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第39話 勲章

 初夏を思わせる強い日差しと、雲一つない青空が広がる、体育祭当日。  朝から、校内は異様な熱気に包まれて騒がしかった。  グラウンドには万国旗が風に揺れ、生徒たちの声援と流行りのBGMがスピーカーからガンガンと鳴り響いている。  特進科もスポーツ科も関係なく、みんなどこか浮き足立ち、お祭り騒ぎを楽しんでいた。  ただし。  水澄レオだけは、完全に例外だった。 「おっしゃー! 今日は絶対優勝するぞ! がんばろうな!」 「おう!!」  ハチマキを締めたクラスメイトたちが円陣を組んで盛り上がる中。  レオは一人、グラウンドの隅のテントの下で、静かにプログラムの出席表を確認していた。  運動音痴ではない。でも、突出した何かもない。  今日、自分に与えられた出場種目。  玉入れ。  綱引き。  騎馬戦。  以上。 「……頑張ろう」  ため息と共に、小さく呟く。  レオの今日の目標は、ただ一つ。いや、三つ。  目立たないこと。  怪我をしないこと。  誰にも迷惑をかけないこと。  本当に、ただそれだけだった。静かに、波風を立てずにこの一日をやり過ごしたかった。  一方。  グラウンドの反対側、スポーツ科のテント周辺は別世界だった。  櫻井ケントは、とにかく大忙しだ。  個人走。  クラス対抗リレー。  綱引き。  応援団。  そして、持ち前の統率力でチーム全体のまとめ役まで担っている。  スポーツ科の中心人物であり、サッカー部のエースでもある彼には、あちこちから絶え間なく声が飛ぶ。 「ケント! 次の用具出し頼む!」 「櫻井、こっちの陣形どうする!?」 「次走るぞ、準備しろ!」  忙殺されているはずなのに、本人は太陽の下で汗を輝かせ、心の底から楽しそうに笑っていた。  レオは、遠く離れた特進科のテントから、こっそりとその様子を見ていた。 (……すごいな)  純粋に、そう思う。  自分には絶対にできないことだ。  あんな風に、みんなの中心に立って。太陽みたいな引力で、自然と周囲を引っ張っていく。 (……ケントのああいうところが好き)  などと、こっそり惚れ直しているうちに、プログラムはどんどん進行していく。  ケントの個人走。  圧倒的なスピードで他を引き離し、圧勝。  綱引き。  最後尾でロープを腰に巻き、引ききって大活躍。  そして、午前の部のクライマックス、クラス対抗リレー。  ケントは当然のようにアンカーだった。  バトンを受け取った瞬間。  グラウンドを揺らすような、凄まじい歓声が上がる。黄色い声援も入り混じっている。  速い。  とにかく、速い。  バトンを受け取った時点では3位だったはずなのに、あっという間に前を走る走者との差を詰めていく。  コーナーで一人抜き、直線でもう一人を鮮やかに追い抜く。  そのまま、トップでゴールテープを切った。  グラウンドが、今日一番の熱狂に沸く。  レオも、テントの下で思わず立ち上がり、夢中で拍手していた。手が痛くなるほど叩いた。  かっこいい。  本当に。  悔しいくらい、かっこいい。  あれが自分の恋人なのだと、世界中に自慢してしまいたい衝動を、必死に飲み込んだ。  そして、午後。  問題の、騎馬戦がやってきた。 (……なんで、おれが上なの?)  レオは、騎馬の頂上で本気で思っていた。  普通、逆ではないのか。どう考えても自分は支える側(というか後ろの目立たないポジション)にいるべきではないのか。  しかし、決まってしまったものは仕方ない。 『水澄なら軽いから、上に乗せても機動力落ちないだろ!』  体育委員のクラスメイトの、その何気ない一言で採用されてしまったらしい。  理不尽である。 「……とにかく、みんなに迷惑かけないように頑張る」  レオはハチマキをきつく締め直し、それだけを胸に出陣した。  最初は順調だった。  とにかく交戦を避け、自陣のハチマキを守る。  敵が来たら逃げる。守る。逃げる。  ところが。  終盤に差し掛かった頃、グラウンドの中央で激しいぶつかり合いが起きた。  逃げ場を失い、複数の騎馬が複雑に絡み合う。  ぐらり、と土台のバランスが崩れた。 「うわっ!」  耐えきれず、騎馬が崩壊する。  視界が反転し、乾いた土煙が舞い上がる。  誰かの悲鳴。  そして、鋭い笛の音。  競技は一時中断となった。  結果。  巻き込まれた数人が軽傷を負った。  そして、レオも不運なことにその一人だった。  腕。  膝。  肘。  体操服から露出していた部分に、あちこち擦り傷を作ってしまった。  幸い骨折などの大事には至らなかったが、問答無用で保健室送りとなった。  静かな保健室。  消毒液の匂いが漂う中、消毒を終えてあちこちに絆創膏を貼られながら、保健室の先生が苦笑する。 「派手に転んだねえ。顔から落ちなくてよかったよ」 「そうみたいです……お手数かけました」  そこへ。  ガラッ! と勢いよく保健室のドアが開いた。  騎馬戦で激突してきた相手チームの男子生徒が、顔面蒼白で飛び込んできた。  大柄でいかつい顔をしているが、今は今にも泣きそうな顔をしている。 「水澄さん! 本当に、本当にすみません!!」 「え?」 「俺の不注意で、水澄さんの大切な身体を、傷モノにしてしまって……!!」 「……いや、傷モノって」  時代がかった大袈裟な表現に、レオは思わず吹き出して笑ってしまった。  相手は土下座でもしそうな勢いで本気で謝っている。 「ほんとに大丈夫だから。顔上げなよ」 「でも! あちこち血が……!」 「ただのかすり傷だよ。騎馬戦なんだから、お互い様だし」  最終的に、「何か奢ります!」「いや本当にいいから」というやり取りを経て、何度も謝り倒されてようやく解放された。  同じ頃。放課後の片付け中。  ケントは、用具を運びながら、遠くから保健室の窓をじっと睨みつけていた。    本当は、行きたい。  ものすごく行きたい。  今すぐ用具を放り投げて、保健室に駆け込みたい。あいつがどんな怪我をしたのか、痛がっていないか、自分の目で確かめたい。  でも。  できない。  学校では秘密。付き合っていることは誰にも知られていない。  スポーツ科の中心にいる自分が、特進科の、しかも普段あまり接点のない水澄レオの元へ血相を変えて駆け込めば、絶対に不自然に思われる。  だから、ケントは歯を食いしばって我慢した。  体育祭が終わるまで。  ずっと。  夜。  レオの部屋。  コンコン。  小さく、けれど焦りを含んだノックの音。 「どうぞ」  ガチャリとドアが開く。  入ってきたケントは、挨拶もそこそこに開口一番、鋭い声で言った。 「怪我、見せて」  そのあまりにも切羽詰まった表情に、レオはくすっと笑う。 「第一声、それ?」 「当たり前だろ! お前な……」  ケントはずっと心配していたのだ。  騎馬が崩れた瞬間から。  保健室へ運ばれていく背中を見てから。一日中。ずっと。  レオは素直に、部屋着の袖をまくって腕を見せる。  白い肌に貼られた、痛々しい絆創膏。  ハーフパンツから伸びる膝にも。肘にも。  打撲したのか、小さな青アザもできている。    ケントの眉間に、深い皺が寄った。 「……全然大丈夫じゃないじゃん。ボロボロだろ」 「本当にかすり傷だよ」 「どこが。絶対痛いだろ、これ」 「見た目ほど痛くないって」  レオは笑っている。  でも、ケントは納得できなかった。 (本当は、オレが保健室へ行きたかった)    誰よりも早く駆けつけて、手当てしてやりたかった。  大丈夫かって、一番に聞きたかった。  全部、我慢した。  彼氏なのに、遠くから見ていることしかできなかった。  だから余計に、悔しくて、心配だったのだ。  不機嫌そうに唇を噛むケントを見て、レオは少しだけ表情を和らげ、意図的に話題を変える。 「……それより」 「ん?」 「今日のリレー、すごかったね」  ケントが、不意打ちを食らったように瞬きをした。 「……見てた?」 「もちろん」  即答だった。  レオの目が、昼間の興奮を思い出したように、少しだけキラキラと輝く。 「めちゃくちゃ速かった」 「……まあ」    ケントが、少しだけ視線を逸らして照れる。 「すっごく、かっこよかった」 「……っ」    さらに顔を赤くして照れる。 「綱引きも、一番後ろで頑張ってたでしょ」 「うん」 「応援の時も、声一番大きかったし」 「……うん」 「本当にすごかった。ケント、今日の主役みたいだったよ」  限界だった。  ケントはたまらず、大きな両手で自分の顔をバッと覆った。 「……無理」 「え?」 「無理。好きな人にそんなに褒められるの、心臓もたない。無理」  耳まで真っ赤にしてしゃがみ込むケントを見て、レオは不思議そうに首を傾げる。  ケントは顔を覆った指の隙間からレオを見て、照れ隠しのように少し笑った。 「この日のために、ずっと練習してたから」 「知ってる」  朝練の早い時間。  放課後のグラウンド。  ケントがリレーのために、何度も何度もタイムを測って走っていたこと。  レオは見ていた。  同じ家にいるからこそ、誰よりも彼の努力を知っていた。全部。 「……報われたわ」  ケントが、ぽつりと言う。  レオは、ベッドに腰掛けたまま、柔らかく、優しく微笑んだ。 「……よかったね、ヒーロー」  その一言と、甘い笑顔だけで。  ケントの中で燻っていた悔しさも、もどかしさも、本当に全部が報われた気がした。  高校最後の体育祭は、ひどく疲れた。  怪我もしたし、ハプニングだらけで大変だった。  でも。  今日の思い出を、ずっと後になってから振り返ったとき。  レオが真っ先に思い出すのは。  歓声の中を、風を切ってかっこよく走るケントの無敵の姿。  そして、ケントが思い出すのは。  あちこち絆創膏だらけで痛いはずなのに、自分に向けて優しく笑ってくれた、レオの愛おしい顔なのだった。

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