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第33話 先輩ランキング

 高校三年生の、四月。  春の生ぬるい風が吹き込む、新学期。  真新しい制服に身を包んだ新一年生が入ってくるこの季節は、学校全体がどこか浮き足立っていて、少しだけ騒がしい。  休み時間の廊下。  昼時の食堂。  放課後の昇降口。  どこへ行っても、真新しい環境に興奮する新入生たちの声が聞こえてくる。  授業、難しくない?  友達できた?  部活、どうする?  そして、この時期の、女子生徒たちの毎年恒例の話題。  「かっこいい先輩ランキング」だ。  昼休み、ケントは、学食の騒々しい空気の中で、友人たちと弁当を食べていた。  すると、少し離れた席から、黄色い声が耳に飛び込んできた。 「ねえ、サッカー部の櫻井先輩、すっごいかっこいいよね!」 「わかる! 今日の朝練見た?」 「身長高いし、爽やかだし!」 「しかも、後輩にも優しいらしいよ!」  あからさまな称賛の声。  ケントは、唐揚げを口に運ぼうとしていた箸をピタリと止めた。  向かいの席に座る友人たちが、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて肘で小突いてくる。 「よっ、人気者じゃん」 「うるせえな、黙って食え」  からかう友人たちを適当にあしらう。  まあ、慣れている。  一年生の時も、二年生の時もそうだった。  そして、三年生になった今年もそうだ。  新学期の風物詩みたいなものだと思っている。  でも、今日の問題は、そこじゃない。  さらに別の席。  今度は、窓際に陣取った女子たちの声が聞こえてきた。 「ねえねえ、特進クラスの水澄先輩やばくない?」 「見た! 顔きれいすぎるよね」 「なんか、尊いっていうか……儚いっていうか」 「わかる。図書室で本読んでる横顔とか、一枚の絵みたいだった」 「文藝部、見学行ってみようかな」 「あんなイケメン、絶対に彼女いるよね? いるのかな?」  ケントの箸が、今度こそ完全に止まった。  唐揚げが弁当箱に落ちる。 (彼女は、いない)  心の中で、即座にツッコミを入れる。  彼女はいない。  だけど、彼氏はいる。  オレだ。  絶対に誰にも言えないけれど。 「……」  胸の奥に、黒くて重い「もやもや」が広がる。  唐揚げの味が、急に分からなくなった。  友人たちは、ケントの異変に全く気付いていない。  ケント本人も、この複雑な感情をどう説明していいか分からなかった。  別に、レオが注目を集めるのは今に始まったことじゃない。  ケント自身は、出会うまで知らなかったが。  レオは高校入学直後から、その端正な顔立ちで一部の生徒の間では有名だった。 「特進科に、ものすごい美人がいる」  そんな噂は、ずっと前から校内を飛び交っていた。  でも。  今年は、以前と決定的に違う。  今までは、どちらかというと遠巻きに見られる存在だった。 「綺麗だけど、近寄りがたいよね」 「何か怖そう」 「冷たそう」  そんな評価が多かった。  実際、レオは極度の人見知りだったし、自分から必要以上に他人と関わろうとはしなかった。  分厚い壁を作って、基本的に誰も寄せ付けないように生きていた。  だから、みんな遠くから眺めるだけだったのだ。  でも。  今年は違う。 「笑顔、すっごくかわいいよね」 「この前、廊下ですれ違ったら挨拶返してくれたの!」 「意外と優しいし、声もいい」 「もっと話してみたいかも」  そんな、親しみを含んだ声が確実に増えている。  ケントは、その理由を誰よりもよく知っていた。  レオ自身は、全く気付いていないだろうけれど。  表情が、驚くほど柔らかくなったのだ。  ふとした瞬間に笑う回数が増えた。  人を警戒していた鋭い目元も、今は嘘のように穏やかになっている。  たぶん。  幸せだからだ。  ケントと一緒にいることで。  少しだけ。  本当に少しだけ。  レオの中から、幸せが外に漏れ出してしまっている。  滲み出るような優しさが、周りの人間を惹きつけてしまっている。  ケントは、それが嬉しかった。  本当に、心の底から嬉しかった。  出会った頃の、野良猫のように警戒心を剥き出しにしていたレオを知っている。  笑うことが少なくて。  いつもどこか寂しそうで、消えてしまいそうだった。  だから、今のレオを見ると、心から幸せそうでほっと安心する。  自分が、レオを笑顔にできているんだという誇りもある。  でも、その幸せそうな、柔らかい顔に惹かれて。  知らない連中が、どんどんレオの周りに集まってくる。  それは、なんとも言えず複雑だった。  夜。  恒例となった、ベッドに入る前の二人だけの時間。  オレンジ色の間接照明だけが点いた、薄暗くて心地よい部屋。  今日あったこと。  お互いの他愛のない話。  とりとめのない会話。  クッションを抱きしめながら、レオが笑う。  いつもの笑顔。  柔らかくて。  無防備で。  どうしようもなく、可愛い。 (たぶん、今のこの笑顔のせいだ)  オレにしか見せないはずのこの表情の片鱗が、学校でも漏れているんだ。  だから、前より人気が出た。  絶対にそうだ。  ケントは、ぽつりとこぼした。 「レオ」 「ん?」 「最近よく噂されてるぞ」  レオはきょとんとして、目を丸くした。 「噂?」 「一年生の間で。すげーかっこいい先輩がいるって」 「そうなの?」  即答だった。  一切の照れもなく、不思議そうに首を傾げている。  自分が注目されているという自覚が、本当に一ミリもないらしい。  ケントは思わず呆れて笑ってしまう。 「そうだよ。今日、学食でも言われてた」 「気のせいじゃない?」 「気のせいじゃないっての」 「ふーん……」  全く興味がなさそうだ。  それもまた、いかにもレオらしい。  しばらく沈黙が落ちる。  ケントは小さく、悟られないようにため息をついた。 「なんか、複雑」 「なにが?」 「秘密」 「またすぐ秘密って言う」  少し不満そうに口を尖らせた。  言わない。  いや、言えるわけがない。  レオが幸せそうで、死ぬほど嬉しい。  でも。  その幸せそうな顔の理由がオレであることを誰も知らないまま。  他の奴らにレオの綺麗な顔を見られるのは。  少しだけ……いや、かなり悔しい。  そんな独占欲丸出しのこと、絶対に言えない。  だから代わりに。  ケントは手を伸ばし、シーツの上に置かれたレオの白い手をそっと握った。  少しだけ力を込めて、自分のものだと確かめるように。  レオが少し驚いて、肩をビクッと揺らした。  それから、困ったように、でも嬉しそうにふわりと笑った。 「どうしたの、急に」 「秘密」  またそれ。  そう言って、レオは小さく笑う。  繋いだ手を、きゅっと握り返してくる。  その、甘えるような笑顔を見て。  ケントは心底思った。 (やっぱり、どう見ても可愛い)  これは人気が出るのも仕方ない。  あんな風に噂されるのも、当然だ。  仕方ないけど。  でも、一番無防備で、一番だらしなくて、一番可愛い顔を知っているのは、世界中でオレだけだ。  オレだけが知っている顔が、確かにある。  今は、それでいいか。  繋いだ手から伝わる温もりを感じながら。  少しだけ。  本当に少しだけ。  ケントは、胸の奥の「もやもや」を宥めることができた。

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