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第3話 助けたい社員

「なんっか、ややこしいことになってるなぁ」 目の前にある溢れかえるような英字と数字の羅列に、目がチカチカし始める。 どうして、プログラムというのはこうも字が小さいんだろうか。数時間睨めっこしているだけで、目がしばしばしてくる。 プログラミングをやること自体が従業員の健康被害を増大させている気がしてならない。 佐野は大きくため息をついて伸びをした。 「今回に限ってがっつり技術案件だし。やんなっちまう」 ──帰宅後、郵便室で手に入れた紙切れをそっと開いたのが二時間前。 そこに記載されたQRコードを読み込んで、依頼に着手しているのだが、一向に終わる気配がない。 いつもなら二、三時間で終わる目処が立っている頃だが、今回はまだまだかかりそうで、業務後ということもあってさすがに疲労感でいっぱいだ。 「こんな面倒なの、ひさしぶりだ」 佐野がこの便利屋業を始めてから十ヶ月ほどが経った。 社内の炎上案件の手助けができればと思って、ひっそりと始めたボランティア活動だが、開始から十ヶ月、口コミで評判は広がっているようで、月に二、三回というそこそこの頻度で依頼がくるようになった。 やっていることはいたってシンプルで、業務の逼迫したプロジェクトからの依頼を受けて、業務のごく一部を代行するだけ。 郵便室の壊れたドリンクサーバーに、QRコードを記載した紙切れを入れてもらいうというフローも、ずいぶん浸透してきた。初期の頃は手書きの依頼が舞い込んだりして、コミュニケーションに苦労したものだ。 QRコードづてに受け取った今回の依頼は、太陽ファーマの営業システムの改修プロジェクトからだ。 依頼理由には、「協力会社のエンジニアがバグまみれのシステムを残して突如退職したため」とある。 つまり、佐野への依頼は、突如飛んだエンジニアの担当領域のバグを検証してほしい──ということだ。 「ったく、外部のエンジニアなんてよっぽどのことがねえと飛ばねえぞ? どーせ、圧かけるだけかけてろくにケアをしなかったんだろーが。あーやだやだ」 だいたい、エンジニアが一人飛んだからと言って、佐野のところに依頼を回さざるを得なくなるようなメンバー構成からしておかしいのだ。人件費を安く済ませようとギリギリの人数構成にしているのが見え見えだ。 佐野は依頼者である竹内康太の顔を頭に浮かべ、はあとため息をつく。 竹内はつい二ヶ月前まで育児休暇を取得していた社員で、夫婦で慣れない育児に奮闘中、らしい。 「赤ん坊抱えて、このプロジェクトはきついって。草も生えん」 竹内の所属するプロジェクトのマネージャーの清水正樹はパワハラの噂が付き纏う男だ。プロジェクトメンバーに過分に高い成果を求める傾向があると聞く。 ──その剛腕が遺憾無く発揮された結果、竹内は便利屋を頼ることにしたのだろう。 もう一度、コードの実行のボタンを押すと、エラー文が半減したのがわかり、安堵する。期限は一週間後の水曜日まで。こんなところで切り上げてもいいだろう。 「だー、クソ疲れた」 大きく伸びをすると、安手のゲーミングチェアがギギュッと悲鳴を上げた。自宅の作業環境はきちんと整えたつもりだが、それでも佐野の収入で取り揃えられるレベルのものなどたかが知れている。 「金、ほしー」とこぼすと、どういうわけだか脳裏に伊坂真一の高貴な顔が浮かんだ。なんとなくおかしい気持ちになって、くすりと笑う。 伊坂は実家が代々議員をやっているかなんかで、大金持ちという噂だ。 きっと、伊坂の家だったら、最高級のゲーミングチェアやら高解像度のモニターやら昇降機能のついたデスクやらをなんなく揃えることができるだろう。 まったく、うらやましい限りだ。 「……にしても、今日は危なかったな」 まさかあの時間の郵便室で、伊坂に出くわすとは。 佐野のやっている社内便利屋活動は、当然ながら非公式の活動だ。 自分の担当していないプロジェクトの仕事に手を出すのはコンプライアンス違反だ。なので、当然、便利屋の正体が己だということは誰にも明かしていない。 だが、伊坂の様子からして、便利屋の噂はケイキにまで広まりつつあるらしい。 そうやすやすと尻尾を掴まれることはないだろうが、しばらくはおとなしくしておいた方が良いのかもしれない。 佐野が便利屋だということも、と誤魔化し切れたのかどうか怪しい。 もし、あの堅物な男にバレてしまったら──不吉な想像に、佐野はぶるりと身を震わせた。 便利屋として解決した厄介ごとの数は、ゆうに両手の数を超える。その全てが明るみに出たら、きっと懲戒は免れない。 役員会にでもかけられたら、最悪の場合クビだ。 我ながら、とんでもないことを始めてしまったものだ。 そもそも隠し事など苦手に、こんなことは向いていない。罪悪感と恐怖は膨れ上がるばかりだ。 「でも、依頼はあるんだもんなぁ……」 便利屋を必要とする人間がいる限りは続けるつもりだった。 けれど、いったいいつまで、こんなことを続けることができるのだろうか。 「……伊坂ちゃんが超超スーパーウルトラ鈍感男でありますように」 ──まあ、全然そんなことなさそうなんだけど。 眼光鋭い貴公子の睨むような眼差しを思い出して、背筋が寒くなる。 神に祈るような思いで、ぎゅっと目を閉じて天を仰いだ。

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