、学校でも漏れているんだ。
だから、前より人気が出た。
絶対にそうだ。
ケントは、ぽつりとこぼした。
「レオ」
「ん?」
「最近よく噂されてるぞ」
レオはきょとんとして、目を丸くした。
「噂?」
「一年生の間で。すげーかっこいい先輩がいるって」
「そうなの?」
即答だった。
一切の照れもなく、不思議そうに首を傾げている。
自分が注目されているという自覚が、本当に一ミリもないらしい。
ケントは思わず呆れて笑ってしまう。
「そうだよ。今日、学食でも言われてた」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃないっての」
「ふーん……」
全く興味がなさそうだ。
それもまた、いかにもレオらしい。
しばらく沈黙が落ちる。
ケントは小さく、悟られないようにため息をついた。
「なんか、複雑」
「なにが?」
「秘密」
「またすぐ秘密って言う」
少し不満そうに口を尖らせた。
言わない。
いや、言えるわけがない。
レオが幸せそうで、死ぬほど嬉しい。
でも。
その幸せそうな顔の理由がオレであることを誰も知らないまま。
他の奴らにレオの綺麗な顔を見られるのは。
少しだけ……いや、かなり悔しい。
そんな独占欲丸出しのこと、絶対に言えない。
だから代わりに。
ケントは手を伸ばし、シーツの上に置かれたレオの白い手をそっと握った。
少しだけ力を込めて、自分のものだと確かめるように。
レオが少し驚いて、肩をビクッと揺らした。
それから、困ったように、でも嬉しそうにふわりと笑った。
「どうしたの、急に」
「秘密」
またそれ。
そう言って、レオは小さく笑う。
繋いだ手を、きゅっと握り返してくる。
その、甘えるような笑顔を見て。
ケントは心底思った。
(やっぱり、どう見ても可愛い)
これは人気が出るのも仕方ない。
あんな風に噂されるのも、当然だ。
仕方ないけど。
でも、一番無防備で、一番だらしなくて、一番可愛い顔を知っているのは、世界中でオレだけだ。
オレだけが知っている顔が、確かにある。
今は、それでいいか。
繋いだ手から伝わる温もりを感じながら。
少しだけ。
本当に少しだけ。
ケントは、胸の奥の「もやもや」を宥めることができた。
ともだちにシェアしよう!

