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第57話 一緒に選ぶ

 長く苦しかった受験戦争が終わり、厚い雲が晴れたかのように二人の頭上には青空が広がっていた。  水澄レオと櫻井ケント。  晴れて大学への進学が決まった途端、二人の日常は予想以上のスピードで慌ただしく回り始めた。  受験が終わってようやく一息つける。  そう思って甘く見ていた現実は、容赦なく彼らに「大人への準備」を突きつけてきた。  大学への入学手続き、膨大な書類への記入。  そして何より、彼らの未来を形作るための最大のミッション――新居探しである。 「次の土曜日、十三時から内見ね」    レオがスマートフォンのカレンダーアプリを確認しながら、リビングのソファでくつろぐケントに声をかけた。   「了解。駅前の不動産屋な」    ケントも自分の予定表を見ながら、嬉しそうに頷いた。  リサもショウも、まあ、二人なら上手くやるだろうと、エールを送ってくれた。  温かい見送りを受けて始まった新生活準備だったが。  いざ動き出してみると、思っていた以上にやることが山積みだった。  不動産屋へ行き、希望の条件をすり合わせ、内見を予約し、実際に部屋を見て回る。    駅からの距離、大学までのアクセス、周辺環境の治安、スーパーの有無、日当たり、収納の広さ、防音性。  確認しなければならない項目は、いくらあっても足りないくらいだった。  ある日の内見。   「ここ、キッチン狭いな……」    レオが備え付けの小さなシンクを見つめて、少しだけ眉を寄せた。  コンロも一口しかなく、まな板を置くスペースすら心許ない。   「毎日料理するし、この広さだと二人で一緒にキッチンに立つのは厳しいかもな」 「うん。ストレス溜まりそう。ここは違うね」 「却下だな」    二人で顔を見合わせ、苦笑しながら次の物件へと向かう。  そんなやり取りを何度も繰り返し、数日かけて。  ようやく二人ともが心から納得できる「広めの1LDK」の部屋を見つけ出し、無事に契約を済ませたのだった。  部屋が決まれば、今度はその空間を埋める家具と家電の調達だ。  まずは生活の基盤となる大型家電から。  冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、炊飯器、掃除機。  休日の度に、二人は巨大な家電量販店を何軒も見て回った。 「冷蔵庫、これくらいの容量が必要かな」    レオが、ファミリー層向けの少し大きめの冷蔵庫の前で立ち止まる。   「作り置きとかもするだろうから、少し大きい方が絶対いいと思う」 「でも……これ、けっこう高いよ?」 「んー……でも、自炊メインにするなら食材もたくさん買うし、将来的なことを考えたらこっちじゃない? 毎日使うものだし、ケチらない方がいいって」 「……確かに。ケントの言う通りかも」  ケントの論理的な意見に、レオは素直に頷いた。  ふと、不思議な感覚に陥る。  以前のレオなら、こういうことはすべて自分一人で考え、一人で決断して完結させていたはずだ。  けれど今は違う。何を選ぶにも、自然と隣にいる相手の顔を見て、意見を聞いている。  洗濯機売り場でも、同じような光景が繰り広げられた。   「ドラム式の、乾燥機付き?」 「これ、ボタン一つで乾燥まで終わるんだって。便利そう」 「でも高い」 「でも便利そう」 「……便利そう」    結局、大学の課題やバイトで忙しくなることを見越し、最終的に二人とも「乾燥機付きの圧倒的な便利さ」に白旗を上げた。  電子レンジも決まり。ベッドフレームとマットレスも決まり。  大きな買い物が一つ終わるたびに、配送伝票の束が分厚くなっていく。  それと同時に、まだ何もない真っ白な新居に少しずつ二人の生活の輪郭が描き出されていくような気がして。  二人の胸は躍った。  大型家電と家具の目処がつくと、今度は細々とした小物選びが待っていた。  カーテン、ラグ、シーツ、クッション、食器、タオル、各種生活雑貨。  大型家具以上に種類も色も豊富で、選ぶ楽しさがある反面、ひどく悩ましい作業でもあった。  巨大なインテリアショップの通路を、大きなカートを押しながら進む。   「これ、どう?」    レオが寝具コーナーで、落ち着いたネイビーブルーのカーテンを手に取った。   「お、いいと思う。シックで落ち着くし」 「じゃあ、リビングの窓はこれにする?」 「うん、賛成」  寝室用には、清潔感のある白を。  ラグも白。シーツも白。  そこに、アクセントとしてリビングと同じネイビーのクッションや小物を入れていく。  気付けば、二人の選ぶものには自然と統一感が生まれていた。 「なんか、ホテルみたいだな」    カートの中身を見て、ケントが楽しそうに笑う。   「帰ってきた時、それなりに綺麗な空間の方が落ち着くでしょ」 「だな。そういう几帳面なところ、すごくレオらしい」    褒められているのかからかわれているのか分からず、レオは少しだけ唇を尖らせた。  そんな、他愛のない、けれど温かい会話がひたすらに楽しい。  どちらか一人のためではない。  二人で毎日使うものを、二人で相談して選ぶ。  棚からお揃いのマグカップを二つ取り出し、カートに並べて入れる。  その些細な動作と時間自体が、レオにとってはたまらなく特別で、愛おしいものだった。  何日もかけて買い回りを続けた、ある日の帰り道。  ようやく引っ越しに向けた最後の買い物を終えた。  夕暮れ の歩道を駅に向かって並んで歩きながら、レオは「ふう」と心地よい疲労感とともに息を吐いた。 「大物も小物も買ったし……何とか間に合いそうだね」 「何とかな」    ケントも肩の力を抜き、レオの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。  最低限必要なものは揃った。  あとは実際に二人で暮らしながら、「これが必要だね」と笑い合い、その都度少しずつ増やしていけばいい。  そう思うと、張り詰めていた緊張が解け、安心感が胸に広がった。  オレンジ色に染まる空の下、しばらく無言で歩いていると、   「なあ」    ふと、隣を歩くケントが口を開いた。   「ん?」 「なんかさ」    夕日に染まった頬を掻きながら笑った。   「カップル通り越して、もう『夫夫(ふうふ)』みたいだなって思った」 「……は?」    予想外の単語に、レオは思わずピタリと立ち止まった。   「だってそうじゃん」    ケントは真面目な顔をして、レオの前に立ち塞がるように振り返った。   「冷蔵庫の容量どれにするか真剣に考えて」 「うん」 「洗濯機は乾燥機付きがいいか相談して」 「うん」 「リビングのカーテン選んで、毎日使う食器選んで……」 「うん」 「ここ最近、毎日そういう話ばっかしてる」 「それは……引っ越し前だからでしょ。当たり前じゃん」 「そうだけどさ」    ケントは、レオの目をまっすぐに見つめて優しく笑った。   「なんか、もう新婚夫夫みたいだなって、すげー幸せに感じたの」 「またそういうこと言う……」    レオは呆れたようにため息を吐き、顔の熱を隠すように歩き出した。  しかし、心の奥底では、甘い炭酸が弾けたような嬉しい感情が広がっていた。  「結婚」。  以前なら、高校生の自分たちには現実味のない夢物語だと思っていた。    けれど、こうして二人で生活の基盤を一つひとつ築き上げている今。  その言葉ははっきりとした輪郭を持ってレオの胸に響いていた。 (きっといつか……本当に、ケントとそういう日が来る)    確信めいた予感が、レオの心を温かく満たしていく。  再びケントの隣を歩きながら、レオはふと、少し先の未来に思いを馳せた。  今はまだ、ショウとリサと同じ屋根の下で暮らしている。  四人暮らしの賑やかな日常だ。    けれど、新しい部屋に行けば、本当にケントと二人きりになる。  例えば、些細なことで喧嘩をした時。  今まではショウが呆れながら仲裁に入ってくれたり。  リサが明るく笑い飛ばして空気を変えてくれたりした。    けれど、これからは気まずくなっても逃げ場はない。  二人きりの閉鎖された空間で。  全部自分たちだけで向き合い、解決しなければならないのだ。  それは、ほんの少しだけ怖いことでもあった。  けれど。  ちらりと隣を見る。オレンジ色の光を浴びて、楽しそうに笑うケントの横顔がある。   (……ケントと一緒なら、きっと大丈夫)    そう、強く思えた。 「ケント」 「ん?」 「……喧嘩しても、ちゃんと話し合おうね」  突然の真面目な言葉に、ケントは少し驚いたように瞬きをした。  それから、レオの不安をすべて包み込むような、底抜けに優しい笑顔を見せた。   「当たり前だろ」 「絶対だからね。お互い、嫌なことがあったら溜め込まずに言うこと」 「うん」 「ちゃんと話、聞いて」 「聞く」 「勝手に拗ねて口聞かなくなるとか、なしだからね」 「努力する」 「そこは約束してよ」    レオがジロリと睨むと、ケントは苦笑してレオの肩に軽く腕を回した。   「分かった、約束する。……じゃあレオも、一人で勝手に抱え込むなよ。俺に何でも言え」 「……努力する」 「ほら、レオもじゃん」  二人で顔を見合わせる。  そして、夕暮れの静かな歩道で、同時に吹き出して笑い合った。  大学生活。  二人で選んだ、新しい部屋。  これから紡いでいく、二人だけの新しい日常。  当然、不安もある。  すれ違うことだってあるかもしれない。    でも、それ以上に、隣にこの人がいてくれる楽しみの方がずっと、ずっと大きかった。  長く、穏やかに。  何年先も、何十年先も、こうして肩を並べて隣で笑っていられるように。  オレンジ色に染まる空の下。  二人は改めて、互いの手を強く握り直しながら。  相手を大切にしていこうと心の中で静かに誓ったのだった。

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