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第37話 薄氷の駆け引き
「物音は立てていないつもりだったが、よく気付いたな」
入室してきたのはラウともう一人、『偶人』としての記憶の中でボスと呼ばれていた男だった。
「ボス、ラウ大兄……!」
シイナは慌てて立ち上がり、二人に頭を下げようとする。ラウはそれを片手で軽く制した。
「堅苦しい挨拶は今日は無しでいい。それで、『偶人』? 一体いつから気付いてた?」
「ユオシェンだよ。『偶人』って呼ばないで」
威圧感を放つ組の重役二人を前にしても、ユオシェンは一切怯まず、彼らを逆に軽く睨みつけてみせる。ラウは苦笑した。
「それは悪かった。じゃあユオシェン。お前はいつから俺たちの存在に気付いていたんだ?」
「シイナと話し始めてちょっと経った頃。誰か助け舟出してくれないかなーって見回したら、ドアの向こうに誰かいるって気付いたの」
「へえ、でもただの見張りかもしれないじゃないか。どうして俺たちだと?」
「分かんないけど分かったの! 『偶人』の勘ってやつ? アンタらじゃなかったとしても、そこの盗聴器で話を聞かれてたのは分かってたしねー」
ユオシェンはベッドサイドの机に置かれた花瓶を指さす。彼の中の研ぎ澄まされた感覚が、そこから放たれる猛烈な違和感を感じ取っていた。
不機嫌そうに指摘するユオシェンに、ラウは目を見張った後、喉を鳴らして笑い始めた。
「くっくっ……ハハハ! これは参った。この分ではシイナにわざと裏切りを匂わせる提案をさせたこともお見通しかな?」
「まあね。愛し合う二人の語らいを盗み聞きするとか、趣味悪いねオッサン」
「そう言ってくれるな。ずっと立ち聞きしてたわけじゃない。ちょうど様子を見に来たところだったんだよ」
「フーン、ホントかどうか信じられないけど」
不服なことがあった飼い猫のように傲慢に、ユオシェンは態度で不快感をラウたちに伝える。シイナは内心、冷や汗をダラダラと流しながら、彼らのやりとりを見守っていた。
「ちなみに『偶人』としての支配から逃れる方法というのを教えてくれる気はあるかな?」
「あるわけないでしょ」
「まあそうだよな。そこまでバカじゃないか」
「あーっ! 俺のことバカって言った! 俺のことバカって!」
「言ってないよ。バカ扱いしただけだ」
「言ったようなもんじゃん! ひっど! ねぇ、シイナからも怒ってよ!」
「え? いやそれは……」
憤慨するユオシェンと面白そうに笑むラウに同時に視線を向けられ、シイナはしどろもどろになって何も答えられなくなる。
ユオシェンはじとりとそんなシイナを睨み続けた後、不意に得意げな顔になってラウたちに振り向いた。
「ほらね。シイナは溺愛する俺がわがまま言っても、こうして組のことを優先するぐらい、組のことを大事に思ってるでしょ?」
「くっ、ハハハ! そうみたいだな。……それで? ボス、この件についてはどう対応しましょうか」
ずっと後ろで沈黙していた男に、ラウは話を振る。
不健康な顔色に、変化がない表情。『偶人』であるユオシェンよりもずっと作り物めいた見た目をしたボスは、たっぷり十数秒は黙り込んだ後、重々しく口を開いた。
「分かった。『偶人』の管理については、引き続きシイナに一任する」
「ボスっ……!」
「ただし、一つだけ条件がある」
表情筋を一切動かさず、ボスはユオシェンとシイナを冷たい目で見つめる。そして、二人が呼吸をするのも忘れて次の言葉を待っていると、ボスは平坦な声色で彼らに告げた。
「『偶人』、シイナに対する忠誠を示せ。持ち主との契約によって、どれだけ困難な命令でも実行できると証明してみせろ」
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