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第28話 人の尊厳*
シイナが『偶人(オゥレン)』を運び込んだのは、己の所有する拠点の中でも特にセキュリティが固い場所だった。
人を連れ込んだのを知られることすら避けるため、シイナは『偶人(オゥレン)』を死体袋の中に入れて、己の部屋へと運び入れた。抵抗せずじっとしていろと命じた『偶人(オゥレン)』は、命令通り一切身動きをすることなく、素直に死体袋の中で沈黙し続けた。
あまりに静かすぎるので本当に生きているか不安にすらなったし、緊張しながら死体袋を開けると、虚ろな『偶人(オゥレン)』と目が合って柄にもなく小さく悲鳴が喉から漏れた。
ソファベッドに『偶人(オゥレン)』を寝かせ、シイナはようやく一息つく。全身から全ての力を抜いた人形は、実際の体重よりもずっと重く感じて、ただ運んできただけだというのにシイナは疲れ果てていた。
「とにかく……何か食べさせなきゃな」
襲撃が行われてから現在までで既に丸一日が経過している。その間、人形には何も食べさせていない。
洗脳によって自我を奪われた人形だとはいえ、素体となっているのはただの人間だ。飲み食いしなければいずれは死ぬ。
シイナはキッチンに行くと、ミネラルウォーターと栄養バーを持ってリビングへと戻ってきた。
「『偶人(オゥレン)』、起きろ」
「……」
「……体を起こしてソファに座れ」
具体的に行動を指示すると、人形はまるでプログラムされたロボットのように体を起こして、ちょこんとソファに座った。
「食事だ。食え」
目の前のテーブルに水と食料を置いて促す。しかし人形はそれには手をつけず、ソファから降りると、戸惑うシイナの目の前に膝立ちになった。
「いただき、まァす……」
渇いた唇で言いながら、人形はシイナのズボンのベルトへと手をかけ、股の間へと顔を寄せる。シイナの内心に嫌悪感が込み上げ、人形の手を勢いよく払いのけた。
「ッ、やめろっ……!」
一切の抵抗をせずに拒絶を受け入れた人形は、ぼんやりとした目でシイナを見上げる。そこには戸惑いすらも浮かんでおらず、ただ命令が入力されるのを待つ機械のようにシイナの目には映った。
「……精液を食事だとでも教え込んだのか、ゲスどもめっ……」
忌々しく吐き捨てたが、今の自分もこの人形にとっては同じ立場の存在であり、同じような扱いをしていくことになるのだということも分かっていて、シイナの内心にさらに苛立ちが込み上げる。
ダメだ。このままではこの人形に感情のままに当たり散らしてしまうかもしれない。これは、いずれボスの手に渡る大切な道具なのに。
己を落ち着かせようと何度も大きく呼吸をし、それから人形の前にしゃがみ込んで目を合わせる。
「いいか、『偶人(オゥレン)』。前の主人のことは忘れろ。今の主人の俺の言うことだけを聞くんだ」
「……」
「まずは食事だ。これからお前は人間と同じものを食え。性行為は食事ではない。分かったな?」
光の一切宿らぬ人形の目がシイナを見る。いや、視界には入っているが、認識しているのかは分からない。歪で美しいこの生き物が目の前の自分を無視しているように思えて、シイナは強い悔しさを覚えた。
「分かったら返事をしてソファに戻れ。テーブルの上の食事と水を摂取するんだ。分かったな、『偶人(オゥレン)』」
「はい……分かりました……」
こちらが見えているのか分からない焦点の合わない目つきのまま、人形は返事をすると、素直にソファへと座って食事を始めた。
だが食事をまともに取るという行為そのものが久々なのか、その手つきはおぼつかないもので、栄養バーの欠片がボロボロと床と服に落ちる。
「おい、こぼさずに食えないのか……違う! こぼしたものを舐め取れという意味じゃない! ああもうっ……!」
意思の疎通がうまくいかないまま食事をなんとか終わらせ、強い疲労感を覚えながらシイナは本部から持ち帰ってきた小瓶を取り出す。
『偶人(オゥレン)』を躾けるために使う薬。これを使って性行為を行えば、人形は行為の相手を主人だと認識する。かつて人だった存在の尊厳を完全に無視する効能を持つ薬を睨み付けながら、シイナは考え込む。
こんなものを使う必要があるのか。意思を奪われ、性行為が食事だと思い込まされるほど酷い目に遭ってきたこの生き物を、さらに陵辱して貶めてもいいのか。そんなことをしなくても、コレは俺のことを主人だと認識しているんじゃないのか。
いくら理由をつけて悩んでみたところで、シイナにはこの薬を使わないという選択肢ははなから与えられていない。完全に従える方法が分かっているのにそれを行わず、もし組に害を為す存在になってしまったら。その可能性がある以上、楽観的な推測に従って行動をするわけにはいかない。
あくまでこの人形は自分のものではなく、一時的に任されているだけの借り物なのだから。
シイナはソファにぼんやりと座り続ける人形に歩み寄ると、その顔にそっと触れた。
「なぁ、お前。人だった時はどんな奴だったんだ?」
「……」
顔のパーツをなぞり、それが感情豊かに動いていた日々を夢想する。今は何の感情も宿していないそれが喜びで緩み、悲しみで強張り、怒りで歪み、誰かに愛を囁いている姿を想像する。
その愛の対象の位置に己を置きかけて、シイナはすんでのところで踏みとどまった。
何をバカなことを考えているんだ、俺は。
人形の乾いた唇に指を置く。キスをして、彼の温度を確かめたい。それはダメだ。許されていない。組への裏切りだ。そんなことを考えるべきじゃない。
衝動を自我で抑え込み、シイナは人形に命じた。
「口を開けて上を向け。舌を出して、今から口に入れるものを残さず飲み込め」
小瓶からスポイトで吸い出した液体を、人形の口の中へとポタポタと垂らす。
これからやるのはただの作業だ。それ以外の何物でもない。だから、欲望も衝動も、罪悪感も、心の外側に置いておけ。
己に強くそう言い聞かせ、薬を飲み込んだ人形を、シイナはその場で押し倒した。
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