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第40話 魔法のキス

 体育祭が終わった。  高校三年生の、最後のビッグイベント。  熱狂の余韻はもうない。  グラウンドの砂埃も、歓声も、すべては過去のものとなった。    レオの身体には、まだ勲章が残っていた。  騎馬戦での派手な転倒、土に塗れたあの日、あちこちに作った擦り傷、青あざ。  それは青春の、痛々しい名残だった。  祭りが終われば、空気は一変する。  クラスの雰囲気は、すっかり受験モードになっていた。  誰もが、己の未来と向き合っている。机に向かう背中。重苦しい沈黙。    レオも例外ではない。  焦りがある。不安が常に付きまとう。休み時間も惜しんだ。    小さな単語帳を開く。  英単語を脳に刻み込む。  青いペンで、ノートを真っ黒にする。  チャート式の復習をする。  数式と睨み合う。    隙間時間を、徹底的に活用した。  通学中。  湯船に浸かっている間。  勉強を、ひたすらに積み重ねていく。  砂の城を作るような、地道で孤独な作業。    息がつまる。張り詰めた糸のような毎日だった。限界が近かった。  金曜日の夜。  いつもの、ケントとレオの二人の時間。  この時間だけは、何よりも大切にしたい。    一週間の終わり。  重い参考書を閉じ、シャーペンを置く。  凝り固まった肩を回す。  ドアが閉まり、ここからは、二人の世界になる。    受験勉強で張り詰めていた心が。  ケントの体温に触れると、少しだけ綻ぶ。  深く息を吐くと、安心する。  心を落ち着かせられる、唯一の時間。    ただ隣に座って、肩が触れる。  ケントの体温を感じる。  少しだけ汗の匂いがする。いつもの柔軟剤の香り。  それだけで満たされる。心が凪いでいく。  戦士の休息。静かで、穏やかなひととき。  だが。  静寂は、長くは続かない。  安らぎは、すぐに別の熱へと形を変える。  ケントからの熱烈な口付け。  それで、ガラリと様子が変わる。    優しい触れ合いから、オスとオスの熱へ。  唇が塞がれる。  深い。  息ができないくらい。  舌が絡み合う。  強引に口内を侵される。  甘い唾液が混ざる。  粘膜が擦れる、いやらしい水音。  鼓動が、一気にはやまる。    ドクン、ドクンと耳の奥で鳴る。  レオの白い肌。首筋から頬へ。あっという間に、桜色に蒸気していく。  熱い。 溶けそうだ。  ケントの大きな手が、レオの衣服を剥ぎ取る。  乱暴ではない。けれど、焦燥に満ちている。  触れられるたび、ビクッと身体が跳ねる。  心地よい痺れが、芯から広がっていく。  思考が、白く濁り始める。  ベッドに沈む。  シーツの冷たさが、火照った肌に心地いい。  ゆっくりと、愛撫される。  指先が、肌を這う。背筋をなぞる。腰のくぼみに触れる。  十分に濡らされる。  準備はできたはずだった。  体勢を変える。後ろから。  ケントを受け入れようと、四つん這いになる。  腰を高く上げる。  その瞬間だった。 「……いたっ!」  珍しく、レオが声を上げた。  行為の前の、切羽詰まった空気。それが一瞬で止まる。  ケントが息を呑む。焦った顔。  前戯が不十分だったか。  無理をさせてしまったか。  ケントの瞳が、激しく揺れる。  違う。レオは首を振る。そこじゃない。 「ちがくて……。膝」  レオが視線を落とす。ケントも見る。レオの白い膝。  そこには、まだ掌より大きな絆創膏が、べったりと貼られている。  体育祭の怪我。まだ治りきっていない傷口。それがシーツに擦れたのだ。  体重がかかり、鋭い痛みが走った。 「あ……」  ケントが、ふっと表情を緩める。  安堵と、底なしの優しさ。  自分のせいではなかったことへの安心。  そして、傷への労り。 「そっか。しばらくは前からだな」  ケントが笑って、優しく、レオの身体を反転させる。  仰向けにさせる。顔が見える体勢。  レオは、少し恥ずかしくなった。  でも、素直な本音が漏れる。 「……いいよ。ケントと、キスしながらするの、好きだし」  それは、完全な無自覚だった。  ただの事実。だが、ケントにとっては猛烈な煽りだった。  ケントの目の色が変わる。  理性の糸が、ぷつりと切れる音がした。  空気が、一段と濃密になる。  再び、唇が塞がれる。さっきよりも、もっと深く。  もっと激しく。貪られる。  息継ぎの隙間もない。 「んっ……、ぁ……っ」  レオの喉から、甘い声が漏れる。  我慢しようとする。口をきつく閉じる。けれど、隙間から甘い吐息が零れ落ちる。  ケントの指が、レオの太ももを掴む。ゆっくりと、大きく開かれる。  膝に負担がかからないように。丁寧に。  そして、一番熱い場所が、触れ合う。ゆっくりと、質量が沈み込んでくる。 「あ……っ、く……ぅ……っ」  レオの背中が反る。シーツを強く握り締める。指の関節が白くなる。  満たされていく。ケントの熱。全部が、レオの奥深くに侵入してくる。  隙間なく、埋め尽くされる。 「レオ……っ」 「ケント、ぁ……っ、んんっ……!」  声を出さないように、自分の唇を噛む。  けれど、内側から突き上げられるたび、脳が白く弾ける。  切なく、我慢するような声。漏れ出る、掠れた喘ぎ。  それが、逆にケントを猛烈に煽る。  激しい。腰の打ち付け合い。肉と肉がぶつかる音。  いやらしい水音が、静かな部屋に響く。    熱い。どこもかしこも熱い。  ケントの汗が、レオの胸に落ちる。  視線が絡み合う。正面から。ケントの顔が、すぐそこにある。  琥珀色の瞳。欲情に濡れた、色気のある目。  愛おしくてたまらない。  キスをねだる。  レオから腕を伸ばす。  ケントの首に腕を回す。  すがるように。  何度も、何度も唇を重ねる。 「んっ、ちゅ、ぁ……っ、はぁ……っ」  息が荒い。肺が酸素を求めている。  それでも、離れたくない。  もっと。もっと奥まで。ケントを全部、感じたい。  深く、えぐられるようなストローク。 「ああっ……! だめ、それ……っ」  一番弱いところ。そこを、的確に擦られる。レオの身体が、ビクビクと跳ねる。  快感が、波のように押し寄せる。  指先まで痺れる。頭の中は、もうぐちゃぐちゃだ。  英単語も。数式も。受験の不安も。  今はもう、何も残っていない。  あるのは、ケントが与えてくれる圧倒的な快楽だけ。  甘く、切ない声が、また漏れる。 「ぁ……っ、んぁ……っ、ケント……っ」  名前を呼ぶ。  ケントの背中を、爪を立てて掻き毟る。  その時だった。  ケントが、ふと腰の動きを緩めた。  激しいピストンの最中。  腰を動かしながら、ケントの視線が下へ向かう。  視線の先。レオの膝の大きな絆創膏。  少しめくれた端から、赤く擦れた肌が見える。  痛々しい。こんなに傷付いて。  レオは頑張ったのだ。  不器用なのに。痛かったはずなのに。  あの日、必死に耐えていた。  ケントの胸の奥が、きゅっと締め付けられる。  欲情の中に、強烈な保護欲が混ざり合う。  愛おしさが、爆発する。  大切で、大切で、壊してしまいたいほど愛おしい。 「ケント……?」  レオが、潤んだ瞳で不思議そうに名前を呼ぶ。  ケントは、ゆっくりと身体を屈めた。  腰の繋がりは、そのままに。  一番深い場所で、熱を合わせたまま。  ケントの唇が、レオの膝に触れた。  絆創膏の上から。  そっと。慈しむように。祈るように。  早く、良くなりますように。  願いを込めて、膝に口付けを落とした。  ちゅ、と。  優しい音が鳴る。レオは、息を呑んだ。  痛々しい傷跡。  そこへ落とされた、神聖なキス。  胸の奥が、熱いものでいっぱいになる。  涙が出そうだった。好きだ。好きで、好きで、たまらない。  どうしてこんなに、優しいのだろう。 「レオ……」  ケントが顔を上げる。  再び、視線が絡む。  ケントの瞳には、レオへの狂おしいほどの愛だけが溢れていた。 「ケントっ……、すき……っ、ぁっ……!」  堰を切ったように、声が出た。  我慢なんて、もうできなかった。  激しさが、戻る。先ほどよりも、もっと深く。もっと重く。  愛情と、欲情。その両方が、限界まで膨れ上がる。 「おれも……っ、レオ、すきだ……っ」  重なり合う声。乱れる呼吸。軋むベッドの音。  絶頂が、すぐそこまで迫っている。視界が白く明滅する。 「いくっ……、ケント、おれ、ぁあっ……!」 「オレも……っ、一緒、いく……っ」  深く、最も深い場所まで。強く、強く突き上げられる。  そこで、止まる。熱いものが、ゴム越しにレオの奥深くへと放たれた。  同時に、レオも絶頂を迎える。  背中を大きく反らせる。シーツを掴む手が震える。  甘く、甲高い声が部屋に響いた。 「あぁっ……!」  余韻。心地よい痺れが、全身を駆け巡る。  火花が散ったあとのような、熱い気怠さ。  息も絶え絶えに、ベッドに沈む。  ケントが、ゆっくりと倒れ込んでくる。  その重みが、今はただ嬉しい。  密着した肌から、激しい鼓動が伝わってくる。  静寂が戻る。  二人の荒い呼吸だけが聞こえる。  ケントが、レオを腕の中にすっぽりと収める。  汗ばんだ背中を撫でる、優しい手。  髪に落とされる、軽いキス。 「……痛く、なかったか?」  膝のこと。  ケントが囁く。  レオは、ケントの胸に顔を埋めたまま、ゆっくりと首を振る。 「痛くない。……すっごく、気持ちよかった」 「そっか」  ケントが、心の底から嬉しそうに笑う。  体温が、心地いい。  激甘な空気が、部屋中に充満している。  すべてが甘く、とろけそうだ。  受験勉強のプレッシャーなんて、遠い世界のこと。  明日になれば、また単語帳を開く日々が始まる。  重い現実が待っている。  けれど、今はいい。  この絶対的な温もりの中だけで、眠りたい。  レオは、そっと目を閉じた。  ケントの腕の中。  世界で一番安全な場所。  膝の傷は、明日にはもっと良くなっているはずだ。  ケントの、魔法のような優しいキスのおかげで。

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