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第36話 密やかな問答

 酒を飲んで寝ると、いつも見る夢がある。むずがゆくて、優しくて、何より安心できる幸せな夢だ。 『ユオシェン』  微睡む自分の顔の上で、大好きな人が名前を呼んでくれる。大切な名前。愛を証明するように繰り返される自分だけの名前。 『ユオシェン、こっちのお前が本物になれればいいのにな』  愛しい人が前髪を撫でてくる。彼の膝の上が心地よくて、よく懐いた猫のように喉を鳴らしたくなる。 『酒を飲んでる時しか笑ってくれないのなら、毎日酒を飲んでていいぞ。もちろん、限度はあるが』  彼の手に頬擦りをすると、彼は少し驚いたように目を見開いた後、額に優しくキスを落としてきた。 『ユオシェン、俺の前では笑っていてくれ。俺の前では『ユオシェン』であってくれ』  祈るようなどこか泣きたくなるような声で彼は言う。それを聞いただけで己は――彼のために「そう」ありたいと強く願ってしまったのだ。 *  頭の芯が締め付けられるような鈍い頭痛とともにユオシェンの意識はゆっくりと浮上する。重い瞼を持ち上げるとそこは、見知らぬ殺風景な部屋のベッドの上だった。  何度か瞬きをするうちに、意識を失う前のことを思い出していく。ホァンという男に犯され、自我を奪われかけ、シイナが助けに来てくれて、それで――  ふと自分の右手がほのかに温かいことに気付いて、そちらに目を向ける。そこにはベッド脇の椅子に腰掛け、ユオシェンの手を握ったまま眠りこけているシイナの姿があった。  よかった。無事だったんだ。  安堵を込めて握られた手を軽く握り返し、いまだ眠りの淵にある彼の寝顔を覗き込む。 「ふふ、こうしてるとあの時の続きみたいだね」  こぼれるように口から出た言葉の意味が自分でもうまく分からず、だけど愛しさが溢れた結果出た言葉だということだけは分かって、ユオシェンは寝起きのふわふわとした思考のまま、シイナの指を指先で弄ぶ。 「んん……ユオシェン……?」 「うん、俺だよダーリン」  可愛らしく呻いて名を呼んできた恋人に、ユオシェンは甘い声色で返事をする。シイナはハッと覚醒すると、ベッドで微笑んでいるユオシェンを視界に入れ、それから泣き出す寸前の子供のように顔を大きく歪めた。 「ユオシェン、よかった……すまない、本当にっ……!」  顔を伏せ、ユオシェンの手を握りしめながら、シイナは謝罪の言葉を口にする。その声色には涙が混じっており、それを証明するように彼の顔の下でユオシェンの手にいくつも雫が落ちた。  ユオシェンはひたすらに謝り続けるシイナに、困り果てた目を向け、誰か助け舟を出してくれる人はいないかと部屋中に視線を巡らせる。  だが部屋の中にいるのは自分とシイナの二人だけで、一つだけあるドアが開く気配も今のところはない。  ユオシェンは仕方なさそうに少しだけ息を吐くと、懺悔を続けるシイナへと問いかけた。 「ねぇ、シイナ」 「……ああ」 「何に対して謝ってるのか教えてくんないと、俺、許しようがないんだけど」 「……」  正論をぶつけると、シイナは急に黙り込んでしまった。その叱られる寸前の悪ガキのような沈黙を前にして、ユオシェンは小さく笑う。 「俺がシイナを愛してるって感情が嘘だったってこと? 事情も教えずずっとヒモとして囲ってたってこと? それとも、あのホァンとかいう奴にまんまと俺を寝取られたこと?」 「それは――」 「言っておくけど、全部知っても今の俺はシイナのこと大好きだかんね」 「え……」  シイナは顔を上げると、幼さすら感じる無防備な眼差しできょとんとユオシェンを見る。ユオシェンは手を伸ばし、そんなシイナの顔を優しく撫でた。 「始まりは確かにそうだったかもしれないけど、今のシイナがものすごーく深く俺を愛してくれてるのは知ってるし? 俺は、俺の意思でそれに愛で応えたいって思ったってこと!」 「でも、ユオシェン――」 「あーもう! そんな辛気臭い顔しないで! 愛してるのは信じてほしいって先に言ったのはそっちでしょー」  シイナのほおを軽くつまみ、ぐいぐいと引っ張る。いつもは冷血漢と恐れられている男の弱った顔というのは、面白くもあり、ちょっぴり腹立たしくもあった。  シイナはしばらく途方に暮れた迷子のような顔でされるがままになった後、ぐっとそれを飲み込み、改めてユオシェンの手を握り込んだ。 「ユオシェン、ごめん。それからありがとう。生きて、帰ってきてくれて」 「うん」 「でも俺たち、もう元のようには生きられないんだ」 「うん、知ってる。俺、ボスのものになるんだよね」 「……ああ」  シイナはユオシェンの手をきつく握りしめ、痛いのを我慢しているような顔で問いかける。 「ユオシェン。もし俺がお前を連れて逃げたいって言ったら、お前は――」 「ありえないよ、そんなの」  きっぱりと、言葉の先を遮るようにユオシェンは言う。 「シイナが組を裏切るなんてありえない。それだけシイナは組を大事にしてきたし、これからも大切に思い続けるから。だけどね、シイナ。俺は組のボスのものになんかならないよ」 「え……」 「俺はただの『偶人』じゃなくてシイナのハニーで、めちゃくちゃ愛されててラブラブ相思相愛なユオシェンだもん。俺、『偶人』として支配されない方法を見つけちゃったし? 意思のある殺人人形の反感を買う可能性を取ってまで、無理矢理トップが所有するより、忠実で誠実な実績のある部下に所有させておいた方が何かとお得なんじゃないかなー?」  ユオシェンはわざと声を張り上げて、わざとらしくこの場にはいない何者かに語りかける。  固く閉ざされていたドアの鍵が開き、ユオシェンにとって薄らと見覚えのある男たちが部屋へと入ってきた。

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